ジェシー論 〜最強の男〜

 

 

 

我らがセンター、ジェシー

24歳の誕生日おめでとうございます!!

 

この論シリーズ、本当はジェシーの分は最後までとっておくつもりだったんですが、書きたいことができてしまったので書きます( ´_ゝ`)

 

以前の論シリーズです↓

mtmrleon.hatenablog.com
mtmrleon.hatenablog.com 

mtmrleon.hatenablog.com

 

 

さあ今回も2本立てです。

 

 

 

1. SixTONESの笑いを考える

ジェシーについてどうしても書きたくなったきっかけは、大学の講義で聞いた笑いのカテゴリーについての話です。しばらく教授の話をほぼコピペします。

 

コメディアンには、「身体的笑い」をやる人と「情報的笑い」をやる人がいます。

(その他にも種類があるのかもしれませんが、私はお笑いに詳しくないのでとりあえず授業に出てきた2種類だけで進めさせてください)

「身体的笑い」とは、いわゆる道化のこと。チャップリン植木等がわかりやすいでしょう。滑稽な動作や、(チャップリン無声映画ですが)特徴的な喋り口調などの身体表現で笑わせるものです。

対して「情報的笑い」は、タモリバカリズムなど、言語と頭を使うお笑いです。面白い事柄をただ立って説明するだけで成り立ちます。身体表現は必要ありません。

「身体的笑い」と「情報的笑い」の決定的な違いは、コピー可能か否かです。「情報的笑い」はコピーが可能です。その人自体ではなく、ネタが面白いだけなので、ネタさえあれば誰が喋っても成り立ちます。みなさんもバカリズム都道府県フリップを自作してお友達を笑わせることができます。

一方「身体的笑い」はコピーができません。その人自体が面白いので、その人以外がやっても何にも面白くないんです。チャップリンの真似なんてしようと思ってもできません。「身体的笑い」は、その人独自の「達人芸」なのです。

 

「身体的笑い」の例として、教授が竹中直人の「笑いながら怒る人」を見せてくれました。古い映像ですが、こちらです。

 


笑いながら怒る人

 

こんなの竹中さん以外がやっても面白くもなんともないですよ(笑)ていうか面白いのかどうかもよくわからない。でもなんか笑っちゃう。

 

私はこの映像を見た時、真っ先に思ったんです。

 

ジェシーやん」

 

これを読んでくださっているみなさんは、参考映像など引かなくてもジェシーのギャグの一つや二つ、すぐに思い浮かべてくださると信じています。

一番わかりやすいのはドナルドたけしさんではないでしょうか。ドナルドダックのモノマネの上手さだけでは説明のつかないあの面白さ。無駄にスタイリッシュな(無駄じゃないですごめんなさい)イケメンが、手足の長さを持て余しながらドナルドダックとビートたけしフュージョンさせるというカオス。「ロナウジーニョ! DAHAHA」もう何が面白いのかよくわからないのに笑ってしまう。これは、ジェシーにしかできないお笑いです。

 

他の場面でも、別に大したこと言ってないのにジェシーが言うからなんか笑ってしまうこと、ありませんか? それこそあのAHAHA笑いもジェシー特有のものですもんね。

(「AHAHA」という笑い方をブログなどで自ら表記することで、「笑う」というプライベートな行為自体を商品化するという、アイドルサイボーグジェシーの恐ろしい面もあるのですが……これは本筋からそれるのでこの程度にしておきます)

みんなで楽しめるズドンにしたって、Mr.ズドンはジェ……ゴホンゴホン、Mr.ズドン一人だけ。ズドンを「芸」として扱えるのは、この世でジェシーただ一人です。

 

「身体的笑い」は、ともすると、「からかい」になりかねない危険性を孕んでいます。

動きが変だから笑う。喋り方が変だから笑う。太っているから笑う。外国人だから笑う。笑わせる意図のない身体をからかって笑うこともできてしまいますし、本来笑いとは関係がないはずの自分の身体を自虐して芸に置き換え、自らからかわれに行くような、あまり褒められたものではないお笑いもこの国には数知れず存在します。現代の「身体的笑い」の例も挙げようと思ったのですが、あまりにこのボーダーに引っかかりそうな人が多くてやめました。

真っ当な「身体的笑い」に必要不可欠なのは、「笑わせる意図」。そして彼自身にしかできない「達人芸」。あるいは「スター性」です。

ですから私はやっぱりこう言いたい。現代日本で「身体的笑い」をやっているのはSixTONESジェシーだ、と。

 

ジェシーはからかわれることなんてありませんからね。ジェシーの声が変だから、動きが滑稽だから、外国人だから……私たちがそんな理由でジェシーを笑う場面は一度もありません。いつだって、ジェシー自身が陽気に私たちを笑わせてくれるから、素直に笑わせられているんです。

ジェシーはいつでも我々の数段上にいます。ドナルドでは滑稽に持て余していた長い手足が、パフォーマンスではダイナミックにしなり、唯一無二の武器になります。普段は親しみやすいのに、時折ぞっとするような目つきを見せ、どこか近寄りがたい恐れを抱かせます。チャップリンをも引き合いに出せてしまうほどの底知れなさとスター性、カリスマ性を、私たちはジェシーに見ているのです。

 

 

では「情報的笑い」はどうか。こちらは、私の考えですが二つに分けられる気がしています。一つは関西の古典的な話芸を代表とする、ロジカルな笑い。もう一つは、関東のお笑いによく見られるシュールな笑いです。

本能に訴えかける「身体的笑い」とは違い、「情報的笑い」には聴衆にある程度の理解力が要求されます。ロジカルな笑いには、例えばバカリズム都道府県ネタなら「日本には◯◯県がある」「◯◯県は手で持つものではない」という前提知識、そして情報処理能力が。シュールな笑いには、そのシュールな世界観の何が面白いのかを理解するセンスが……

これもスト担のみなさんなら直感的に頷いてくださると信じていますが、SixTONESにおいては、ロジカルな笑いは松村北斗、シュールな笑いは森本慎太郎だろうと思います。

 

その人のお笑いのセンスを掴むのに、ジングルほどわかりやすいものってないですよね。特に「情報的笑い」では。ジェシーはある意味存在がお笑いみたいなものなので、バラエティで口を開けばどんどん爆弾を投下できますが、ジングルのような狙うネタはわりと不発です。対して、「情報的笑い」はそれこそ頭を使って狙うものなので、ジングルでその強さとヤバさを発揮します。

ロジカルとシュールだったら、まだロジカルのほうが一般聴衆にわかりやすいでしょう。頭で理解するわけですから。だから松村直樹のジングルはひえおじにヒットします。

シュールは本当に、わかる人にしかわからない。私はめちゃくちゃ好きです。こないだの慎太郎の、PCを使って音を重ねた合唱のジングル、あれは大人計画が見えました。

 

www.youtube.com

 

田中樹「ヤバいヤバい、怖い世界に行っちゃう」

 

そう言う樹のボケは小学生男子の下ネタの延長線上な気がするけど(笑)

 

末ズは似た者同士に見られがちですが、こう考えると笑いの方向性がけっこう違いますよね。ジェシー、北斗、慎太郎、各々が各々の方向性で好き勝手にボケているという何とも無邪気な有様。そして冷静に(?)処理してくれるゆごじゅりがいて、笑いなんて度外視で我が道を突き進む京本がいて。狙ってないのに面白いから天然って言われるんですよ、坊ちゃん。

 

 

話をジェシーに戻しますが、「身体的笑い」の何が強いって、繰り返すようですがコピーされないことなんです。ジェシーと同じお笑いをしようと思ったら、それは「ジェシーのモノマネ」になってしまう。あたかも自分のネタのように披露することは不可能です。

「情報的笑い」にもジングルだったりブログだったり特有の強みがありますが、やっぱり「身体的笑い」の「唯一無二」という強みは大きい。しかも、持って生まれた才能であって誰にも真似できないので、「身体的笑い」をやれる人間はほんの一握りなんです。

そんな、天性の「身体的笑い」をふりまくジェシーSixTONESにいること……めちゃくちゃ強くないですか?

いや、知ってます。ジェシーは最強。そんなの最初から知ってます。

 

 

 

 

2. ジェシーのセンター性

さあ、そんな最強なジェシーSixTONESのセンターにいることについて。

実は京本論でも松村論でもセンターとしてのジェシーを論じているのですが……(笑)ジャニヲタたるもの、どうしても「センターとは何ぞや?」という命題に惹かれてしまう生き物。今回も懲りずにセンターを語ります。

 

一応ジャニーズ全体を網羅的に見ようとしている人間ではあるので、歴代ジャニーズと比較して言いますが、ジェシーに似てるジャニーズっていないですよね。ジェシーっぽい人を思い浮かべようとしても、ちょっと思いつきません。ギャガーならいますが、センター兼ギャガーは特殊すぎます。

 

そもそもジャニーズのセンターといえば、童顔・低身長が相場というもの。ジャニーズには実際どんなセンターがいるのか、他のグループのセンターをいくつかの種類に分けてみましょう。複数のメンバーがセンター格に該当しそうなグループはいくつか割愛しました。また、一人が複数のタイプに該当している場合もあります。ご了承ください……

 

⑴ザ・ジャニーズの美少年センター

小柄で童顔。華がある。ジャニーさんの好み。どちらかといえば寡黙なことが多い。

例:森田剛松本潤(初期)、渋谷すばる、山田涼介(初期に中島裕翔から変更になったが裕翔もおそらくこのタイプだった)、佐藤勝利宮近海斗西畑大吾、嶋﨑斗亜

 

⑵やんちゃな少年センター

これもジャニーさんの好み。美少年ではあるが⑴のように薄命そうではなく、はつらつとしたやんちゃ坊主。

例:諸星和己光GENJI)、中居正広(初期のSMAPのキャラクターに詳しくないので自信がないです。有識者求む)、髙橋優斗

 

⑶わかりやすくビジュアルセンター

伝統的な美少年性ではなく、青年期のチャラいカッコよさが重視されたYou&J時代とその系譜に顕著。

例:山下智久(NEWS)、赤西仁亀梨和也玉森裕太

 

⑷末っ子センター

森本論(森本慎太郎論 〜5月1日に末っ子を語る〜 - もうとろろ食べられます)内で論じた「末っ子」の類型。大柄な場合もあるが、「年少者」ということによって少年性を帯びている。

例:長瀬智也松本潤(初期)、亀梨和也、橋本良亮、ラウール

 

重岡大毅及びジャニーズWESTに関してはいろいろと細かく言いたいことがあるのでまた別の機会に! 忘れてませんよ! とだけ今は言っておきます)

 

ジェシーはこのどれもに該当しませんよね。強いて言うなら、5つ目のこのタイプに分類されるかなと思います。

 

⑸全知全能センター

圧倒的カリスマ性を持つ。神格化される場合もある。

例:錦織一清(少年隊)、大野智(センターというか概念的なグループの中心)、渋谷すばる平野紫耀ジェシー

 

全知全能センター……これカッコよすぎて何度でも言いたいな。

大野さんやすばるさんがファンの間で神格化されてきたことはもはや周知の事実かと存じます。ジェシーも往々にしてteam SixTONESの精神的支柱、太陽神、ジェシーがいるから大丈夫みたいなとこありますよね。つまりめちゃくちゃ強い。

ちなみに少年隊のニッキ先輩、ファンの間でどう扱われていたかまでは存じ上げないんですけど、死ぬほど強いんですよ……文字通り全知全能……歌もダンスもアクロバットもジャニーズ史上最高峰、おまけにお顔がとんでもなく美しく、そのうえめちゃめちゃ喋るわボケるわおもろいわ。ニッキさんほど非の打ち所のないジャニーズは二度と現れないと思います……

平野くんは今後どのような存在になっていくかわかりませんが、彼のカリスマ性、「平野紫耀がセンターじゃなかったら一体誰がやるんだ」となってしまうあの絶対性、これは揺るがし難いなと思うのでこちらに分類しました。

 

もちろん⑴〜⑷のタイプが劣っているとかそういうことでは全くないのですが、とりあえずジェシーが激強センターの一人なのだということをご理解いただければ。

 

 

しかしジェシーのセンター性は、これだけでは説明し切れません。

センターとして他と明らかに異なるジェシーの特色、それは

・デカい

・面白い

これに尽きるでしょう。

 

 

「デカい」からいきます。

⑴〜⑷のセンターを見ればお分かりいただけるかと思いますが、ジャニーズのセンターはどこか少年らしさを帯びています。見た目がそのまま童顔低身長で少年っぽかったり、痩身の美青年であったり、最年少だったり。

彼らは「ジャニーズ的美の擬人化」とも言えると思います。ジャニーズ的な美が、世に言うイケメンというよりも美少年を指すことは、ある程度他のグループも流し見ているジャニヲタのみなさんならもちろんおわかりでしょう。そんな、極めてジャニーズ的な美少年を、ジャニーさんは意図的にセンターに置くのです。これが「ジャニーズらしさ」を作り出していると言えます。

 

ジェシーはどう見ても正反対です。デカい。なんならグループで一番デカい。しかもヒョロくもない。言ってしまえば威圧的。年少者ではありますが、バカレアでは慎太郎がフロントだった時点で、ジェシーを「末っ子」類型に含めることは難しいと思われます。

 ジャニーズのセンター観を覆すかのようなジェシー。それもそのはず、SixTONESはジャニーさんの意志でできたグループではありませんね。ジャニーさんは確かにジェシーを寵愛していたかもしれないけれど、どこかのグループのセンターにしようという意図はなかったわけです。ソロデビューさせるつもりだったと聞き齧ったのですが事実ですか?

メンバー自らが組んだグループにおいて、ジェシーはジャニーさんの一存ではなく、メンバーの、民意のセンターなのです。ここがミソです。

 

ジャニーさんの決めるセンターには、そのグループの特色プラス、「ジャニーズらしさ」が込められていると述べました。どのグループをとっても、ジャニーさんの目指す美少年的な美を帯びている。これはジャニーさんの創造物ですから避け難いものです。

しかし、SixTONESはまるっきりジャニーさんの創造物というわけではありません。「SixTONESらしさ」はSixTONES自身が創りました。少年性の薄い⑶時代の系譜を継いでいることもあり、ジャニーズ的な美とはほとんど無関係にグループの方向性が形成されました。

その「SixTONESらしさ」の象徴が、デカくていかつくてスタイリッシュなジェシーなのです。

 

ただし、だからといってSixTONESは全くジャニーズらしくないかといえば、そうではありません。SixTONESがとてもジャニーズらしいグループであることは、スト担が一番よく知っていることと思います。

では、そのジャニーズらしさはどこから来るのか。

センターということにおいては、やはり京本大我でしょう。

ジェシーに準ずる形でセンターを張る京本。彼は一歩SixTONESの外に出れば大柄なほうですが、SixTONESの中では一番身長が低く、華奢で、色白で中性的な顔立ちも相まって美少年的に見えます。グループ内で最もジャニーズ的な美といえるでしょう。センター分類では⑴のタイプに該当します。

「ジャニーズらしい」京本と、「ジャニーズらしくない」ジェシーが2人でセンターに立つ。これが、「ジャニーズらしくないけれどとてもジャニーズらしい」というSixTONESパラドックスを成り立たせているのです。やっぱりSixTONESは京ジェなんです……

 

 

そして、「面白い」。

前半の話を無理矢理持ってきてうまくまとめようという魂胆が見え見えですね。

 

ジャニーズ的な美には、少年性ともう一つ、悲劇性があります。

これもある程度のジャニヲタさんにはわかっていただけると思いますが、ジャニーズ作品はとにかく人が死ぬ。嬉しい楽しい幸せ〜なだけの舞台などありません。

センター⑴タイプの美少年って、薄命そうなんですよね……それこそ京本だってそうじゃないですか。ジュン死んだしな。これはジャニーズに限らず、少女漫画における耽美もの(萩尾望都とか竹宮惠子とか。BLの原初です)でもそうなんですが、美少年には悲劇がつきもの、いや、美少年であるためには悲劇が必要条件なんです。これも大学の授業の受け売りです。

 

しかしジェシーはどうでしょう。

ジェシーはめちゃくちゃ面白い。死ぬほど喋る。死ぬほどボケる。とっても陽気で社交的。

悲劇的か喜劇的かで言ったら、まず真っ先にやってくるのは喜劇ではないでしょうか。ズドン。

 

悲劇が娯楽になるのは、現実が平和な時だけですよね。好景気の時代には暗い歌が流行り、不況の時代には明るい歌が流行るという法則は周知の通りです。

スト担の中には、「SixTONESに救われた」という人が多いように感じます。アイドルをただの娯楽ではなく、恩人、そして人生の指針のように見ているのです。そうするとひょっとしたら、私たちの現実は、救いを求めたくなるほど苦しいのではないでしょうか。

この国、そして世界全体で見ても、資本主義の限界が訪れつつあり成長が停滞し、先行きの見えない不安が常に存在しています。平和を願うジャニーさんの思いに、現実はもはや即さず、私たちは悲劇を娯楽として消費する余裕もないのではないでしょうか。

 

そんな私たちの前へ、天性の喜劇性を持ったジェシーが現れました。

圧倒的なスター性があり、いつでも私たちを笑わせてくれるジェシー。私たちは彼の存在に救われながらこう思うのです。「ジェシーがいるから大丈夫」。

 

そして、ジェシーはただ底抜けに明るいだけの人物ではありません。不意にほのめかされる諦念。自問の末に選んだ今の生き方。

悲しみに裏打ちされているからこそ、ジェシーの喜劇は誰の心にも寄り添うのです。

 

 

 

 

 

まあ要はジェシーは最強ってことです!!!

ジェシーについて書くのはちょっと恐ろしかったというか、私なんかにジェシーはわからん……と思っていたのですが、いたずらに内面へ踏み込むことなく客観的に評価すれば案外いけましたね……! きっかけを与えてくれた大学の先生に感謝です。

 

ということで、論シリーズ第4段、ここまで読んでくださってありがとうございました。

第5弾は……あれっ? うそ? 4日後!? 大急ぎで考えます!!! 6月11日〜18日の忙しなさよ!!! お祭り騒ぎだな!!!

 

ジェシーちゃん、24歳の誕生日おめでとう!!!!!!