沼底を撫ぜる

 

 

 

いよいよごまかしが効かなくなってきたので、自分を解剖する目的で時系列順に整理していこうと思います。

 

中学に上がる直前の春休み たまたま黒の女教師を見て、こんなに演技が上手いジャニーズJr.がいるのかと衝撃を受ける。ストーリーや具体的な演技は全く記憶にないけれど、なぜかとにかく演技がすごかったということだけ覚えている。当時は嵐ファン兼、新米eighter。

中学時代 eighter。安田担。最初は、可愛いからというだけの理由だった。好きだから選んだというより、選んだから好きになった。私と縁遠い海やファッションやギターに、淡い憧れを抱くようになった。

高校時代 JUMP担。山田担。髙木に落ちるつもりだったのに。めんどくさい感情に支配された暗黒時代。自担が大好きで大嫌いだった。

大学入学 JUMPは冷めて、エイトに出戻る。安田さんが大病をして、彼の思想を知る機会が増え、私の思想の根幹になる。

2018年11月4日 まだeighter。SixTONESがJAPONICA STYLEという楽曲のMVをYouTubeにアップしたと知り、ジャニヲタとして見ておかねばと再生する。京本大我の美しさに衝撃を受ける。いい意味で京本しか覚えていない。この頃、友人と原宿に行って、駅に貼り出されていたSixTONESの広告を、一人ずつ指さして紹介していった。顔と名前と家系くらいしか知らなかったけれど、友人は名前も知らなかったので。

2018年12月29日 8時だJ同窓会にて、Travis Japanの金髪マッシュの人の素敵な笑顔に目を留める。中村海人くんだと知り、心の片隅にメモる。SixTONESに関しては、「北斗くんと京本くんは今日も輝いてるな〜」というくらいの感想。私の中で、SixTONESは好き嫌い以前に当たり前すぎた。

2019年1月中旬 体調を崩して寝込む。しんどいから勉強もできないし、でも何もすることがないのはもっとしんどいので、そういえばと思いジャニーズJr.チャンネルを見始める。まずトラジャ。平和でほっこりする。中村海人くんがヒモキャラだと知り、こりゃオタクホイホイだとちょっと腰が引ける。その後HiHiを見てみる。SixTONESは怖そうだし人気なのがわかってたから(どうせならマイナーなほうから攻めたかったのと、歴代自軍が嵐エイトJUMPなのでトラジャとHiHiが方向性的に近いんじゃないかと思っていた)、なんとなく後回しにする。

2019年1月19日 ストトラコラボの花火の動画に行き当たって、仕方なくSixTONESの動画を見てみる。段違いの面白さに衝撃を受ける。以降数日間、夢中でSixTONESの動画を見続ける。楽しそうすぎて、「SixTONESになりたい(SixTONESのノリに混ざりたいという意味で)」と思う。

2019年1月22日 松村北斗の担当を名乗る。なぜ北斗だったのか。一番最初に私が彼に冠した形容詞は、「麗しい」だったらしい。顔はあまり見ていなかった。声も覚えられなかった。「麗しい」のは、彼の醸す雰囲気だったのだろう。彼のファッションが好きだった。個性的だと言われているのは後から知った。最初はそこまで風変わりだとは思っていなかった。流行っていた80年代風ファッションに彼独自の感性が掛け合わさっていて、素敵だなと思った。私は安田担だったので、「個性的なファッションの人に悪い人はいない」という価値観があった。それから、トークでの役割が普段の自分に近いなと思って親近感を抱いた。何より、私が人生で絶対に関わらないであろう陽キャ集団の中で、陰キャ然としているのに居場所を持っているのがよかった。顔はそんなに好きじゃない。顔が好きなのは中村海人だ。20代の櫻井翔の顔がとっても好きなので察してほしい。とはいえ、JUMPの髙木の顔も好きなので、北斗の顔も全く好きじゃないわけではないと思う。

2019年1月末〜2月 最初に仲良くなったスト担さんたち(いろいろあって今は連絡を取っていない)と電話した時、喋り方が北斗に似ていると言われた。私はまだ北斗の声も喋り方も覚えていなかったのに(私は耳から入ってくる情報にとことん鈍感なのだ)。北斗のテキストをいろいろと読み漁っていくうち、「私と似てる」と思ってしまう点がゴロゴロと出てくる。今では自分と北斗との違いはよーく考えてよーくわかっているが、当時の私が北斗に自分を重ねてしまうまでにはそう長い時間がかからなかった。北斗に対して私がよく言っていた言葉は、「かっこいい」より「好き」より、断然「わかる」だった。この頃からほぼ『パーフェクトワールド』までの間、北斗のことを「松村」としか呼べない。「北斗」は恥ずかしくて抵抗があった。

2019年3月17日 北斗が茶髪にしたことを知る。北斗のバージンヘアを生で見ることができなくなり、かなり落ち込む。私は生涯バージンヘアを守り抜くことを決意する。

2019年3月22日 CHANGE THE ERA -201ix- 横アリ公演にお邪魔する。SixTONESはそれまでマイブーム程度で、トラジャとどっちをどう推すか現場に行って決めようといった感じだった。結果、SixTONESのオーラ、パフォーマンスの迫力に圧倒され、「一生ついてく」と心に決める。北斗の〈みはり〉で、ペンライトを握りしめて立ちすくんでしまう。席はステージと一番遠い正面スタンドだったのに、トロッコで目の前まで来た時より断然、北斗の体温や息遣いを肌に感じた。この人の作るもの、表現するものを見ていきたいと思った。北斗がスタトロで目の前を通った時は、なぜか「生きてる!!」と思って爆笑した。京本さんの〈癒えない〉にも衝撃を受けた。京本さんは怖いし、私と正反対の考え方もするけれど、癒えないもRollin'のヘドバンも私を容赦なく抉ってくる。

2019年3月末 映画『少年たち』を観に行く前に、『ショーシャンクの空に』を観て号泣した。

2019年5月1日 SixTONES結成4周年の記念日、そして時代が令和になった時、私は『ピアノ・レッスン』を観て号泣していた。

2019年5月2日 CHANGE THE ERA -201ix- 城ホ公演。たぶん人生で一番近くで北斗を見て、二の腕の存在感がすごいなぁとだけ思う。

2019年4月〜6月 ドラマ『パーフェクトワールド』。実況ツイートで晴人くん晴人くんと盛り上がるのが楽しかった。晴人くんは北斗と全然違う人格で、何も考えずに可愛いかっこいいと盛り上がれた。あれこそアイドルだったんじゃないだろうか。

2019年7月頃 茶髪と役柄に引っ張られて、北斗の性格がすっかり明るくなる。私は「ほくちゃん」「わんこ」「可愛い」なんて言うことに抵抗がなくなる。好きか嫌いかで言ったら好きだ。だって明るくて可愛いし。でも、ドラマが始まる前のような執着心は薄れていた。「可愛い」などと言う相手は誰でもよかったし、可愛い人がいてもいなくても生きていける。

2019年7月11日 モンストツイートをしすぎてツイート制限を食らう。アイコンをスパムにする。これ以降、定期的に炎上するようになる。あまりに何度もするから、もう具体的にどんなことがあったか覚えていない。

2019年8月8日 FFのみなさんとともに、秋葉原パセラで8・8配信を鑑賞。北斗担が私一人だったのと、北斗のアイメイクがめちゃくちゃよくてパフォーマンスがオラついていたので、非常に刺さってかなり騒ぐ。私はまず「北斗が尊先の山Pと同じレーベルになれてよかった」と思って泣いて、そして帰り道に「これで一旦は不安から解放される」と思って泣いた。

2019年8月22日 Summer Paradise 2019 Travis Japan公演にて、宮近さんのパフォーマンスに惚れる。その前からいわゆる「ちゃかまちゅ」の影響で、宮近さんが意外とヤバい人だとわかり引きずり込まれていた。「ちゃかまちゅ」が顕在化するまでは、全くと言っていいほど宮近さんに興味がなかった。人間臭さや感情を剥き出しにして、見ている側の胸を掻き回すような人に私は落ちる。「ちゃかまちゅ」が日常化していくにつれて、この頃のように激しく惹かれる感情はなくなっていったけれど、パフォーマンス、トーク、アイドルとしての考え方は今に至るまでずっと好きだ。尊敬している。2020年に入って、一度地雷を踏み抜かれて複雑な感情になったことはあったけれど、私は彼のお客さんなのだし好きな面だけを見ようと決めた。

2019年9月 男闘呼組をはじめとした昭和ジャニーズにハマる。

2019年9月17日 舞台『少年たち To be!』観劇。北斗が美しくて、北斗担でよかったーと思う。単純……。

2019年11月19日 Rough"xxxxxx" 東京国際フォーラム追加公演にお邪魔する。やっぱり北斗は美人。でも、遠くから見ていて綺麗だな〜と思っていても、目の前に来るとなぜか冷静になる。キャー! とファンサを求める渦と、その中心にいるその人を、ただぼんやりと眺めていた。チェンエラの時もそうだったけれど、北斗が物理的に近くに来るとぽかーんとしてしまうのはなんなんだろう。私にとって、北斗の肉体は正直どうでもいい。北斗の「深層心理」の言葉とか、表現とか、そういうもののほうがずっと近くに感じる。私が見ているのは目の前の松村北斗ではなく、私の中で作り上げた松村北斗なのだ。

2020年1月6日 TrackONE -IMPACT- 横アリ公演にお邪魔する。SixTONESはやっぱり最強。だけど、北斗のことは何も覚えていない。たくさんの人に愛されていて安心した、と思っていたと思う。

2020年1月22日〜26日 金銭感覚を追い詰めながら初週を駆け抜けた。 全部樹のためにやった。

2020年3月2日 無所Jr.7人組、通称クリエCによる〈ファンファーレ!〉リハ動画が公開される。私は横原悠毅を知り、恋に落ちる。

2020年5月 自粛期間中、クリエCの7人がほとんど毎日リモート動画を更新してくれる。正直、10代で出会い自分たちでグループになることを選んだSixTONESと違って、ついこの間無所Jr.の中から選抜されただけの7人が「7人」であることは、どこに必然性があるのだろうかと思っていた。でもリモート動画でのYouTube組に引けを取らないトークとその役割分担で、7人の相性がとてもいいことがよくわかった。それから、クリエの打ち合わせ・リハーサルのためにほとんど毎日集まっていたこと、年齢も年齢だからここでグループになるしかないラストチャンスだということで、7人の必然性は選抜された後に始まったのだと納得した。すんなりクリエ公演ができていればまた違ったのかもしれないけれど、クリエが中止になり、バラバラになってもおかしくない状況で、7人で話し合ってリモート動画をたくさん撮ったという経験が、7人を「7人」にしていったのだと思う。事務所のお膳立ての上なのかもしれない、いやそうなのだろうけれど、私は7人の空気感が好きで、そして何より、横原くんが大好きなのだ。7人のため、横原くんのためなら、副社長に転がされたっていい。

2020年6月 北斗をモデルに、1週間で2万3000字の小説を書く。授業のため。まだ私の中の松村北斗にすがることができていた。

2020年7月22日〜26日 半年前にぶっ壊した金銭感覚が役に立った。

2020年7月 慎太郎をモデルに、1ヶ月かけて2万2000字の小説を書く。これまで何度か中村海人や松倉で短いものを書いたことがあったし、別に北斗でなくても特別な感情を抱けるモデルさえいれば書ける。むしろ北斗でないほうが、考え方も好みも合わない他人だと割り切れて、見たい面だけ見てフィクションにできる。あと、夢小説だと言わなければ誰にもバレない。

2020年8月 北斗は仕事でどんどんいわゆる「イケメン」になっていく。仕事に関する話題や当たり障りのない話ばかり聞くので、自分が北斗の何に執着していたのかだんだん忘れていく。私が持っていなくて北斗が持っているものを羨んでキレていた時のほうがまだよかった。北斗が何を言っても何をしても、他人事のように頭と心をすり抜けていく。もう少し待てばまた北斗のめんどくさいところや「深層心理」なんかが見られるのかもしれない。今は仕事で忙しくて、そういう部分に構う暇がないのだろう。心の病には、余裕がなければ罹らないのだ。そんな中、運悪くと言えるのか、運良くと言えるのか、Summer Paradise 2020 ジャニーズJr.公演の配信で、クリエCによる1時間半のステージを見た。横原くんと基がほとんどの構成・演出・振付を担当したそうだ。横原くんの歌声も初めてしっかりと聴いた。私は横原くんが大好きだ。外見はもちろん、声や喋り方、思考回路や話す内容(これが一番好き)、ダンス、歌、頭のよさ、優しさ、大人でしっかり者だけれど心を許した相手には甘えてボケたがるところ、何でもできるように見えてまだプロになりきれていない部分があるところ、天才に見えて秀才タイプなところ、その何もかもが大好きなのだ。ISLAND TVで、動いて喋っているのを初めて見て2秒で恋に落ちて、好きな面だけ見ていようとはなぜかならず過去の動画やテキストを夢中で漁って、いろんな面が見えてきて最初に抱いていた印象とは全然違う人だとわかったけれど、むしろそうやって見えてきた横原くんは全部が全部私の理想の男性で、一度も嫌いになることがなくて、ずーっと好きで……横原くんを知ってもうすぐで半年になるけれど、未だに「横原」なんて気安く呼べないし、顔を見るとすぐ頰が緩んでしまう。これまで、まだ自分がどんな人を好きなのかわからず「選んだから好きになった」自担か、「大好きで大嫌い」な執着とも言える自担しか経験してこなかったから、初めて、推すとか、世界一かっこいいとか、結婚したいとか、そういう、いろんなジャニヲタのみなさんが言っていることの本当の意味を知った。人を好きになる感情を初めて知った。(友人に横原くんのことを話したら、「リアコなんだね」と言われたので、厳密にアイドルを好きになる感情ではないのだろう。私はアイドルが好きだけれど、アイドルとしてだけ好きな人はすぐに飽きる。)けれど、そういった「好き」が自分の執着の全てではないことを、私はすでによく知ってしまっていた。

 

 

 

松村北斗の好きなところ

・コンプレックスのある人が好きなところ

(私はコンプレックスはない、ということにしている。せめて自分くらいは、ありのままの自分自身で満足してあげたい)

・自分と似ている人が好きなところ

(私は北斗と似てないし、北斗が言う「似ている人」もたぶん北斗とは似てないと思うけど)

・小説や映画や美術など芸術全般が好きなところ

(北斗が好きだと言って教えてくれる映画は、観ればだいたい刺さる。小説は、エンタメを読み慣れていないので読み進められないものが多いけれど、『きりこについて』は号泣した。音楽の趣味はびっくりするくらい合わない。向こうはNEWSとKAT-TUNで育った男性、私は嵐と関ジャニ∞で育った女性だから仕方ないのかもしれない。私はスピッツブルーハーツが好き)

・好きなことと興味のないことに対する態度の差が激しいところ

(中学の頃これで親に叱られたので。直さなくても許される人はいるんだと思った。今は私が喋りすぎても「面白い」と聞いてくれる友人が何人もいて、恵まれています)

・ステファンの「『あの人、こう思っているのかな』とかって、誰かが何かを見たことで生まれる感情とかを考えることがすごく好き」なところ

(読んだ当初は私も! と思ったけれど、今読み返してみたら私は実際文章を書く時は自分のことしか考えてないから、全然違った。都合よく解釈してた)

・「ヘドの出る文章」が好きなところ

(このブログどう?)

・口が悪いところ

・自分は万人には好かれないと思っているところ

(あんだけたくさんのファンに愛されといて何ぬかしとんじゃと嫌いなところでもある)

・友達がいないと思っているところ

(私だって友達いないと思ってたけど、友達がいない理由は北斗と全然違うし、今は今友達でいてくれている人たちをできる限り大事にしたいと思ってる)

・好きな服を着ているところ

(ファッションは自己表現)

・役者をやりがっているところ

・小説を書きたがっているところ

(そう簡単に書けてもらっては困るけど。私の8年間何だったんだってなる)

・アイドルが好きなところ

・みはり

(あの表現ができる人だって知ってるからこそ、そう簡単に諦められない。過去にすがってるみたいでキモいし過去が浅すぎるけど)

・時々ヘドバンするところ

(じゃあなんで京本さんじゃないかって? たぶんタイミングが違えば京本担でもおかしくなかったと思う)

・世界観に没入するところ

(魅せ方がうまいってよく言うけど、見られることを前提としたパフォーマンスはあまり刺さらない。感情に支配されていて、見られているのを忘れているかのような姿が好き。きっと「そう見せている」だけで本当は全部計算なんだろうけど)

 

 

北斗を私物化しようとするのはやめようと思った。でも、そうやって私が北斗担である理由を一つずつ否定していったら、何も残らなかった。北斗は私の思ってるような人じゃない、もっとまともで、真っ当で、正しくて、綺麗で、かっこいい人だ。そう言い聞かせるたび、松村北斗は私にとってどうでもいい存在になっていった。私は北斗のことを好きなんかじゃなかったし、ただ理想を当てはめていただけだから、松村北斗それ自体を全く見ていなかった。

 

松村北斗は私の創作意欲だった。北斗を考えることは、すなわち鏡写しに自分自身を考えることだった。

横原くんや宮近さんを見ている時、私は無になる。「あなたはそうだけど、私はこう」なんていうふうに口を挟めない。人格のない大勢の観客の一人でいる。

北斗について考える時、必ず「私はこう」が出てくる。北斗と話したい。本当のところが知りたい。だけど、それは自分自身の内面だけの、ひとりよがりな対話"風"にすぎない。目の前の松村北斗に、内なる北斗を重ねることをやめよう。

客観的に、こことこことここが評価すべき点だ、ということならいくらでも言える。けれど、私が北斗担である理由は、そこには一つもない。

 

北斗担アンケートの記事の、一番最後の文章を書いている時、「みんな北斗くんのこと大好きなんだよ。みんな、北斗くんに幸せでいてほしいと思ってる」の「みんな」に、私は含まれていないということを痛いほど感じた。

私はSixTONESに幸せになってほしいけれど、北斗に不幸になってほしい。北斗が叩かれれば叩かれるほど嬉しい。そうでなければ、私と無関係に、勝手に幸せになってしまえばいい。

「だからどうか、自信を持って生きてください。北斗担を信じて、甘えて、頼ってください。あなたは素晴らしい人です」

___あなたは私と違って愛されるべき素晴らしい人なんだから、大勢のファンに愛されていることを認めてください。

 

それでもまだ北斗担でいるということは、本心ではさっき挙げた理由を全部肯定されたいのだろう。その浅はかな希望を、執念深く捨て切れないのだろう。

北斗に限らず、他人に自己投影などしなくても生きていけるようにならなければいけない。私は他人のことをわからないように、他人もまた、誰も私のことをわからないのだ。それが当たり前なのだ。人は孤独で当然なのだ。孤独は、嘆いていいものではない。

 

北斗と出会う前から小説を書いていたのだから、北斗がいなくても小説は書けるはずだ。

自分をありのままで肯定してくれそうな人に甘えて期待していただけだ。ありのままで愛されようなんて浅はかで愚かだ。人に気に入られるための努力をしないならば、孤独のうちに死ぬのが妥当だ。人に気に入られるために取り繕っても空虚なだけだろう。孤独は避けられないものなのだ。ならば受け入れるしかない。

 

大好きな友人に、大好きで何度聴いても泣いてしまう歌の歌詞について、ここはこう解釈できるんだと説明しながら思わず泣いてしまった時、私のことを「面白い人だね」と言われた。

好きな人とわかり合いたいだなんて、そんな幻想を抱くのはやめようと思った。