沼底を撫ぜる(小説)

   沼底を撫ぜる(小説)

 

 

 冬馬が勧めてくれた映画の中に、身寄りのない老人の家に上がり込んで世話をして生活する家のない女の人がいて、私にああいう図々しさとコミュニケーション能力があればと思う。家もお金もなくした時、私は何だってするだろうか。自分にはできないと接客業も塾講師も遠ざけた私が。最近、風俗業の女の人たちについて時々調べている。私は今年の三月に、偶然、そういう職業の女の人と会って話をした。彼女は男を相手に仕事をしていたけれど、レズビアンだった。私は彼女に連れられて生まれて初めてラブホテルに入った。彼女に求められるがままにキスをしてやり、しかし体を預けることはどうしてもできなかった。したくもなかった。ベッドの上の私の肉体はただのゴム塊で、触れるものすべてが不快な音と臭いを立てた。彼女は体しか欲しがらなかった。私は彼女の話が聞きたかった。聞けば、私は彼女が持っていないものをすべて持っているらしかった。彼女は私を羨んだ。彼女は小さい頃成績優秀だったが、ある時不登校になり、それから何もかもが絶たれたそうだった。申し訳ないが、詳しいことはよく覚えていない。私は彼女の敏感な部分を執拗に追及し続け、とうとう彼女を泣かせた。隣に寝転んでいた彼女が静かに泣き出した瞬間、私は彼女を初めて愛おしいと感じた。そうして彼女を後ろから抱きしめた。彼女は嫌がった。その晩、私は夜明けが近くなるまで眠ることができず、彼女の無遠慮ないびきを聞きながら、自分自身の愛について考えを巡らせていた。

 私を好きだと言ってくれる人がいた。その人は私よりも年下で、私が彼のことを熱心に聞いてくれるから甘えているだけなのだと私にはよくわかっていた。彼は自分のことを話したがらなかった。けれど、それは諦めているだけだった。話しても無駄だし誰も自分のことになど興味がないと思っているだけで、本当は聞いてほしい、構ってほしいのだと私には感じられた。それというのも、彼は十代の頃の私によく似ていたからだ。彼は私以外の人の前で、自分を偽っているらしかった。人気者を演じていたが、彼が自分で「友達」と呼べる相手はほんの少ししかいなかった。私からすれば、彼は「友達」の基準が高すぎた。その「友達」以外の知り合いのことを、彼は私との会話の中で散々にこき下ろした。私は笑った。彼自身の話をするよりも、彼の周囲の人物の話を聞くほうが、普段は気が楽だった。

 彼は自分のことを話したがらなかった。だから私は苦戦したし、彼には私の面影があって、簡単に諦めてしまうわけにはいかない気はしていたが、それでも私は彼のことを愛せなかった。私はただ、「会話で相手を喜ばせるにはとにかく質問をする」を実践しただけだった。彼もそのことはよくわかっていた。だからこそ、彼は私を愛しながら、諦めていた。私は何もかもを諦めてきた彼にまた失望させてしまうことを申し訳なく思った。しかしその申し訳なさ、自分の意思を押し殺してでも他人の期待に沿わなければ申し訳ないようなその感じ方というのは、あってはならないものだった。その申し訳なさを帯びてしまったからこそ、私は風俗嬢に連れられるがままにラブホテルへと入り、相手と自分自身を交互に傷つけてしまったのだ。

 私は彼に思わせぶりな態度をとりながら、かつて愛していた人に連絡をし、そのことをあとで彼に伝えた。当然、彼は激昂した。私を最低だと罵り、私を彼のところへきつく縛りつけておきたい意を露わにした。私はその時、ずたずたに傷つけられながら、初めて彼を愛おしいと感じたのだ。一人の人間の核心に触れる最も効率的な方法は、その人を傷つけることだった。彼とはその後、また以前のように彼自身や彼の周囲について話しながら数ヶ月間を過ごしたけれど、結局何ともならなかった。私が彼を愛したのは、彼が私を憎んだあの一瞬だけだった。

 決壊した感情を浴びる。目の前のその人の刃がたった一人の私だけに向かっている。それは私にとって、愛の代替物だった。私はできるだけ多くの、そして深く個人的な言葉を人から聞き出し、その人の中へ、奥へと潜り、その人をまともな社会的人間にさせているところの内なる弁を、激情が、私のために溢れ出た激情がたちまち押し流していくのを、見、体いっぱいに浴び、感じた。それで私は満たされるのだった。私は私の体の中で、今にも決壊せんばかりに渦巻く感情の濁流を愛していた。悲しみは甘美だ。孤独は私を特別な存在に感じさせる。人間は誰しも、その核心の部分に獣を飼っているはずだった。私以外の人間は、その獣に首輪をつけて飼い馴らすか、殴って目を潰し、脚を折って、使い物にならなくしている者ばかりだった。私は月が昇ると、誰かの獣小屋の中へそっと入って行き、その美しい毛並みを撫でる。獣は緑色の双眼を爛々と光らせ、私の姿をじっと見る。月が私の裸体を照らしている。私は私自身、この人間のままで獣であった。

 私の知る人の中で唯一、冬馬は、私と同じように人の心の柔らかい部分に触ろうとする人間だった。冬馬の指は一般的な男性よりもずっと細長く繊細で、人をそっと撫でるのに適していた。冬馬は私のように人を傷つけて無理矢理こじ開けたりはせずに、その艶のある声色、深く潤んだ黒い瞳、舞うような身のこなしで、人の心を溶かして暴くことができた。冬馬にはその才能があったのだ。私は冬馬が羨ましかった。冬馬はいつも愛されたがっていた。彼は愛を知らなかったのだ。冬馬は数え切れない人々を惹きつけ、そしてこれ以上ないくらいに愛されていたけれど、それを認めようとしなかった。彼はただ「好きだ」「愛している」とだけ言われる愛を信用できなかった。だから、人の核心に踏み入ろうとするのだ。

 彼はまた、彼自身を暴いて見せようともした。たいていは要領を得ず、誰にも伝わらない言葉で、うんと遠回しに、彼曰く「ヘドの出る文章」で表現された。彼はほとんどの領域において私を遥かに凌駕していたけれど、彼の書くものだけは、私には微笑ましかった。彼の言葉は核心の周りをぐるぐると回り、見せたいけれどまだ恥ずかしい、恥ずかしいからそれらしく装飾し、そういう部分があるのだと仄めかすだけに留めて、その先へ入る道は用意されていなかった。おそらく彼自身もそこへ辿り着けたことはないのだろう。ぐるぐるぐるぐる、ただ周りを歩いて、微かに漂うメランコリックな香りに肺を浸し、静かに酔い痴れている。人間が自身の核心に至り、そしてまたそれを正確に伝えるには、形のない道具と、それを得るための途方もない努力を必要とする。私の道具も誰かから見れば陳腐で、稚拙で、ほんの微笑ましいものなのだろう。私は私の努力を、まだ、書いてきた文字数だとか、得てきた評価や肩書きでしか測ることができない。私がこれまでのまだ何ものにもなっていない成果に甘えて油断している間に、冬馬があの真っ当な努力で颯爽と抜き去っていくことだって、十分にあり得るだろう。冬馬には私と違って、全くの悲劇的な感情なしに、真っ当に前へ前へと努力する才能があるのだ。私は彼を羨んでいる。羨んで、そうして何もしないでいる。羨みとは、妬み、僻みであり、冬馬をあそこから引きずり下ろそうとする憎しみなのだ。十分に愛され、人格にも恵まれ、彼は一体これ以上何を望むのか。彼が彼自身を嘆く理由は、今の私には何一つ見つからない。

 はじめ、私は彼の主観的な語りばかりを聞いていた。彼を取り巻く環境を一切知らずに彼を見たのだから当然だ。彼はこう言った。自分は万人には好かれない。「友達」がいない。面倒臭い性格をしている。

 彼はまたこうも言った。自分と似ている人が好きだ。普段感情を表に出さない人が、僕と喋っている時だけ笑うというのが理想だ。私は普段楽しそうに笑っている人を、私のせいで傷つけて泣かせたかった。それはまた、私が傷つけられたいという欲望の裏返しだった。

 彼は「友達」がいなくて、人見知りで、生きづらい女の子に感情移入をしていた。彼はとても生きづらそうに見えた。常に愛に飢えているように見えた。それは、「見えた」だけかもしれなかった。それでも、冬馬の「生きづらそう」なさまは、私の拠り所になるには十分だった。

 私は小さい頃から、「友達」がいなかった。気の強い幼馴染とは、いつの間にか上下関係ができていた。私は同じ年の女の子たちよりうんととろくて、一人娘で何も知らないままに育って、嫌だと思うことが少なかった。かくれんぼで毎日鬼にされて公園の真ん中に取り残されても、下校中に傘を壊されても、私の部屋で遊んでいて三人にのしかかられ下敷きになっても、私は何とも思わなかった。今思い返してみて、それらを何とも思わなかったことそれ自体がかわいそうだと思う。休み時間に好きで描いていた漫画は、クラスメイトに貸して読ませているうちに、クラスメイトを登場させて喜ばせるためのものに変わっていった。それは中学まで続いた。体育祭のチアガールをやるのが嫌で一人の女の子が泣いて、この場を終わらせなければとかわりに立候補した。私は体を動かすのが下手くそだった。私はチアガールの一番下で、醜態を晒した。

 それよりも、英単語を覚えられないことのほうがずっと恥ずかしかった。毎週の小テストまでに範囲の半分も覚えられなくて、いつしか堂々とカンニングをするようになった。クラスの誰かがそれを見て先生に報告し、呼び出され、うまくはぐらかせてお咎めなしとなった時、うまくやりさえすれば世の中は全く怖くないのだと、生まれて初めての明確な悪意が芽生えた。

 小学校に入ってから高校を卒業するまで、私は一貫して「しっかり者の××さん」だった。そういうふうに見せかけなければ居場所はなくなるものと思っていた。私は「物分かりのいい子だ」と教師に信頼され、当時は得意だった絵を行事のしおりに使ってもらって賞賛され、そのうち勉強も人に頼られるくらいになった。友達はいなかった。私は他人から友達だと思ってもらえるような人間ではないと思っていた。私はどこまでも都合のいい××さんであって、人から望まれるままに働く機械であった。私は恵まれていた。私がどんなに風変わりで、流行に疎くて、とろくて、獣じみた外見をしていても、学校には毎日私の席があり、私に話しかける人はいなかったけれど、私に直接危害を与える人も一人もいなかった。あるいは、私はむしろ普通の子のようになれないことを哀れまれていたのかもしれない。

 当時のクラスメイトとは、今は誰一人連絡を取っていない。友達ではなかったのだから当然だ。私は記憶の中の、クラスにいたちょっと変なあの人で、クラスの人数を埋め合わせるためだけの装置で、クラスが終わればぼんやりと霞み、忘れ去ってしまうべき誰かさんだった。そうであることを望んだ。当時の私の姿はあまりにも醜かったので、華やかな青春時代を過ごした美しいクラスメイトたちからは、すぐに忘れられたかった。

 私は中学の卒業アルバムのグループ写真に、あとから合成された。どこのグループにも、友達ではない私が入ることで迷惑がかかるだろうと思って、どこにも入れなかった。入りたくもなかったのだ。私は思い出の中になど残らず、すぐに忘れられたかった。

 私はここから逃げたかった。一人だけ、絶対的な味方を作って、この世から駆け落ちをしたかった。逃げる先などない。世界はどこまで行っても世界で、容赦なく私たちを追いかけてくる。頑丈な壁で囲って、たった二人で立て籠もって、ゆっくりと愛し合いながら静かに死を待つだけ、それだけがしたかった。そのためには、私と同じ願望を持つもう一人が必要だった。

 社会にそんな愚かな願望を露わにすることは、許されていない。私たちは芸術の中だけでそうすることが許される。私は青春時代に、そうやって個人的な吐露を繰り返して私の胸をずたずたに突き刺す小説をいくつも読んだ。芸術表現の中でのみ、個人的な孤独や悲劇を嘆いても誰からも責められず、むしろ共感する受け取り手までが現れる。彼は私が書き綴った個人的な痛み苦しみを、自分も受けたと言うのだ。彼は彼自身の核心を開いて見せる。私のそれとそっくり同じものが入っている。彼の外見は私と似ても似つかない。長く逞しい腕、広い肩、控えめで涼しげな両の目、そして何より、創造主がこれ以上ないほど丁寧に、細長い指先でそっと優しく摘んで創ったような、革命のようにまっすぐ尖った鼻。世にも美しい姿をして、その中に痛みも寂しさも渇望をも隠し持っている彼は、私と同じく一人の人間なのだと、私はにわかに理解した。彼が私を生まれて初めて許すように、私も彼を許したいと思った。私は許されたかったのだ。踵を浮かせて手に入れた功績を褒め称えられるのではなく、この私が生まれ持った醜さを、汚さを、愚かさを、それを自覚していながらそれでも誰かに愛されたいと願ってしまうこのどうしようもなさを、ここに確かにあるものだと認められたかったのだ。

 彼の悲しみは、彼が悲しむというだけで美しく見えた。私の惨めな悲しみこそが本当の悲しみではないかと思った。美しいものは、美しいというだけで愛され、恵まれる。本当に一人ぽっちになれるのは、醜いものでしかあり得なかった。それでも私には彼が必要だった。彼の美しさと無関係に、彼の中身だけが必要だった。醜い私と、美しい彼の、両方の中身だけを取り出して、対等な魂だけで存在したかった。そのためには、彼の美しさを賞賛する世の中のすべてが邪魔だった。彼がすべての人から憎まれればいいと思った。彼が本当に一人ぽっちになって、私と同じになって、外見の美醜など何も関係がなくなった時、その時初めて彼の悲しみは切実なものとなり、絶対的な私の味方になるだろうと思った。私たちはそうして絶対的な悲しみを互いに慰め合って、たった二人で死んでゆけるのだ。私たちは互いの中身を見せ合うために、言葉を必要とした。言葉は匙の形をしていて、互いの魂を少しずつ削り取り、私たちはそれを美味しく食べ合う。二人ともがたっぷりと満たされた時、もうどちらにも命は残っていないだろう。それが私たちの幸いなのだ。

 私は彼に私の言葉を読ませたかった。私の小説を形にするしかなかった。彼の勧めた映画を山ほど観た。そこには私や彼と同じ寂しさを抱いている登場人物たちがいた。彼らはそれを愛と呼んだ。彼らはその愛によってハッピーエンドを作り、私はまたも許された心地がして何度も泣いた。私たちはハッピーエンドを望んだ。非現実的だとわかっていながら、それを思い描き、形にしようとする作り手が、私たちの他にも何人もいて、彼らの作品が認められる限り私たちの愚かな願望もまた認められるのだ。私は彼のために、愛の物語を書きたかった。私は社会的な私の裏で、ひっそりと、たった一人で、この願望を正確に写し取った小説を書き上げようと苦心した。それは当然、簡単に成就されるものではなかった。

 その時に書いたものの一欠片を、ここに抜き書きしておきたいと思う。

(眠れない夜があったんでしょう。鏡に映る、自分の顔の輪郭が奇妙な形に見えて、頰の余白が果てしなく思えて、奥二重の両目が瞼に埋もれて消えていってしまうように感じて、あなたは毎晩眠れなかった。可愛いよ、あなたは)

 

 私は、一人の男の人を好きになった。私はその人に、冬馬に対するそれとは全く違う感情を抱いた。私はその男の人を尊敬し、その人に幸せになってほしいと思った。これが愛なのだと気づいた。じゃあ、私が今まで愛だと思っていたものは、何?

 冬馬は私の知らない間に、どんどん真っ当な人になっていった。彼は際限なく美しくなった。彼が自分の中身を切り開いて見せることはなくなり、私もまた彼のそれに興味を示さなくなり、私には冬馬の肉体しか見えなくなった。肉体はゴム塊だ。創造主によって、自由に、不平等に造形され、明確な美醜の基準が人間の手でそこかしこに定義されているけれど、私はただの物質の何が美しくて何が醜いのかわからない。その物質が唇の両端をぐわりと持ち上げて笑う時、あるいは憎しみに眉を歪めて怒鳴り声を上げる時、そして子供のように大声を上げて泣き喚く時、それこそが、真に美しい人間の姿ではないだろうか。私は、私の言葉で人を喜ばせ、怒らせ、泣かせることもできると知った。彼らが望むことを書くだけならいくらでもできる。単純に喜ばせ、笑わせるだけならば造作ないことだ。しかし、そこにどれだけの深度があると言うのだろうか。私が私自身の中身を切り開いて見せることのないまま、ただ表面的な技巧だけで飾り立てた文章に、何の価値があると言うのか。私は商業作家になりたいわけでは全くない。この世のどこかに確かにいる、私と同じ痛みを抱えた誰かに、ここに味方がいるよと知らせたいだけなのだ。そして、私自身の味方が欲しいだけなのだ。私たちのことがわからない幸せな人々には、全く関係のないことだ。

 冬馬よりずっと醜く、切実な悲しみを抱えた誰かがいればと思う。見渡す限り、誰もが美しく幸せそうに見えて、私はめまいがする。冬馬のかわりが見つかっていない今、冬馬を手放せば、私は本当に一人になってしまう。冬馬が現れなければ、誰かとわかり合えるかもしれないなどという浅はかな希望を持つことはなかった。たった一人で絶望のうちに死ぬことだってできた。けれど、私は生きていて、冬馬を知って、冬馬の好きな作品を知って、この世のどこかに、私のことをわかって、いや、わからなくとも認めて許してくれる人がいるのかもしれないと願ってしまった。私はその人を見つけるまで、書くことも、生きることもやめられなくなってしまった。

 その人を見つけるまで、私は死ねない。私が死ぬ理由は、その人だけなのだ。果てしなく甘美な激情に飲まれて、二人でこの世から駆け落ちする。……理想はイメージを生じない限り、求められることも悩ませることもない。理想は思い描けてしまった瞬間、人生すべてを支配する。理想は頭で思い描けても、現実には叶わない。私は果てしない渇望の海を、足のつかないまま泳ぎ続けるしかなくなった。

 私はその咎で冬馬を責めたい。私が身勝手に期待した罰だろうが、思わせぶりに振る舞ったのは冬馬のほうではないか。冬馬のかわりに私の理想を叶え、人生を救ってくれる人が現れなければ、彼はどう責任を取ってくれるのだろうか。どれだけ責めても、冬馬は私のことをこれっぽっちも知らない。冬馬は私と関係なく、勝手に幸せになる。言葉を食べ合って愛し合う甘美さを、彼はもう忘れてしまったのだろうか。私だって幸せになれないとは限らない。でも、どれだけ幸せになっても、不幸せの只中でたった二人の幸せを成し遂げる幸せは、この世では手に入らない。だから私はまだ幸せになるわけにはいかない。書き続けたいのだ。冬馬がいなくなっても、私は本当に私と同じ悲しみを持ってきてくれる誰かのために、そしてそれを望む自分自身のために、やはり書き続けて生きたいのだ。途方もない道程になると思う。運次第だとも言える。それでも私にはこれしかない。私が私の味方でいなくて、どうすると言うのだ。

 

 

ジャン・ジュネ(1968)『泥棒日記朝吹三吉訳、新潮社 を読んで

2020年8月20日

沼底を撫ぜる

 

 

 

いよいよごまかしが効かなくなってきたので、自分を解剖する目的で時系列順に整理していこうと思います。

 

中学に上がる直前の春休み たまたま黒の女教師を見て、こんなに演技が上手いジャニーズJr.がいるのかと衝撃を受ける。ストーリーや具体的な演技は全く記憶にないけれど、なぜかとにかく演技がすごかったということだけ覚えている。当時は嵐ファン兼、新米eighter。

中学時代 eighter。安田担。最初は、可愛いからというだけの理由だった。好きだから選んだというより、選んだから好きになった。私と縁遠い海やファッションやギターに、淡い憧れを抱くようになった。

高校時代 JUMP担。山田担。髙木に落ちるつもりだったのに。めんどくさい感情に支配された暗黒時代。自担が大好きで大嫌いだった。

大学入学 JUMPは冷めて、エイトに出戻る。安田さんが大病をして、彼の思想を知る機会が増え、私の思想の根幹になる。

2018年11月4日 まだeighter。SixTONESがJAPONICA STYLEという楽曲のMVをYouTubeにアップしたと知り、ジャニヲタとして見ておかねばと再生する。京本大我の美しさに衝撃を受ける。いい意味で京本しか覚えていない。この頃、友人と原宿に行って、駅に貼り出されていたSixTONESの広告を、一人ずつ指さして紹介していった。顔と名前と家系くらいしか知らなかったけれど、友人は名前も知らなかったので。

2018年12月29日 8時だJ同窓会にて、Travis Japanの金髪マッシュの人の素敵な笑顔に目を留める。中村海人くんだと知り、心の片隅にメモる。SixTONESに関しては、「北斗くんと京本くんは今日も輝いてるな〜」というくらいの感想。私の中で、SixTONESは好き嫌い以前に当たり前すぎた。

2019年1月中旬 体調を崩して寝込む。しんどいから勉強もできないし、でも何もすることがないのはもっとしんどいので、そういえばと思いジャニーズJr.チャンネルを見始める。まずトラジャ。平和でほっこりする。中村海人くんがヒモキャラだと知り、こりゃオタクホイホイだとちょっと腰が引ける。その後HiHiを見てみる。SixTONESは怖そうだし人気なのがわかってたから(どうせならマイナーなほうから攻めたかったのと、歴代自軍が嵐エイトJUMPなのでトラジャとHiHiが方向性的に近いんじゃないかと思っていた)、なんとなく後回しにする。

2019年1月19日 ストトラコラボの花火の動画に行き当たって、仕方なくSixTONESの動画を見てみる。段違いの面白さに衝撃を受ける。以降数日間、夢中でSixTONESの動画を見続ける。楽しそうすぎて、「SixTONESになりたい(SixTONESのノリに混ざりたいという意味で)」と思う。

2019年1月22日 松村北斗の担当を名乗る。なぜ北斗だったのか。一番最初に私が彼に冠した形容詞は、「麗しい」だったらしい。顔はあまり見ていなかった。声も覚えられなかった。「麗しい」のは、彼の醸す雰囲気だったのだろう。彼のファッションが好きだった。個性的だと言われているのは後から知った。最初はそこまで風変わりだとは思っていなかった。流行っていた80年代風ファッションに彼独自の感性が掛け合わさっていて、素敵だなと思った。私は安田担だったので、「個性的なファッションの人に悪い人はいない」という価値観があった。それから、トークでの役割が普段の自分に近いなと思って親近感を抱いた。何より、私が人生で絶対に関わらないであろう陽キャ集団の中で、陰キャ然としているのに居場所を持っているのがよかった。顔はそんなに好きじゃない。顔が好きなのは中村海人だ。20代の櫻井翔の顔がとっても好きなので察してほしい。とはいえ、JUMPの髙木の顔も好きなので、北斗の顔も全く好きじゃないわけではないと思う。

2019年1月末〜2月 最初に仲良くなったスト担さんたち(いろいろあって今は連絡を取っていない)と電話した時、喋り方が北斗に似ていると言われた。私はまだ北斗の声も喋り方も覚えていなかったのに(私は耳から入ってくる情報にとことん鈍感なのだ)。北斗のテキストをいろいろと読み漁っていくうち、「私と似てる」と思ってしまう点がゴロゴロと出てくる。今では自分と北斗との違いはよーく考えてよーくわかっているが、当時の私が北斗に自分を重ねてしまうまでにはそう長い時間がかからなかった。北斗に対して私がよく言っていた言葉は、「かっこいい」より「好き」より、断然「わかる」だった。この頃からほぼ『パーフェクトワールド』までの間、北斗のことを「松村」としか呼べない。「北斗」は恥ずかしくて抵抗があった。

2019年3月17日 北斗が茶髪にしたことを知る。北斗のバージンヘアを生で見ることができなくなり、かなり落ち込む。私は生涯バージンヘアを守り抜くことを決意する。

2019年3月22日 CHANGE THE ERA -201ix- 横アリ公演にお邪魔する。SixTONESはそれまでマイブーム程度で、トラジャとどっちをどう推すか現場に行って決めようといった感じだった。結果、SixTONESのオーラ、パフォーマンスの迫力に圧倒され、「一生ついてく」と心に決める。北斗の〈みはり〉で、ペンライトを握りしめて立ちすくんでしまう。席はステージと一番遠い正面スタンドだったのに、トロッコで目の前まで来た時より断然、北斗の体温や息遣いを肌に感じた。この人の作るもの、表現するものを見ていきたいと思った。北斗がスタトロで目の前を通った時は、なぜか「生きてる!!」と思って爆笑した。京本さんの〈癒えない〉にも衝撃を受けた。京本さんは怖いし、私と正反対の考え方もするけれど、癒えないもRollin'のヘドバンも私を容赦なく抉ってくる。

2019年3月末 映画『少年たち』を観に行く前に、『ショーシャンクの空に』を観て号泣した。

2019年5月1日 SixTONES結成4周年の記念日、そして時代が令和になった時、私は『ピアノ・レッスン』を観て号泣していた。

2019年5月2日 CHANGE THE ERA -201ix- 城ホ公演。たぶん人生で一番近くで北斗を見て、二の腕の存在感がすごいなぁとだけ思う。

2019年4月〜6月 ドラマ『パーフェクトワールド』。実況ツイートで晴人くん晴人くんと盛り上がるのが楽しかった。晴人くんは北斗と全然違う人格で、何も考えずに可愛いかっこいいと盛り上がれた。あれこそアイドルだったんじゃないだろうか。

2019年7月頃 茶髪と役柄に引っ張られて、北斗の性格がすっかり明るくなる。私は「ほくちゃん」「わんこ」「可愛い」なんて言うことに抵抗がなくなる。好きか嫌いかで言ったら好きだ。だって明るくて可愛いし。でも、ドラマが始まる前のような執着心は薄れていた。「可愛い」などと言う相手は誰でもよかったし、可愛い人がいてもいなくても生きていける。

2019年7月11日 モンストツイートをしすぎてツイート制限を食らう。アイコンをスパムにする。これ以降、定期的に炎上するようになる。あまりに何度もするから、もう具体的にどんなことがあったか覚えていない。

2019年8月8日 FFのみなさんとともに、秋葉原パセラで8・8配信を鑑賞。北斗担が私一人だったのと、北斗のアイメイクがめちゃくちゃよくてパフォーマンスがオラついていたので、非常に刺さってかなり騒ぐ。私はまず「北斗が尊先の山Pと同じレーベルになれてよかった」と思って泣いて、そして帰り道に「これで一旦は不安から解放される」と思って泣いた。

2019年8月22日 Summer Paradise 2019 Travis Japan公演にて、宮近さんのパフォーマンスに惚れる。その前からいわゆる「ちゃかまちゅ」の影響で、宮近さんが意外とヤバい人だとわかり引きずり込まれていた。「ちゃかまちゅ」が顕在化するまでは、全くと言っていいほど宮近さんに興味がなかった。人間臭さや感情を剥き出しにして、見ている側の胸を掻き回すような人に私は落ちる。「ちゃかまちゅ」が日常化していくにつれて、この頃のように激しく惹かれる感情はなくなっていったけれど、パフォーマンス、トーク、アイドルとしての考え方は今に至るまでずっと好きだ。尊敬している。2020年に入って、一度地雷を踏み抜かれて複雑な感情になったことはあったけれど、私は彼のお客さんなのだし好きな面だけを見ようと決めた。

2019年9月 男闘呼組をはじめとした昭和ジャニーズにハマる。

2019年9月17日 舞台『少年たち To be!』観劇。北斗が美しくて、北斗担でよかったーと思う。単純……。

2019年11月19日 Rough"xxxxxx" 東京国際フォーラム追加公演にお邪魔する。やっぱり北斗は美人。でも、遠くから見ていて綺麗だな〜と思っていても、目の前に来るとなぜか冷静になる。キャー! とファンサを求める渦と、その中心にいるその人を、ただぼんやりと眺めていた。チェンエラの時もそうだったけれど、北斗が物理的に近くに来るとぽかーんとしてしまうのはなんなんだろう。私にとって、北斗の肉体は正直どうでもいい。北斗の「深層心理」の言葉とか、表現とか、そういうもののほうがずっと近くに感じる。私が見ているのは目の前の松村北斗ではなく、私の中で作り上げた松村北斗なのだ。

2020年1月6日 TrackONE -IMPACT- 横アリ公演にお邪魔する。SixTONESはやっぱり最強。だけど、北斗のことは何も覚えていない。たくさんの人に愛されていて安心した、と思っていたと思う。

2020年1月22日〜26日 金銭感覚を追い詰めながら初週を駆け抜けた。 全部樹のためにやった。

2020年3月2日 無所Jr.7人組、通称クリエCによる〈ファンファーレ!〉リハ動画が公開される。私は横原悠毅を知り、恋に落ちる。

2020年5月 自粛期間中、クリエCの7人がほとんど毎日リモート動画を更新してくれる。正直、10代で出会い自分たちでグループになることを選んだSixTONESと違って、ついこの間無所Jr.の中から選抜されただけの7人が「7人」であることは、どこに必然性があるのだろうかと思っていた。でもリモート動画でのYouTube組に引けを取らないトークとその役割分担で、7人の相性がとてもいいことがよくわかった。それから、クリエの打ち合わせ・リハーサルのためにほとんど毎日集まっていたこと、年齢も年齢だからここでグループになるしかないラストチャンスだということで、7人の必然性は選抜された後に始まったのだと納得した。すんなりクリエ公演ができていればまた違ったのかもしれないけれど、クリエが中止になり、バラバラになってもおかしくない状況で、7人で話し合ってリモート動画をたくさん撮ったという経験が、7人を「7人」にしていったのだと思う。事務所のお膳立ての上なのかもしれない、いやそうなのだろうけれど、私は7人の空気感が好きで、そして何より、横原くんが大好きなのだ。7人のため、横原くんのためなら、副社長に転がされたっていい。

2020年6月 北斗をモデルに、1週間で2万3000字の小説を書く。授業のため。まだ私の中の松村北斗にすがることができていた。

2020年7月22日〜26日 半年前にぶっ壊した金銭感覚が役に立った。

2020年7月 慎太郎をモデルに、1ヶ月かけて2万2000字の小説を書く。これまで何度か中村海人や松倉で短いものを書いたことがあったし、別に北斗でなくても特別な感情を抱けるモデルさえいれば書ける。むしろ北斗でないほうが、考え方も好みも合わない他人だと割り切れて、見たい面だけ見てフィクションにできる。あと、夢小説だと言わなければ誰にもバレない。

2020年8月 北斗は仕事でどんどんいわゆる「イケメン」になっていく。仕事に関する話題や当たり障りのない話ばかり聞くので、自分が北斗の何に執着していたのかだんだん忘れていく。私が持っていなくて北斗が持っているものを羨んでキレていた時のほうがまだよかった。北斗が何を言っても何をしても、他人事のように頭と心をすり抜けていく。もう少し待てばまた北斗のめんどくさいところや「深層心理」なんかが見られるのかもしれない。今は仕事で忙しくて、そういう部分に構う暇がないのだろう。心の病には、余裕がなければ罹らないのだ。そんな中、運悪くと言えるのか、運良くと言えるのか、Summer Paradise 2020 ジャニーズJr.公演の配信で、クリエCによる1時間半のステージを見た。横原くんと基がほとんどの構成・演出・振付を担当したそうだ。横原くんの歌声も初めてしっかりと聴いた。私は横原くんが大好きだ。外見はもちろん、声や喋り方、思考回路や話す内容(これが一番好き)、ダンス、歌、頭のよさ、優しさ、大人でしっかり者だけれど心を許した相手には甘えてボケたがるところ、何でもできるように見えてまだプロになりきれていない部分があるところ、天才に見えて秀才タイプなところ、その何もかもが大好きなのだ。ISLAND TVで、動いて喋っているのを初めて見て2秒で恋に落ちて、好きな面だけ見ていようとはなぜかならず過去の動画やテキストを夢中で漁って、いろんな面が見えてきて最初に抱いていた印象とは全然違う人だとわかったけれど、むしろそうやって見えてきた横原くんは全部が全部私の理想の男性で、一度も嫌いになることがなくて、ずーっと好きで……横原くんを知ってもうすぐで半年になるけれど、未だに「横原」なんて気安く呼べないし、顔を見るとすぐ頰が緩んでしまう。これまで、まだ自分がどんな人を好きなのかわからず「選んだから好きになった」自担か、「大好きで大嫌い」な執着とも言える自担しか経験してこなかったから、初めて、推すとか、世界一かっこいいとか、結婚したいとか、そういう、いろんなジャニヲタのみなさんが言っていることの本当の意味を知った。人を好きになる感情を初めて知った。(友人に横原くんのことを話したら、「リアコなんだね」と言われたので、厳密にアイドルを好きになる感情ではないのだろう。私はアイドルが好きだけれど、アイドルとしてだけ好きな人はすぐに飽きる。)けれど、そういった「好き」が自分の執着の全てではないことを、私はすでによく知ってしまっていた。

 

 

 

松村北斗の好きなところ

・コンプレックスのある人が好きなところ

(私はコンプレックスはない、ということにしている。せめて自分くらいは、ありのままの自分自身で満足してあげたい)

・自分と似ている人が好きなところ

(私は北斗と似てないし、北斗が言う「似ている人」もたぶん北斗とは似てないと思うけど)

・小説や映画や美術など芸術全般が好きなところ

(北斗が好きだと言って教えてくれる映画は、観ればだいたい刺さる。小説は、エンタメを読み慣れていないので読み進められないものが多いけれど、『きりこについて』は号泣した。音楽の趣味はびっくりするくらい合わない。向こうはNEWSとKAT-TUNで育った男性、私は嵐と関ジャニ∞で育った女性だから仕方ないのかもしれない。私はスピッツブルーハーツが好き)

・好きなことと興味のないことに対する態度の差が激しいところ

(中学の頃これで親に叱られたので。直さなくても許される人はいるんだと思った。今は私が喋りすぎても「面白い」と聞いてくれる友人が何人もいて、恵まれています)

・ステファンの「『あの人、こう思っているのかな』とかって、誰かが何かを見たことで生まれる感情とかを考えることがすごく好き」なところ

(読んだ当初は私も! と思ったけれど、今読み返してみたら私は実際文章を書く時は自分のことしか考えてないから、全然違った。都合よく解釈してた)

・「ヘドの出る文章」が好きなところ

(このブログどう?)

・口が悪いところ

・自分は万人には好かれないと思っているところ

(あんだけたくさんのファンに愛されといて何ぬかしとんじゃと嫌いなところでもある)

・友達がいないと思っているところ

(私だって友達いないと思ってたけど、友達がいない理由は北斗と全然違うし、今は今友達でいてくれている人たちをできる限り大事にしたいと思ってる)

・好きな服を着ているところ

(ファッションは自己表現)

・役者をやりがっているところ

・小説を書きたがっているところ

(そう簡単に書けてもらっては困るけど。私の8年間何だったんだってなる)

・アイドルが好きなところ

・みはり

(あの表現ができる人だって知ってるからこそ、そう簡単に諦められない。過去にすがってるみたいでキモいし過去が浅すぎるけど)

・時々ヘドバンするところ

(じゃあなんで京本さんじゃないかって? たぶんタイミングが違えば京本担でもおかしくなかったと思う)

・世界観に没入するところ

(魅せ方がうまいってよく言うけど、見られることを前提としたパフォーマンスはあまり刺さらない。感情に支配されていて、見られているのを忘れているかのような姿が好き。きっと「そう見せている」だけで本当は全部計算なんだろうけど)

 

 

北斗を私物化しようとするのはやめようと思った。でも、そうやって私が北斗担である理由を一つずつ否定していったら、何も残らなかった。北斗は私の思ってるような人じゃない、もっとまともで、真っ当で、正しくて、綺麗で、かっこいい人だ。そう言い聞かせるたび、松村北斗は私にとってどうでもいい存在になっていった。私は北斗のことを好きなんかじゃなかったし、ただ理想を当てはめていただけだから、松村北斗それ自体を全く見ていなかった。

 

松村北斗は私の創作意欲だった。北斗を考えることは、すなわち鏡写しに自分自身を考えることだった。

横原くんや宮近さんを見ている時、私は無になる。「あなたはそうだけど、私はこう」なんていうふうに口を挟めない。人格のない大勢の観客の一人でいる。

北斗について考える時、必ず「私はこう」が出てくる。北斗と話したい。本当のところが知りたい。だけど、それは自分自身の内面だけの、ひとりよがりな対話"風"にすぎない。目の前の松村北斗に、内なる北斗を重ねることをやめよう。

客観的に、こことこことここが評価すべき点だ、ということならいくらでも言える。けれど、私が北斗担である理由は、そこには一つもない。

 

北斗担アンケートの記事の、一番最後の文章を書いている時、「みんな北斗くんのこと大好きなんだよ。みんな、北斗くんに幸せでいてほしいと思ってる」の「みんな」に、私は含まれていないということを痛いほど感じた。

私はSixTONESに幸せになってほしいけれど、北斗に不幸になってほしい。北斗が叩かれれば叩かれるほど嬉しい。そうでなければ、私と無関係に、勝手に幸せになってしまえばいい。

「だからどうか、自信を持って生きてください。北斗担を信じて、甘えて、頼ってください。あなたは素晴らしい人です」

___あなたは私と違って愛されるべき素晴らしい人なんだから、大勢のファンに愛されていることを認めてください。

 

それでもまだ北斗担でいるということは、本心ではさっき挙げた理由を全部肯定されたいのだろう。その浅はかな希望を、執念深く捨て切れないのだろう。

北斗に限らず、他人に自己投影などしなくても生きていけるようにならなければいけない。私は他人のことをわからないように、他人もまた、誰も私のことをわからないのだ。それが当たり前なのだ。人は孤独で当然なのだ。孤独は、嘆いていいものではない。

 

北斗と出会う前から小説を書いていたのだから、北斗がいなくても小説は書けるはずだ。

自分をありのままで肯定してくれそうな人に甘えて期待していただけだ。ありのままで愛されようなんて浅はかで愚かだ。人に気に入られるための努力をしないならば、孤独のうちに死ぬのが妥当だ。人に気に入られるために取り繕っても空虚なだけだろう。孤独は避けられないものなのだ。ならば受け入れるしかない。

 

大好きな友人に、大好きで何度聴いても泣いてしまう歌の歌詞について、ここはこう解釈できるんだと説明しながら思わず泣いてしまった時、私のことを「面白い人だね」と言われた。

好きな人とわかり合いたいだなんて、そんな幻想を抱くのはやめようと思った。

 

ジェシーに学ぶ、自他肯定の生き方

 

 

 

 

SixTONESの精神論に関わるお話を少々。

 

 

最近、ジェシーちゃんっていいなぁと思うことがありまして……

 

いやジェシーちゃんがいい人なのは当たり前なんですが、何かと言うと、まず7月25日放送のの「SixTONESオールナイトニッポンサタデースペシャル」にて明かされたジェシー流しりとりです。

 

ジェシー「焼き鳥」

樹「リス」

ジェシー「勝ちだよね」

 

ジェシー「どんぐり」

樹「りんご」

ジェシー「もう勝ちだよね」

 

しりとりとしては崩壊してますが(笑)

謎理論でとにかく相手に勝ちを押しつけるジェシーちゃん、これをドラマの現場でもやってるっていうんだからパネエ。

 

それからさらに直近で言うと、Travis Japanとのコラボ動画での一幕。

 


Travis Japan【SixTONESコラボ第2弾】ダンスしりとりでガチバトル

 

3分38秒、一番に失敗した松倉を「でも良いヤツなんだよ」と非常にざっくりフォローするジェシーちゃん(笑)

いや〜、ジェシーってこれだよな! と思いながら見ておりました。

 

様々なコンテンツを拝見・拝聴してここ半年ほど特に思うのは、空気がピリついたり、着地点を見失ったりした時にその場を救うのが、ほとんどいつもジェシーでは? ということ。ジェシーがいれば大丈夫だ! とファンタジーじゃなくガチで思ってるんですけど、その根拠が上に挙げた2つの事例に隠されています。

 

 

以下、聞き齧りというか調べ齧りの知識となります……専門の方、間違ってても怒らないでね……

 

4つの人生態度 | jyuui-sinrigau

フランクリン・アーンスト氏が1971年に作成した「OK Corral」、日本語に訳すと「OK牧場」。この図には4つの人生態度が示されています。

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【1】I am OK・You are OK

 自己肯定・他者肯定。真の人間尊重であり、理想とされる態度。

【2】I am not OK・You are OK

  自己否定・他者肯定。自分に自信がなく、受け身で不安。

【3】I am OK・You are not OK

  自己肯定・他者否定。攻撃的で、他人をコントロールしようとする。

【4】I am not OK・You are not OK

  自己否定・他者否定。自分も他人も信じられない。

 

みなさんはどのタイプでしょうか。

たいていの人は【2】か【3】に陥ってしまいます。少なくとも多くの日本人は、自分と相手のどちらか一方だけが正しいと思い込みがちではないでしょうか。

【4】は完全に心を閉ざしている状態なので置いておくとして、【2】と【3】は自分と相手との比較の上にある態度です。【2】は相手に対して劣等感を抱いているもの。【3】は、根底では自分を信じきれないからこそ、相手と比較して優位に立つことで自分を正当化しています。本質的には、【2】も【3】も同じなのです。

私の見解では、ジェシーこそ【1】のタイプなのだと思います。

他者を気持ちよく肯定し(笑いをとる発言ではありますが(笑)あの全肯定は心から思ってないと言えるものではないでしょう)、だからといって自分を卑下するわけではなく、自分の主張ははっきりと伝える。これができる人はなかなかいませんよね。

【2】、【3】、【4】と違い、【1】は自分と相手をそもそも比較しません。あなたはあなたの正しさ、私は私の正しさ。そこに優劣をつける必要はないのです。だって、人は違って当たり前なのですから。そう、【1】は根本的に、多様性を前提としています。

自分以外にいろんな人がいて当たり前ということは、自分も人と違って当たり前。他人と比べてくよくよする必要はなくなります。本当の自己肯定は、他者肯定の地続きにあるのです。

そして、自分を尊重できれば、相手も自分と同じ一人の人間として尊重できる。本当の他者肯定も、自己肯定の先にあります。

自分も相手も尊重する。難しいことですが、大事なことなんです。

 

 

もう一つ別の言い方をすると(完全にイコールかはわからないんですけど)(なにせ調べ齧りなので)、こういった交流態度をアサーティブ・コミュニケーションといいます。

そして、アサーティブ・コミュニケーションができるようになるためのトレーニングがアサーション・トレーニンです。

アサーション・トレーニングとは?|言いづらい事を伝えても人間関係が良くなる方法

assertとは、主張する、断言するという意味。ただしここでは、「相手を傷つけずに自分の主張をしっかりと伝える」というような意味になります。

 

OK Corralにおける【2】は、相手を傷つけることを恐れるあまり、主張を伝えられません(ノン・アサーティブ・コミュニケーションといいます)。

【3】は無理に主張を通そうとするあまり、相手を傷つけてしまいます(アグレッシブ・コミュニケーションといいます)。

 

【1】に相当するアサーティブ・コミュニケーションは、一方的に自分の主張を相手に押しつけるのではなく、立場や状況に応じた方法でしっかりと自分の意見を伝え、さらに相手の意見も聞き、お互いの意見を尊重して最善の結論を出そうとするものです。

相手の意見には相手の正しさがあり、自分の意見にも自分の正しさがある。意見自体はどちらも肯定し、ではその2つの意見がどちらも最大限実現するにはどうすればよいか、という考え方です。

 

これを実現するためのアサーション・トレーニング。

いくつかポイントがあるのですが、絶対に押さえておきたいのが、アサーティブ・コミュニケーションの根本となる考え方(アサーティブ・マインド)です。

1. 誠実 

2. 対等

3. 率直

4. 自己責任

はぐらかしたり論点をずらしたりせず、真剣に誠実に向き合う。

相手が上でも自分が上でもなく、対等な立場で対話をする。

隠したり嘘をついたり正当化したりせず、率直に物事を伝える。

相手に責任転嫁せず、自分で責任を取る。

 

これさえ身につければあなたもジェシーですよ!!!

 

あと「I(アイ)メッセージ」とか「DESC法」とかもあるんですが、方法論になってくるんで気になる方はご自分で調べてください。

 

 

 

おそらくみなさんの多くは、スト担として、こういった他者とのコミュニケーションの問題にぶつかったことがあるのではないでしょうか。

他のグループのファンダムとの付き合い方、それからスト担内での意見の相違。私自身も何度も壁にぶつかり、悩んできました。

相手を攻撃してしまったり、あるいは不満を溜め込んでしまったりするのは、相手と自分を比べているからです。

相手には相手の正しさがあり、自分にも自分の正しさがある。

「みーんな勝ちだよ!!!」

そう思えたら、コミュニケーションが楽になるのではないでしょうか。

 

 

しりとりで急に相手を勝たせたり、一人しりとりダンスでなぜか負けたり(この人ずっとしりとりしてんな?)、ジェシーちゃんってどうしてこうも爽やかに「負け」を引き受けられるんですかね。

負けたって惨めじゃない。負けも一つの「勝ちだよ」だ。そんなふうに、万物を抱きしめるような優しさと強さがあるからじゃないかな。私は勝手にそう思っています。

 

ただ、ジェシーちゃんって本来はシャイで自信がない人。彼の基本的な考え方の一つに「期待しない」があるように、I am OKだけではなく、少なからず自分を犠牲にしている部分もあるのでしょう。

でも、そんなジェシーちゃんが自信満々に「最強です」と言えるのは、やっぱりSixTONESのこと。これはジェシーちゃんに限らず、どのメンバーもそう。本当は絶対的な自信を持っている人じゃないけれど、「SixTONES」という大きな概念が「I am OK」の根拠になっている。いやはや、つくづくグループというものはなくてはならない存在ですね。

だけど、その「SixTONES」の強さや正しさを他に押しつけるのではなく、やっぱり他のグループも他のグループの良さや正義があって、それらはみーんな対等。私たちは、そのことを絶対に忘れてはいけません。

つまり、

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やっぱこれっすよね。

 

 

有名な「夢を実現するには、『〜したい』ではなく『〜する』と言うのが効果的」というやつもそうなんですが、ジェシーちゃんってマジで生きる自己啓発本だなって(笑)

ジェシーちゃんについて行けば勝ちですよ。みーんな勝ちです。

 

だからみんな、水を飲もうな!!!

 

短いですが今回はここまで!!!

 

 

 

髙地優吾論 〜君がいなけりゃ成り立たない〜

 

 

 

記念すべき、デビュー発表から1周年!

今日はSixTONESメンバー論最終回。SixTONESの「要石」とも言われる、髙地優吾について語っていきたいと思います。

京本大我論 〜12月3日によせて〜 - もうとろろ食べられます

松村北斗論 〜ジャニーズ、そしてジャニヲタとして〜 - もうとろろ食べられます

森本慎太郎論 〜5月1日に末っ子を語る〜 - もうとろろ食べられます

ジェシー論 〜最強の男〜 - もうとろろ食べられます

田中樹論(私情)〜いちばん強くて弱い人〜 - もうとろろ食べられます

 

さて髙地さん、実は私にとってはジェシーと並んで「全然わからない人」。おそらく基本スペックも考え方も全く相容れないのだろうなぁと思いながら日々拝見しております。

そんな存在なのであんまり深掘りはできない気はしますが、言うなれば樹論とは正反対に、「髙地ってこういうふうにすごいんよ」という感じで書いていけたらなと思います。

 

 

 

1. 「普通キャラ」ってなんだ?

髙地優吾を紹介する際、「普通」という言葉がしばしば用いられますね。

一種のいじりのパターンでもある、この「普通」キャラ。じゃあその「普通」って、どう普通なのでしょうか。

 

「普通の人」のポジションとして、まず一般的に思い浮かべられるのが、「物語において読者が感情移入する登場人物」。もっとくだけた言い方をすると「巻き込まれ型主人公」です。

私自身文学創作を学ぶ中で、「主人公は平凡で、周囲の重要人物のキャラ立ちを濃くすると物語が面白くなる」というふうに聞きました。実際そういう物語はみなさんもかなり思い浮かべられると思います。映画『少年たち』のジュンとかまさにそうですよね。平凡でちょっと気弱な主人公が、変わり者の仲間を得る話。

 

では、髙地優吾は感情移入される対象なのか。

もちろん人によりますが、おおかたの場合、答えは否でしょう。

まずSixTONESの中で主人公ポジションといったら間違いなくジェシー。または、ほとんどスト担と変わらない目線でSixTONESを捉えている樹や北斗なら、主人公として感情移入ができそうです(平凡かどうかは別として)。

しかし、髙地はどちらかといえば縁の下の力持ち的なポジション。彼の立場に立ってSixTONESを捉えることはあまりないのではないでしょうか。

 

では、髙地優吾はどのような「普通」なのか。

それは、そのものずばり「普通キャラ」というキャラクターです。

 

どこのグループもそうでしょうが、SixTONESメンバーも例に漏れず個性の渋滞祭り。「陽気キャラ」「おぼっちゃまキャラ」「文学青年キャラ」「わんぱくキャラ」「チャラいキャラ」といった、キャラ立ちを極めた面々が並んでいます。

そんなキャラクターに並立して、「普通キャラ」が存在しているのです。

つまり、「普通」がキャラ立ちしているのです。

 

なんだその現象は?

 

先ほどの巻き込まれ型主人公の話を使うと、平凡な主人公の周りの、キャラ立ちの濃い登場人物の中に「普通キャラ」がいるわけです。しかもそれでキャラ立ちしてるわけです。は?

一体、そんなことをして「平凡」との差はつけられるのか?

 

つけられてるんですね、これが。

 

 

北斗論の内容と重複しますが……芸能界において、「普通」あるいは「無個性」はまずあり得ません。とんでもねえ美形とか、めっちゃおもろいとか、基本、何か卓越したものがないと芸能人にはなれません。

ジャニーズももちろん例外ではなく、熾烈な生存競争の只中にいるJr.のみなさんは、なんとかして目立とうと濃ゆ〜いキャラの確立にいそしみます。そんな中で迷走とかもするわけですが……

グループの顔となるセンターは、たいていの場合、「とんでもねえ美形」ですね。性格やらでキャラ付けするまでもない、アイドルとして最も強い個性を持っており、それはもはや一周回って個性ですらありません。

そう、アイドルにおいて、主人公的な「普通」とは、「とんでもねえ美形」のことなのです。

だって、アイドルはカッコよくて当たり前なのですから。

 

「普通=美形」な主人公を取り巻くメンバーたちは、おもろいやつ、可愛いやつ、ワイルドなやつ、頭がいいやつ、おバカなやつ、いろんな個性をバンバン立たせています。物語と同様、そうすれば面白くなりますからね。

ただし、どんな個性を取ってみても、「何か卓越したものがある芸能人」にすぎません。その意味では、個性溢れるアイドルたちは「普通のアイドル」とも言えるのです。なんだかややこしくなってきましたね。アイドルは個性を持っているのが普通なんだ、ということです。

 

さて、ここで髙地優吾です。

勝手に応募されてやる気もないまま受かった番組オーディション、サンチェさんに怒られてるのにハイタッチするとかいう驚異的図太さ。

わかりやすいスキルや個性は何も持っていないけれど、彼の強みはこれでした。

「『何かが卓越した芸能人』にならない」。

ベタな芸能人たちの中に一般人が一人紛れていれば、立派な個性になります。いや、それどころか、ありきたりな個性を持ち寄るよりも断然目を惹くのではないでしょうか。

髙地には、焦って芸能人(のようなもの)になろうとしない、あくまでも一般人としてドンと構える強さがあったのです。

芸能界に身を置いてその姿勢を保っていられるって、凄まじくないですか。

 

「YOUはいるだけでいい」。

ジャニーさんのこの言葉は、髙地にとってある意味呪いのようなものになりますが、ジャニーさんは髙地の「普通キャラ」の強さを見抜いていたのでしょうね。

わかりやすい個性ばかり並べても、ありきたりに見えるだけ。

グループに一人、明らかに「芸能人っぽくない」メンバーがいるだけで、メンバー全員の個性が立体的に立ち上がってくるのです。「芸能人じゃない」人がいるだけで、その他のメンバーが全員「芸能人らしく」「特別に」見える。そして裏を返せば、「芸能人らしい」人たちが並ぶ中の「芸能人じゃない」人は、「特別」なのです。

髙地優吾の「普通」は、グループを輝かせる魔法のスパイス。

イカに塩を振ったら甘く感じる、あれです。

 

 

また、「普通キャラ」以外のキャラクターでも、自覚的にか無自覚か、髙地はスイカの塩の役割を果たしています。

SixTONESのグループイメージといえば、「ワイルド」や「スタイリッシュ」でしょう。このコワモテスイカの中で、塩髙地は「笑顔担当」を担っています。

もうお気づきですね!?

コワい人たちの中に、一人ニコニコしていて親しみやすい人がいれば、より一層周りのシュッと感、ガツンと感が際立ちます。もっと言うと、アイドルの非王道たるSixTONESの中に、一人「笑顔」というアイドルのド王道を貫くメンバーがいれば、SixTONESの異端さがより印象的になるのです。

 

髙地の「普通キャラ」「笑顔キャラ」は、彼自身のキャラクターであるだけでなく、他のメンバーのキャラクターをさらに立体的に見せることに多大な効果を発揮しているのです。

いじりのネタだけじゃないんですよ!!!

 

 

 

2. 実は全て計算され尽くしているのかもしれない

散々「芸能人らしくない」「一般人」と言い散らしましたが、髙地優吾さん、全然一般人じゃないです。バラエティの裏回しとかテロップ技術とかワイプ技術とか、芸能界でも最高峰やんけ。私はバラエティで最強テロップ職人かます髙地さんを拝見するたびに心底敬服しております。さすがはスクール革命に育てられた男。

 

彼の頭の回転の速さ、えげつないですよね? 視聴者にわかりやすい的確なコメントを、適切なタイミングで出す瞬発力。引くところは引く、車内ゲームが始まればしっかりノって盛り上げる、いじられキャラの矜持をもって適切にツッコみ「いじり」を成立させる。

いじりって一歩間違えたらいじめに映りますからね……北斗の不憫芸も同じですが、ゆごほくは強くツッコめるからああいうノリが成立してるんですよ……じゅったんもANNでかなりいじりに慣れたみたいですが、じゅったんの「ねーえー!!」はむちゃ可愛いんだよな、猫パンチなんだよな。すいません脱線しました。

 

トークの場での立ち回りだけでなく、前半で述べたようなキャラクター自体もそう。コワモテ集団の中で笑顔・あざとい・親しみやすいキャラを買って出、口が止まんねえメンバーたちを後ろから見守り、時に助け舟を出す余裕と視野の広さ。

さらには癒し系のパブリックイメージからハマのリアコを垣間見せる、戦略的なギャップ。「一般人っぽいゆるさ」の向こうに隠されている、「本当の一般人は等身大の男性、つまりリアコ」……いやこれは真理……。

 

一般人っぽい、親しみやすい、のに、髙地優吾という男性について、私たちは意外と何も知りません。バイクとレザーが好きで、妄想族(?)で、リトルトゥース。でもオードリーさんとはスクール革命レギュラーの仲だし、そこの公私の区別はけっこう曖昧。毎日起床時間を当てようとしたりトイレットペーパーでリフティングしたりしてるけど、どっちもファンを楽しませるためのアイドル活動。うわぁこの人、日常のルーティンでアイドルしてる。大事MANブラザーズの〈それが大事〉が大好きらしいけど、普段はヒップホップを聴いてる、のかな? アンパンマンガチ勢で定期的にアンパンマンミュージアムへと足を運んでるそうだけど、20代男性、マジなの?

 

どこかの誰かさんみたいに、白湯を飲んだり薬のアラームをかけたりTEAM NACSのガチヲタだったり、壁一面コナンで染めたりミスチルを信奉していたり午前3時に一夫多妻制の導入を検討したり、剃刀で毛玉取ったりみちょぱをフルネームで呼んだりペンギン飼ってたり(飼ってねえ!)、髙地はなんかそういう、人間くさい人物像がいまいち見えてきません。

日々笑顔! おっちょこーち! 蓋を開ければ、ハマの番長。徹底的に、「キャラクター設定」に近い、どこか平坦にも捉えられる髙地優吾像が作り上げられています。ギャップでさえ、ある意味定石。ハマが素だとされているけれど、その見せ方といい、一体どこまでが演出なのでしょうか?

 

この文章を書くに当たって、髙地のことをいろいろ考えているうちに、私はこーんな疑念に囚われていったのです……

 

髙地優吾、まるごと全部セルフプロデュースしてんじゃね。

 

 

髙地の尊先としてよく知られているのは、まず嵐の相葉くん。それからアンパンマン先輩ですね。アンパンマン先輩。

髙地は常々「相葉くんみたいな存在になりたい」と言っています。そこで一旦相葉くんのキャラクターについて考えてみましょう。

相葉くんといえば、ちょっとおバカで天然でいつでも元気、心優しくて涙もろくて動物大好き、説明がほぼ擬音語、力加減バカ男で破壊神、又の名をミラクルボーイ(情報が古いか?)。嵐の中では癒し系で親しみやすくマスコット的な存在。メンバーに愛され見守られお世話され、天真爛漫な笑顔と言動でみんなを明るくするムードメーカーです。

いかんせん嵐をちゃんと追ってたのが5年以上前なので、今でもこの感じで合ってるのか心配……(笑)

さあ、この相葉くんのパブリックイメージを見て何か思いませんか? 何かって広すぎるか。髙地と見比べて、何か。

相葉くんのキャラクターの中で、少なくとも髙地が取り入れている部分は、「心優しい」「親しみやすい」「マスコット」「笑顔」くらいなものです。髙地はまずおバカじゃないし、最年長だからむしろお世話する側だし、いつでも元気な破壊神ムードメーカーってむしろ慎太郎ですよね。おバカミラクルボーイはジェシーかな。

そう、髙地は相葉くんをそのままコピーするのではなく、自分がもともと持っている特性を活かす形で、そして他のメンバーとキャラが被らないように、戦略的に取り入れているのです。

ただ「あの先輩みたいになりたい!」だけではない。きちんと自分自身とグループを客観視し、誰のどういう面を目指してセルフプロデュースすればよいか考えた上での尊先なのです。髙地優吾、やはり恐ろしく視野が広くて頭がよくないですか。

 

あとアンパンマン先輩ですよね。アンパンマン先輩。

髙地がアンパンマンに憧れていて、ああなりたいと思っているのならば、髙地はアンパンマンを、「『それいけ! アンパンマン』の主人公」ではなく、「社会の中のアンパンマンという存在」として捉えているように思います。

理由は簡単。「『それいけ! アンパンマン』の主人公」なら、SixTONESにおけるそれはジェシーだからです。

髙地は作品中のヒーローであるアンパンマンではなく、もっとメタに、子供たちに笑顔と勇気を与えるアンパンマン、そして日本中誰しもがその顔を見れば安心するアンパンマンというアイコンを尊先として掲げているのです。

話が前後しますが相葉くんに関しても同じことが言えます。髙地の尊先は、グループの中のおバカで元気いっぱいで大型犬みたいな相葉くんではありません。志村どうぶつ園や、数々の家庭的なCMで国民に親しまれる、好感度抜群の相葉くんなのです。つまり髙地の尊先は、社会的相葉くんなのです。

 

相葉くんをそんなふうに捉えられる人がどれだけいるのでしょうか。髙地の視野はグループ内の関係性なんか余裕で把握し尽くして、自分やグループが今いる環境、つまりは番組のスタジオ全体、あるいはコンサート会場全体、そしてもちろん自分たちが影響を及ぼす社会全体を、しっかりと見据えています。

髙地優吾に死角なし。そりゃメンバーからも頼られるわけですわ。

 

 

そんな視野広アイドル髙地優吾の成り立ちに、どうやらかなり似ている人物が一人います。

それは、アイドルサイボーグ・ジェシーちゃん。

 

私、個人的にジェシーをアイドルサイボーグと呼ばせていただいておりましてね……あとはとあるジェシー担さんのTwitterのbio欄だったか、「アイドルのイデアジェシーのかたちをしている」(うろ覚え)的な文章がめちゃくちゃ好きで……いやそれはいいんだ……

ジェシーこそ、アイドルとしてのセルフプロデュースをプライベートにまで持ち込んで、人生全てをアイドルのジェシーにしてしまったアイドルサイボーグではないですか。あんなに面白くて親しみやすいのに、私たちはジェシーのことを何にも知りません。メンバーは「ジェシーは普段からあんな感じ」と言いますが、その「普段」が「素」である確証はどこにありますか? いや、素という言い方は適切ではないかもしれません。その素がすでにアイドルそのものなのですから。

「音楽は裏切らない」「人生まさかの連続」という、思慮深い言葉を生み出すジェシーこそ、パブリックとプライベート両方のアイドルジェシーを掘った先の奥の奥にある、ジェシーの核なのではないでしょうか。そしてその核がどんなものかは、滅多なことでは、見せてくれません。

 

二人はギャップの様相もよく似ています。他のメンバーが基本「カッコよく見えて意外と可愛い」ギャップなのに対し、髙地とジェシーは「親しみやすく見えて底知れない」という、オタクとしてはたいへん心臓に悪いギャップをお持ちです。ジェシーはおモチです……モチモチ……

それから二人は成長過程も似ています。10代の頃、髙地はアイドルとしては何もできずやる気もなくて、ジェシーは引っ込み思案で口下手でした。そしてそれぞれ、「このままではいけない」と自分を変える努力を始め、大人になる頃には、髙地は立ち回りの巧さを、ジェシーは社交性を手に入れます。ゆごじぇは、自分の意思で自分自身を大きく変えた二人なのです。

この二人の成長譚、マジで道徳とかの教科書に載っていい。

 

二人が違うのは、グループ内での役割が示すように、セルフプロデュースされたキャラクターが相対的か絶対的か、です。相葉くんのくだりでお話ししたように、髙地はグループの中の自分、社会の中の自分をとても広い視野で相対的に考えています。一方ジェシーは、「ジェシー」の在り方を絶対的に定めて突き進んでいます。

あるいはこうも言えるでしょう。髙地は凡人を装う。ジェシーは超人を装う。

他の4人とは違い、悩みや惑いを一切見せない、鉄壁のセルフプロデュース力を持つ二人。本当はどんな人間で、何を考えているのかわからないという恐ろしさを孕む一方で、とんでもないキャパシティが、いくら頼っても当面は大丈夫そうなキャパシティがそこにあるのは明らかです。

そんな巨大キャパシティを抱えて、ジェシーはグループの一番先頭で、髙地は一番後ろで、ドンと力強く構えているのです。この二人が前と後ろを張っている限り、SixTONESはてこでも動きません。全幅の信頼!

 

まあ私から見て全然わかんねーこの二人! というだけで、ゆごじぇの考えてることが手に取るようにわかる方というのもこの世のどこかにはいらっしゃるのでしょうね……純粋に尊敬しちゃうな。

 

 

もう一つ、髙地とジェシーの共通点が。

最近のジェシー、めっちゃ笑顔と水分補給を勧めてきますよね(笑)水は飲むとして、去るJohnnys World Happy LIVE with Youのステージにて、ジェシーが「負けるなよ! 笑顔を大切に!」というメッセージをくれたことも記憶に新しいかと思います。ていうかそもそもジェシー自体が笑いの権化みたいなものですよね。ジェシーの笑いは世界を救う。

 

ね? 似てるでしょ?

そうです。「日々笑顔」。

 

笑顔でいること。笑うこと。これも、大事なSixTONESの精神論(by 田中樹)の一つなのかもしれません。みなさんいっぱい笑いましょーね^ ^

 

 

 

 

 

 

はい、ということでSixTONESメンバー論全6回完結です! 私、オツカレ!

読んでくださったみなさん、本当にありがとうございます! アクセス数が増えるだけでも励みになります!!!

 

一応全員分書きはしましたが、もちろんメンバーそれぞれについてまだまだ書くネタはたくさんあるので、そのうちまた似たようなことを書き出すと思います(笑)その時はぜひまたよろしくお願いします。

 

 

ではでは!

日々笑顔😊

 

 

 

 

SixTONES『NAVIGATOR』考察 番外編 〜ソロアングル分析

 

 

 

SixTONES 2ndシングル『NAVIGATOR』について、これまで3回に渡って考察を重ねてきたわけですが、

SixTONES『NAVIGATOR』考察 第1弾 - もうとろろ食べられます

SixTONES『NAVIGATOR』考察 第2弾 〜日経エンタを受けて - もうとろろ食べられます

SixTONES『NAVIGATOR』考察 第3弾 〜Full ver. - もうとろろ食べられます

今回は番外編。

初回盤DVDに収録されているMVソロアングルから、メンバー6人それぞれの楽曲の捉え方や、「カッコいい」の概念を探ってみたいと思います。

www.sonymusicshop.jp

 

 

 

ソロアングル概観

まずは全体を通しての感想から。

ソロアングルがどういうものなのか全く予想を立てていませんでしたが、なるほど自由演技。普通ダンスやMVのストーリーが重視されそうなところで、あえて自由演技のソロショットをフィーチャーしてくるSixTONES、いやぁ、SixTONESですね(笑)

とにかく個性を見せる、という。とくと楽しませていただきました。

 

6本通して見て思ったのは、「ダンスを表現方法として持っている人と持っていない人がよくわかる」ということ。別に持ってるから良いとかではなく、音楽が流れたら自然に踊ってしまう人と、そうでない方法で表現する人の違いが明確に出たな、ということです。

メンバーそれぞれのパフォーマンスや音楽性を理解する上で、全くの自由演技というのはたいへん良い資料なのだなと思いました。

私の基準で分類するとこうですかね↓

〈ダンス〉ジェシー、京本、慎太郎

〈それ以外〉北斗、髙地、樹

「それ以外」の3人も表現は三者三様。 一人として誰かと同じような表現をしている人がおらず、「個性が強いとはこのことか……」と実感しました(笑)

では一人ずつ感想と考えたことを書いていきます!

 

ジェシー

MV本編からジェシーさんずば抜けて最強だな! と思ってましたが、やっぱり最強ですね!!

ジェシーは「音が鳴ったら音ハメせずにはいられない」といった印象。彼はNAVIGATORという楽曲を、「音」「音楽」として聴いているようです。

特にラップ前半の音ハメフリーダンスが好きすぎました……。あと、何回見ても Hey! のハメ方常人じゃないですよね。どうやったらあの動きになるんや。

 

あとジェシーちゃん、スーパー髙地タイムふざけた? ふざけたやろ?(笑)あれ編集する人の身にもなってみてくれよ(笑)

ジェシーちゃん、本編で使われてもいい部分と使われないであろう部分(スーパー髙地タイム、上着脱いで振り回すところ、終盤急に止まって呆然と上を見上げるところ)の差が激しい。かと言って、ここまでは適当でここからは本気〜みたいに打算的に振る舞っているわけでは全くありません。あくまでも自然な動作の流れのうちに、ハチャメチャカッコいい音ハメと、ちょっと力を抜いた部分が同居しています。いや、力はずっと抜けている。全く力まず、おふざけの延長線上にダンスがあるんです。つまり、ジェシーにとってダンスとは、そのレベルで自然に出てくるものなのです。

 

アイドルサイボーグ・ジェシーちゃん、当たり前ですが、カメラの前で気を抜いているはずがありません。それなのにどうしてこうも自然体でいられるのか。

ジェシーは普段からDAHAHAズドンノリでいるそうですね(笑)カメラが回っていてもいなくても、常にあの「ジェシー」でいるということです。彼にはオンとオフの区別がありません。ダンスもそれと同じ。ちょっと鼻歌を歌うくらいのノリで、MVになるようなパフォーマンスができてしまうのです。……それはちょっと誇張しすぎたかも(笑)

アイドルサイボーグって、素がアイドルなんですよ……

 

それからジェシーの動きって、上方に手を伸ばすことが多いですよね。ジェシーはお空に何を見ているのか。彼の思想に関わってくる香りがしているので、引き続き注視していきたいです。

 

京本大我

2本目は京本さん。この方もジェシーに並ぶ音ハメ職人ですね。ですので、随所随所で華麗なる音ハメフリーダンスが登場します。

しかしジェシーと明らかに異なる点は、画が比較的静かな点。激しい動きは数ヶ所のみで、ただ歩いてみせたり、頷きや手だけでリズムをとったりする時間がかなり長くなっています。

 

動きだけではありません。彼について着目したい点は表情と視線です。一番最後の「可能性をゼロの先へ」以外、一貫して余裕そうな表情をし続けています。そして、カメラ目線が非常に少ない。決め台詞のような箇所以外はほとんど視線を逸らしています。どこかそっけなくもあるクールな印象は、この余裕な表情とカメラ目線の少なさからくるものです。

しかし、本当にカメラに興味がないのではなく、逆に京本さんは非常にカメラを意識しているように見えます。おそらく、「クールに、余裕そうに振る舞うとカッコよく見える」というのを狙っているはずです。

だって、京本さんが打算一切なしで本当に曲に憑依した時のヘドバン、知ってますから……(笑)

 

京本さんは音楽に合わせて自然なダンスをしつつも、音楽とは関係なく「クールに見せる」というモデル的な表現をしている、ということです。かなり「見られる」ことに自覚的ですが、その力みをカバーするほどの画ヂカラと所作の美しさを持っているのでずるいですね〜。

撮影時に富豪刑事第1話が放送済みだったかはわかりませんが、この余裕な振る舞いは神戸的とも言えるかもしれません。アニメ好きの京本さんならではの「カッコよさ」のセンスです。

 

松村北斗

はい、今回の本題の一つです。松村北斗、これはめちゃくちゃ興味深い。だって一人だけ明らかに違うことしてますよね?

おそらくみなさんもお気づきのはずです。そう、松村北斗、NAVIGATORという楽曲を、音・音楽としてではなく、ストーリーとして解釈しているんです。そして、踊るのではなく「演じて」いるんです。

 

考察第3弾にも書きましたが、北斗はイントロからラップにかけて、ずっと何か葛藤しているような演技をします。もうカメラなんて忘れてるんじゃないかっていうくらい。京本さんと一、二を争うカメラ目線の少なさです。しかも、京本さんのように「俺を見ろ」的な視線の外し方ではなく、3分の2(体感)は完全に自分の世界観に没頭しています。

そして、白い壁をなぞる、もたれる、叩く。ただのセットだったものが、牢にでもなったようです。すごい。青い光を追ったり避けたりするうちに、光すら何らかの意思を持って北斗を絡め取ろうとしているように見えてきます。

大サビに突入すると一転、不敵な笑みを浮かべて荒々しい演技をします。NAVIGATORを疑い闇へと進むことを決め、ダークヒーローに変身。北斗の歌詞解釈がはっきりと見えます。

 

初見で私は、「ああ、そりゃ役者志望のはずだ……」と納得しました。音楽が流れて自由に動いていいよと言われたら、踊るのではなく、演じる。生粋の役者ですよね。

北斗のすごいところは、芝居にとどまらず、「音楽を演じる」ことができる点です。このソロアングルMVはほぼ演技でダンス的要素はわずかですが、普段グループで踊る際、北斗はダンスすらも「演じて」いるのです。

ジェシーや京本が音を踊る人ならば、北斗は「感情を踊る」人なのでしょう。曲に込められた感情を、身体で「演じ」、「表現」する。北斗の存在で、SixTONESのパフォーマンスは、生々しくエモーショナルになるのです。

 

髙地優吾

髙地さ〜〜ずっとハマ!!

ひたすら横浜!!!

 

もともとダンスが得意ではないこともあり、音楽へのノリ方自体は他のメンバーに比べるとやや硬い印象。音楽を表現するというより、「カッコいいところを見せる」カメラアピールにほぼ全力を注いでいるように見えます。カメラ目線の割合もほぼトップでしょう。

では、その「カッコよさ」とは何か。滲み出る育ちの治安の悪さ(褒め言葉)です。

あれは"""ガチ"""の人じゃないと出せないコワさですよね。表情にドスが利いてる。

そして、音楽に合わせて上半身はいろいろ動きますが、実は足のリズムはほぼずっと一定です。ひたすらヤカラの歩き方をしてます。怖い怖い。

 

何がアレって、絶対普段の髙地が見せない表情だから肝が冷えるんですよね。時々ハマが垣間見えることはあるけれど、4分間ハマを浴びせられ続ける機会なんて他にないじゃないですか。私は髙地担さんの呼吸が心配です。

ジェシーや北斗の表現は普段のイメージと地続きで、その中で様々な顔を見せますが、髙地は普段のスマイルこーちとハマの優吾によるギャップの一本勝負ですね。「優吾しんどい」がパフォーマンス中の武器として使われ始めたということで、ここから磨かれていくのが末恐ろしいです。ていうか、スマイルしながらハマを出すとかいう恐怖の極致が任せろLOVEなんだよな……これ全部褒めてますよ。

 

ずっと指先だけで表現するのは、あれは何がルーツなんだろう……? 手がキレイでした……(小並)

 

森本慎太郎

はい、真打。

私が最も衝撃を受けたのは慎太郎ですね。

最初に驚いたのは、「慎太郎ってそんな顔するの!?」

次に驚いたのは、「そんな狭いとこでそんなに踊るの!?」(間奏部分の話です)

 

今まで自担以外のパフォーマンスをあまりしっかり見ていなかったのを反省しました。慎太郎こそ憑依型じゃないですか!? ダンスはもちろん、うわ〜さすが実力者! モリティン! って感じでしたが、こんなに恐ろしい(褒めてる)表情をするとは……

京本や樹など唇を舐めているメンバーはいましたが、「舌舐めずり」をしたのは慎太郎だけです。いや怖いって。

 

6人中、ぶっちぎりで画の激しい慎太郎ソロアングル。4分間ずっと踊っています。

ジェシー同様ガッツリ音を取って踊りまくるわけですが、自然体のジェシーに対して、慎太郎は油断も隙もございません。視線もかなりの割合でカメラに向けられ、完全に「見せるためのダンス」をしています。どう踊ったらカッコよく見えるか、熟知しているわけです。

100%のダンスに加えて、表情による感情表現もしていますね。北斗のようにストーリー性を持たせるのではなく、最初から最後まで怪しげなダークヒーローの様相です。

つまり、身体で音を、表情で歌詞の世界観を表現している。まるで、NAVIGATORという楽曲がそのまま人間の形となって現れたかのようです。音を消して映像だけを見ていても、不穏で攻撃的なストリングスの音色が耳元で聴こえてきます。

また、音ハメだけでなく「Ways down」や「無限大」などのキャッチーな動作から、音だけでなく歌詞をも踊れることがわかりますね。慎太郎さん無敵では?

 

こんなに慎太郎のパフォーマンスがエグいなら、一回慎太郎センターでゴリゴリに踊る曲を出してほしい。切実に。Mステで不敵な舌舐めずりして全国民に見つかってほしい……

ロックナンバーでヘドバンする京本さんを彷彿とさせるほど、水を得た魚のように踊りまくる慎太郎。NAVIGATORの裏の主役は、森本慎太郎なのかもしれません。

 

田中樹

最後は樹。樹はけっこういつも通りの田中樹でしたね! NAVIGATORだからって特別に表現方法を変えることはなく、ラッパーらしく下へ下へとビートを刻んでいました。

具合の悪いことに私は最近樹を子猫ちゃんか何かだと思っているので、終盤の「無限大」で両腕をわーっと広げるのを見ると毎回「可愛い〜!」が出てしまいます。これは脊髄反射です。

 

樹について着目したいのは、髙地の「Back back back…」とジェシーの「"…PITCHED UP"」(2つ目のほう)という、他人のパートでも口パクをしている点です。樹の声が後ろに重なってることはありませんよね……? あったらごめんなさい。

自分のパートでなくても歌ってしまうのは、曲をパートごとの断片ではなく、一連の歌詞の流れとして捉えている証拠です。

余談ですが、たまにバックのJr.とかでマイクをつけていなくても歌を口パクしてる子、私あれけっこう好きです。楽曲に対して真摯だなと思います。

話を戻しますが、樹は6人の中で一番、「歌う」意識が一曲を通して繋がっているように感じられます。歌うといっても、メロディではなく、歌詞を「伝える」「喋る」のほうが適切でしょうか。なんともラッパーらしいですね。

カメラに向かって人さし指を立てて振り、歌詞を歌う口をはっきりと見せ、目によってもメッセージを訴えかけます。パフォーマンスとしてスタジオの中で完結させるのではなく、まるで画面の向こうの私たちに問いかけるかのような仕草、表情。誰よりも「言葉で伝える」ことを意識的にやってきた樹らしい表現です。

 

同じ歌詞表現でも、北斗や慎太郎は歌詞の内容を感情表現に落とし込んでいました。樹はそうではなく、あくまで語り手として、言葉そのものに反応しています。こう考えると、音楽と一口に言っても様々な要素の切り取り方が可能なのだなって……たいへん奥深いですね……

 

 

まとめ

私の見方をざっっっくりまとめると、こんな感じでしょうか。

ジェシー:音を踊る

京本:音を踊る・カッコよく見せる

北斗:歌詞の内容を演じる

髙地:カッコよく見せる

慎太郎:音と歌詞を踊る・カッコよく見せる

樹:歌詞の言葉を喋る

もちろん私個人の一見解ですが、こんなに振り幅があるなんて。一人も被らないのすごくないですか?

同じ曲でパフォーマンスしても、その切り取り方・活かし方はそれぞれ全く違う。SixTONESの「個性」というものの正体を垣間見た心地です。こんな6人がいつも同じ振付を踊ってるわけですから、そりゃ揃うわけがねえわ……

 

初回盤DVD、すでに擦り切れるくらい見ましたし、慎太郎ソロアングルなんか一生見続けられる自信があります。マジで全国民NAVIGATOR初回盤買ってよ。

ていうかやっぱ慎太郎センターのダンスナンバー作ってよ。

 

 

 

 

SixTONES『NAVIGATOR』考察 第3弾 〜Full ver.

 

 

 

SixTONES 2ndシングル『NAVIGATOR』

ついに!!!!

発売!!!!

おめでとうございます!!!!!!!!

 

 

というわけでですね、ようやくフルバージョンが公開されたので考察を完結させていきたいなと思うんですけれども。

 

過去の回はこちら↓

mtmrleon.hatenablog.com

mtmrleon.hatenablog.com

 

 

とりあえずフル歌詞を読み込んだ後に、ざっとMVをやります。すみません11000字超えです。どうぞNAVIGATORをエンリピしながらでも気長にお付き合いください。

 

あ、もちろん初回盤収録のフルMVとメイキングのネタバレ祭りなので未見の方は早く見てください!!!

なくなったらなくなるやつなので、まだお手に取っていない方はお早めに!

 

 

 

〈歌詞考察〉

第1弾と第2弾で読み込んだものを踏まえて整理していきます。

 

考察の手がかりとしては、第2弾でも言及したように、日経エンタテイメントのゆごほくの発言ですね。

歌詞を読むと、光の差すほうを目指すんじゃなく逆にその光を疑って背を向けるような考え方が見えますけど、それってまさにSixTONESっぽい。

松村北斗

『NAVIGATOR』の歌詞は、アニメの内容を描きつつもSixTONESの雰囲気に近いワードを意識して入れてくれたんだ、というのをめっちゃ感じる。いいですよね、光のほうじゃなくて闇へどんどんナビゲートしますからね(笑)

(髙地優吾)

 

真偽のほどは定かではありませんが、とりあえずこの二人の読みでは、NAVIGATORという楽曲は「光ではなく闇のほうへ向かう」内容だそうです。

 

1番

では、まず第1弾と第2弾の考察をまとめながら1番の歌詞を見ていきます。

"...PITCHED UP"

「…到着した」

初っ端から最大の難問です。これは誰の言葉なのか。どこに誰が到着したのか。教えてジェシーちゃん。

とりあえず一旦保留にしておきます。

 

Where do you long to be? 

Wanna go now? Wanna be free? 

Ways to go are limited. 

お前はどこにいたがっているのか?

今どこへ行きたいのか? 自由になりたいのか?

行く道は限られている。 

引用符なしの歌詞なので、他者の問いかけなのか主人公の内なる言葉なのかはわかりませんが、自分が今どうしたいのかわからず、また行く道が閉ざされているとも感じ悶々としています。

 

日常的統計 導き出す Ways down 

常識的なデータは、この先下り坂だと導き出している。

「常識的なデータ」のイメージは、一曲を通して「NAVIGATOR」そのもののイメージとして浮き彫りになっていきます。

 

Where's the 現在地?

渋滞の真っ赤な灯りが Clicks & clicks

Turns round & round

現在地はどこだ?

渋滞の真っ赤なテールランプがチカチカして、

グルグル回る。

この「渋滞」は、歌詞でもMVでも重要なモチーフです。どこかへ行きたいともがくのに、どこへも行けない閉塞感の象徴として描かれます。

 

ここで私は気づいた。

渋滞って「光の渋滞」なんじゃん???

 

第1弾はお恥ずかしながら真逆の解釈をしていました。それこそ「常識的なデータ」に囚われていた。だって、閉塞感といえば闇だもん。 

渋滞とは、「光がありすぎてどこへ行ったらいいかわからない・どこへも行けない」状態なのではないでしょうか。そして、この「光」こそ疑うべき「NAVIGATOR」なのではないでしょうか。

 

Radars, 行く手を問えば

"時期尚早だ" "No wayだ"

"Hey, come back, back, back!"

電波探知機に行く手を問えば、

「まだ早い」「道はない」

「おい、戻っておいで、ほらほら!」

この探知機も「NAVIGATOR」の表象の一つです。

 

Chasers, 行く背を追えば

疲れた迷い子のシンパシー

先を行く追跡者たちの背を追えば、

疲れて迷った者たちに飲み込まれてしまう。

目的地を探して先を行っている人たちは、すっかり迷って疲弊しています。このままその背を追ってばかりでは、同じように疲れ果てて徒労に終わるだけです。

 

Hey, you!

Way of the light is laying in the dark.

なあ、お前!

光の道は闇の中にある。

Way of the light is laying in the dark.

この一文の解釈がまた厄っっっっ介なんですよ!!

最後にもう一回出てくるので、2番の歌詞を見てからにします。

 

夜を駆けるか 夜明けに賭けるか

このフレーズも、この楽曲を読み解く上での大きなキーの一つですよね。

この歌はどっちを選ばせるつもりなんだろう。

あなたは夜を駆ける派? それとも夜明けに賭ける派?

 

Drive in the dark, go way to the light.

闇の中を走れ、光への道を進め。

こちらも同様に大サビに回します。

 

疑えるか 見慣れた NAVIGATOR

まあこれは単純なこと。「常識的なデータ」をもとに「どこにも行けないよ、戻っといで」なんて決めつけるNAVIGATORを疑うことができるのか。この楽曲のテーマです。

 

NO LIMIT 無限大

可能性をゼロの先へ 

第1弾では単純にパーセンテージで解釈し、0%の可能性をぶち破れるか? と。

第2弾では、二進法の0=OFF(闇)と解釈し、闇の先に可能性を見出せるか? と読みました。

公式さんは16進法を使ってましたね(笑)

まあそれはいいとして、正直どんな読み方でもいいと思います! フィーリング!

 

NO LIMIT 無限大 

未踏を進め

Doubt navigator.

限界は無い。NAVIGATORを疑って前人未踏のフィールドを進め! 非常にテーマのわかりやすいフレーズです。

 

ここからがリリースと同時に公開された部分ですね。

(NAVIGATOR…)

これは慎太郎のパートです。

ただの飾り的な呟きか、あるいはここで慎太郎がNAVIGATORの名を呼ぶ意味があるのか。深読みは如何様にも可能ですね……

 

2番

初公開部分をがっつりと扱っていきます。と言っても1番とそう内容は変わらないようなので、1番の解釈の手助けみたいになるかな。

Where do I make a trip?

The world is limited.

どこへ向かって旅をするか?

世界は限られている。

make a tripとtake a tripの違いは? | 『英語職人』時吉秀弥の英文法 最終回答!

↑こちらの記事によると、「make」はより「旅の全体像を把握して計画する」意味合いが強いそうです。なんとも先例ありきの冷静なNAVIGATORっぽいですね!

 

前時代の統計 弾き出す Dead end

古い時代の統計がデッドエンドを算出する。

死ぬんか!!(笑)

 

Is there 終着点?

No 燃料 小さな灯りが Clicks & clicks

Turns round & round

終着点はどこ?

燃料が無い。小さな灯り(ガソリンランプ)がチカチカして、グルグル回っている。

無免許なんですけどガソリンランプってチカチカするんですか? まあこれは語呂とイメージありきでしょうけど。

 

(Back back back…)

スーパー髙地タイム!!!!

ここで髙地は「NAVIGATOR」の声を担当していますね。1番の〈"Hey, come back, back, back!"〉とほぼ同義か、引用符がついていないので実際に車をバックしてしまっているという解釈もできます。ガソリン無いし。

パート割にそこまで意味はないと思いますが、余計な深読みをして楽しむなら、髙地はNAVIGATOR側の存在あるいはNAVIGATORに惑わされている……なんて。

 

Guidance, 標を請えば

"道なり" "Never 想定外"

"You may crash, crash, crash!"

ガイドに道案内をお願いしたら、

「そのまま道なりです」「決して想定外はありません」

「あなたは衝突するでしょう、ガラガラドッシャン!」

最悪じゃん

事故る結末しかご用意されてないの地獄か???

何言ってくれてんだよガイダンス……

 

Leaders, その背を請えば

途切れぬ車列へのアイロニー

指導者たちの背中を見せてくれるよう頼んだら、

途切れぬ車列(渋滞)に対して皮肉を言うだけ。

リーダーが皮肉を言っているのか、リーダーたちの振る舞いが皮肉にしか見えないほど無力なのかわかりませんが、まあリーダーに頼っても無駄だと。

 

Hey, you!

Horn in the dark is warning to the park.

なあ、お前!

闇の中の警笛は、駐車場に車を入れるよう警告している。

きましたよ。

なんかもうここ、恥ずかしいくらいに調べた。

だって急な「park」。渋滞の話だったし駐車場で合ってますよね? 急に公園とか出てきませんよね???

warn ofだったらparkの危険を知らせる意味だけど、toだから駐車しろ! さもなくば危ないぞ! って言ってるもんなぁ……

闇の中の警笛って何だよ?? 敵なの?? 味方なの??

止まれって言ってるから敵? でも、光の渋滞の中じゃなく闇の中ってことは……わからん!!!!

 

闇行かねば 道は拓けぬか

これは……

「闇を行かなければ道は拓けないから、闇を行こう」なのか。

はたまた、

「道を拓くには闇を行くしかないのか……他に方法はないものか……」なのか。

 

1番のこの箇所は、夜を駆けるか夜明けに賭けるか。

大抵主張は後ろに来るので、字面だけパッと読めば夜明けに賭けるのが正しいように見えるんですよね。でも、夜を駆ける選択肢を否定してしまうと、闇の中へ進めなくなる。

「闇行かねば道は拓けぬか」という言いぶりも、なぁんだか「闇を行かなければ道を拓くことは不可能なのか……ううむ……」という、闇へ行くことに対してマイナスな響きを感じます。

 

ここでちょっと深読みに過ぎるかもしれませんが、私が思い出したのは、北斗が何度も言う「物語性」。

断定はできませんが、「闇行かねば道は拓けぬか」の時点で主人公はまだ、闇へ向かうことに躊躇しているのではないか? という仮説を立ててみます。

実際、MVには一度も完全な闇の場面が登場しません。必ずどこかに光がちらついています。だったら、曲のほとんどを通して迷っていても不自然ではないのでは……? と思うのです。

 

Aim for the black, byway to the light.

暗黒へ狙いを定めろ、それが光への近道だ。

やっぱりさぁ〜〜〜どう考えても光が2種類登場するんですよ!!!

「渋滞」のチカチカする「光」と、闇の中突き進んだらto the light的な最終目的地っぽい「光」があるんですよ。ねえ。そう思うでしょ?

しかもその分類は明確になされない。おい。

もう後でまとめて考えます……英文コワ……

 

抜け出せ Route 道なき Navigation

NAVIGATORが示すルートすなわち渋滞の道を抜け出して、道なき……

ナビゲーション!?!?!?

これは絶対NAVIGATORのナビゲーションではないわよね!? あれか!? 自分自身で自分をナビゲートするってやつか!?

これが明るい未来へのNAVIGATOR!?!?!?

 

「道なき(道無き)」という言葉はラップ終わりの京本のパートにも出てきますね。つまりここで新概念が登場したのか?

1番では「見慣れたNAVIGATORを疑えるか?」という問いかけにとどまっていましたが、2番で「ルートを抜け出せ。道なきを行く新たなナビゲーションだ」と、具体的な方向性を示しています。

さっき「道を拓くには闇を行くしかないのか……」とためらっていた主人公が、「よし、道なき闇を行くぞ」と肚を決めた感じです。

 

NO LIMIT 無限大

可能性をゼロの先へ 

NO LIMIT 無限大 

未踏を進め

Doubt navigator.

ここは一緒。ここのフレーズはとっても前向きで果敢ですね〜。

 

ラップ

ラップは第1弾でじっくりやったので、さらっと確認する程度にします。歌詞カードでは〈"...PITCHED UP"〉とラップ詞のみ斜字体になっているのですが、ラップとPITCHED UPには何か関係があるのでしょうか? まあImitation Rainのラップも細い斜字だったのであんまり気にすることないのかもしれませんが。

No hope!

希望は無い!

とりあえず後ろ向きから始まります。

 

抵抗なき敗走、自主最高速度制限

透明な規制線に守られたる数多の後悔

抵抗することなく負けを認めて逃げてしまっている、自分で自分に速度制限をかけてしまっている。

見えない規制線で守られて、その外へ行かせてもらえなかったことで、数え切れないほど後悔してきた。

 

退きな、間抜けに黙ってればこのまま抜け出せない

当ても無く ただ吹かす この Round & Round

退きな、間抜けに黙っているままではこの渋滞から抜け出せない。

行く当てもなくただグルグルするだけ。

渋滞の中で悶々としていましたが、「退きな」と、ここから抜け出す決心をつけています。

 

"The ray is chasing for one truth"

"The way is waiting for lighting..."

「光線は唯一の真実を探している」

「道は光るのを待っている」

光さぁ、、、お前さぁ、、、、

 

これも後でまとめて検討します。 

 

How go out? 瞬間よぎる Retire

臆病風 Like a papers?

否、踏み込めなきゃ Just go around

どうすればここから出られるのか? 一瞬、退却という選択肢が頭をよぎる。

紙切れのように臆病風に吹かれるのか?

いや、一歩踏み込まなくてはただ周りをぐるぐる歩くだけ。

 

Yo guys! Yes "Go".  No "Back alright".

ノーブレーキ 当然 Break it.

さぁ、そこ退け Tired

なあお前ら! 『行け』を選べ。『よし、戻れ』には従うな。

ブレーキなんか使うな。当然、そいつはぶっ壊せ。

さぁ、疲れたやつらはそこを退け。

ルートを飛び出して突き進むやる気が満ちてきましたねえ。

 

"The ray of hope will be flaming" 

「希望の光線は燃え上がっているだろう」

あっ!

じゅったん!!!

No hopeじゃなくなったよ!!!

 

"道無きを誘う"

あなたが新しいNAVIGATORなの!?!?

 

渋滞は道があるからこそ起こるもの。道の無い場所に渋滞はありません。

その「道無き」へと誘っているということは、やはり光の渋滞を飛び出して闇へ進めという、この楽曲内での「真実」の声だと解釈できます。これまでのNAVIGATORとは全く異なる導きです。

 

"...PITCHED UP"

「…到着した」

だからどこに!?!?

 

大サビ

1番サビの繰り返しですが、2番の内容を踏まえて改めて読んでみます。

Hey, you!

Way of the light is laying in the dark.

なあ、お前!

光の道は闇の中にある。

2番でここと対応するのは、〈Horn in the dark is warning to the park.〉「闇の中の警笛は、駐車場に車を入れるよう警告している。」でしたね。

闇って一体……

 

あっ、待てよ?

まさか「駐車場に入れろ」って、

一旦渋滞から離脱しろってこと???

(書きながら考えてます)

だったらやっぱり闇の警笛は信用できるのか!

 

〈Way of the light〉の「light」はどっちの光なんですかね〜??

「お前の進んでる光の渋滞の道の周りには、無限の可能性を秘めた闇があるんだぞ」という意味なのか、

「真実の光へと至る道は闇の中を突き進んだ先にある」なのか。

ofがどういうofなのかいまいちはっきりしない。

 

夜を駆けるか 夜明けに賭けるか

やっぱり夜=闇だよなぁ……

ていうか今さらだけど、テールランプがチカチカするってことは、渋滞してるのは夜に限定できますよね。

渋滞を飛び出して真っ暗闇を進むか、このまま来るかもわからない夜明けまで待って車列が動くことに賭けるのか。やっぱり夜を駆ける派が優勢?

 

Drive in the dark, go way to the light.

闇の中を走れ、光への道を進め。

ofじゃなくてtoになったので、真実のほうの光を指してるのはほぼ確ですね。これはもうだって闇走ってるもん。

 

疑えるか 見慣れた NAVIGATOR

疑うぜ。

 

NO LIMIT 無限大

可能性をゼロの先へ 

NO LIMIT 無限大 

未踏を進め

Doubt navigator.

 

未踏を進め

Doubt navigator.

可能性をゼロの先へ

行くぜ。

 

"Unlimited...Get no scared...Unlimited..."

限界は無い…恐れるものは無い…限界は無い…

 

英文

じゃあちょっと後回しにしてた英文をまとめてみますけど。

・Way of the light is laying in the dark.

・Drive in the dark, go way to the light.

・Horn in the dark is warning to the park.

・Aim for the black, byway to the light.

・"The ray is chasing for one truth"

・"The way is waiting for lighting..."

・"The ray of hope will be flaming" 

"...PITCHED UP"

 

・光の道は闇の中にある。

・闇の中を走れ、光への道を進め。

・闇の中の警笛は、駐車場に車を入れるよう警告している。

・暗黒へ狙いを定めろ、それが光への近道だ。

・「光線は唯一の真実を探している」

・「道は光るのを待っている」

・「希望の光線は燃え上がっているだろう」

・「…到着した」

 

渋滞の光はいまいましく主人公を悩ませる存在ですが、どうやら英文に現れる「light」や「ray」は闇の先にある真実の光のようです。

 

そういえば、ここに挙げた英文以外での光の表現って「灯り」という日本語のみで、明確に渋滞の意味で「light」が使われている箇所は無いんですよね。

「光」は「光」でも、どうやら「灯り=渋滞」と「light=真実」は棲み分けがされているようです。

 

今いるいまいましい「灯り」の渋滞から飛び出して、闇の中を走れ。その先にお前の求める「light」がある。

 

一応、私なりのNAVIGATOR解釈は、そう結論づけたいと思います。

 

で、〈"...PITCHED UP"〉ですけど……

やっぱり私には、

ジェシーちゃんが一人で闇の先の未来へと先回りして、「闇を駆けた俺たちは目的地に着いた。俺たちが正しかったよ」と言っているようにしか聞こえない……

 

これはメンバーに情の入りすぎたスト担の妄言です。

 

 

 

〈MV考察〉

歌詞が長くなりすぎたので、MVについてはざっくりと!!

冒頭CGパート

まず冒頭部分ですが、メイキング映像で監督さん(かな?)が樹・慎太郎・ジェシーに「ビルの上に集結する」と説明しています。メンバーが集まってくるイメージなのね。それでほくちゃんはひらりと舞い降りたわけか……

 

で、ここのショットはほぼ自由演技です。メイキング映像で各々さまざまな動きをしていることからわかります。

がしかし!

田中樹だけは、メイキング映像でもビルの下を見下ろす演技しかしていません。

使われたショットは立っていてメイキングでは座っていましたが、どちらも下を見下ろしています。

これはほぼ確実に指示を受けているでしょう。

第1弾で言及しましたが、このCGのビルの下には、CGの道路でCGの渋滞が起こっています。樹は確実にそれを見下ろしているわけです。歌詞と照らし合わせれば、渋滞に巻き込まれてこそいませんが、渋滞というものについて樹が思い悩んでいることは明らかです。

 

非CGパート

続いて、照明を用いた非CGパート。

歌唱パートの青い光とラップパートのピンクの光の2種類があります。

めまぐるしく様相を変え6人を翻弄するかのような光たち、これは「光の渋滞」を思わせますね。非CGパートは主人公が渋滞の中で思い悩んでいる胸の内を表しているのではないでしょうか。

第1弾の解釈とは全然別方向に行ってますが、これが成長だと思ってください。(笑)

 

それから、個人ショットの「光の壁」。

このシーンの解釈を手助けしてくれる男こそそう、

松村北斗です。

松村北斗のソロアングルです。見てない人、覚えてない人、今すぐ見ろ。

 

何を隠そう松村北斗、NAVIGATORソロアングルの中で唯一「NAVIGATORという楽曲のストーリーを解釈し、それを演じている」のです。メンバー内で唯一、楽曲を音楽としてではなく物語として消化しているのです。

ソロアングル分析についてはまた記事を改めてがっつり書くつもりなのでお楽しみに。

 

北斗がジャニーズweb内ブログ「北斗學園」にて「光の壁」について書いていたことをおさらいしましょう。有料コンテンツですが、公開期間が過ぎているため原文そのままの引用をお許しください。

この数秒以外にも何度も出てくる

白と黒のセット

曲の世界観とか歌詞を踏まえると

光と闇のセットってことかな❓

あのシチュエーションも完全に自由でさ

いろんな事してみたんだけど

個人的にはなんか意味ありげな場所で

白は壁で黒はただ何もないだけなんだよ

あの奥は随分奥まで続いてるだけの空間で奥に広がってるのね

白の壁は押してみると意外と脆くて簡単に倒れてしまいそうなんだよ

だからもたれたり頼りすぎるとダメにしちゃうのね

なんでそれがしっくりきてしまうのかはそこに流れてる曲がNAVIGATORだからだと思う

 

北斗本人がどの程度歌詞を考察しているかはわかりませんが、結論から言うとこの光の壁は、「光(灯り)の渋滞でどこへも行けない閉塞感」 の象徴ではないかなと思います。

ソロアングルにて、北斗はイントロからラップ終わりまで、一貫して何か葛藤しているような演技をします。頭を抱えたり首を振ったり、空間を見回したり。まあ彼の得意分野。

そして頻繁に壁に触れ、なぞり、体をもたせかけ、時には拳で叩きさえするのです。まるで、「ここから出してくれ」とでも言うように。北斗は、光の壁に感情をぶつけることで、ただのセットに命を吹き込み、自分を理不尽に閉じ込める相手へと変貌させたのです。この表現力にはさすが、目をみはるものがあります。

加えて、大サビに突入すると一転、不敵な笑みを浮かべて挑発するような荒々しい演技をします。明らかに葛藤から抜け出し、「闇を進むぞ」という気概に満ちています。まさにダークヒーロー。

 

なぜ「白の壁」は「もたれたり頼りすぎるとダメにしちゃう」のか。

それは、「白の壁」が渋滞の灯り、すなわち、頼りすぎると間違ったほうへ導いていくNAVIGATORそのものだからではないでしょうか。

 

2番からは真っ白な背景にシルエットの6人というショットが登場します。

これは、光の渋滞の中で闇を進むことを決めた6人を象徴しているのではないでしょうか。

 

くぅ〜っ、ダークヒーロー!

 

大サビCGパート

最後、大サビ直前でジェシーが落ち、樹が飛びます。そして大サビはビルの壁面で踊る6人。最後はビルが、街が、粉々に砕け散ります。

重力=常識を覆し、NAVIGATORが作り上げた虚構の世界の正体を暴いたという解釈は初見から変わりません。

では、J2が落ちたことにはどういう意味があるのか。

 

「夜を駆けるか 夜明けに賭けるか」

これは、NAVIGATORという楽曲における大きな問いかけの一つです。

まだフルの歌詞を知らないうちは「夜を駆ける派と夜明けに賭ける派がいるのかな〜」なんて気楽に思ってました(もはやこのブログの前半参照)。

 

しかし違った!!!

 

光渦巻く闇の中を走り出す慎太郎、北斗、髙地。それに呼応するように助走を始める樹。

今、私には、この走り出す3人が、樹の内なる衝動を表現しているように見えるのです。

非CGパートは「主人公が渋滞の中で思い悩んでいる胸の内」を表していましたね。つまり、非CGパートで起こることは全て、CGパートの人物の精神のあり様なのです。冒頭では葛藤していた樹の胸の中で、ついに衝動が駆け出し、樹の体もそれに従って走り始めるのです。

そう、SixTONESの選択はやはり「夜を駆ける」だったのです。 

 

一方ジェシーは、まるで全てを悟りきっているかのように背中から落ちていきます。

そして、光の中で闇に染まった京本による「Hey you!」。

やはりこの二人はそれぞれどこか人間離れした、特別な存在として扱われているように感じます。

 

まずジェシー。「駆けずして樹と同じことをする」。まるで樹の行いを「それで正しいよ」と保証しているようです。〈"...PITCHED UP"〉ですね!(?)

こりゃスト担バイアス妄想マシマシ。

 

そして京本は、「道無きを誘う」そして「Hey you!」と問いかけるくらいですから、道無き闇へ誘う新たなNAVIGATOR的な存在を果たしているように見えます。

ねえ、だって「明るい未来へのNAVIGATOR」的なことを最初に言ったの、京本じゃなかったっけ?

あれ私めちゃくちゃ気になってたんですよね……ゆごほくの解釈だと「光(灯り)に背いて闇にナビゲートする」楽曲じゃないですか。なんで明るい未来やねんと。

ところが京本のパートを重点的に見ていくと、さらにその先を見据えた「真実の光(light)へと誘う新たなNAVIGATOR」が現れるではないですか。当たり前のようですが、パートによって楽曲の見え方が少しずつ変わるんですよね。

ソロアングルの京本さんはほぼ一貫してクールに振る舞います。全然葛藤してない。まるでこの人も未来が見えているみたい。

 

はい、これも妄想マシマシです。個々人の役割とかたぶん考えられてないんで勝手に作りました(笑)

 

そんな感じで、夜を駆けたSixTONESがN.Cityをぶっ壊して終わります。

神戸財閥様、いつもありがとうございます。

 

 

アニメとリンクする部分とかも出てくるかもしれないので今後に期待ですね! とりあえず私の楽曲考察はここまで! ありがとうございました!!

 

 

〈おまけ〉

振付は今回もサンチェさんでしたね。

サンチェさんがどんな方で、SixTONES以外の楽曲ではどういう振りをつけていらっしゃるのか全く存じ上げないのですけれども、おそらく踊るジャニーさん(厳しさ100%)みたいな感じなんじゃないかなと思っています。見た目ではありません、ものづくりの話です。

何が言いたいかというと、 NAVIGATORの「翔んで埼玉」と言われたラストの決めポーズ、あるいはNAVIGATORポーズなど、カッコいい中にいい意味でダサい、キャッチー(またの名をトンチキ)な要素が入っているのがジャニーズ・サンチェ・スタイルなのではないかなということです。SixTONESはあくまで「ジャニーズ」にこだわっていますからね。

 

それからそうそう、NAVIGATORポーズについて。ポーズのばらつきには特に意味がないって樹が言ってましたけど、さすがに親指を出していない京本は何なの!? となりましたよね。少なくとも私はなりました。

あのNAVIGATORポーズについて、めざましテレビで樹が「人さし指を曲げます」と説明していました。

あれ、もしかして

「人さし指を曲げろ」としか言われていないんじゃないのか?

こっちのほうがやりやすいからって5人が勝手に親指も曲げただけで、正しいNAVIGATORポーズは実は京本のやつなんじゃないか?

 

はい、怪談でした。SixTONESっていろんな意味ですごいね。

 

 

 

何はともあれNAVIGATOR超カッコいいよな!!!

畜生ソーダ飲みてえ!!!

解散!!!!

 

 

 

 

人生のNAVIGATOR SixTONESの珠玉の言葉たち

 

 

SixTONES 2ndシングル『NAVIGATOR』発売おめでとうございます!!!

 

去る7月上旬、SixTONESの言葉についてのアンケートを行いました。

「あなたが人生で救われたSixTONESの言葉を教えてください」というものです。

今回はそのアンケートに寄せられた173件の回答をもとに、人生のNAVIGATORとなるSixTONESの名言をまとめていきたいと思います。

分量の都合上回答から一部抜粋しての掲載になること、出典・表記が定かでない部分があることをご了承ください。

 

 

 

まずは、ブログやインタビューで努力の姿勢やファンに寄り添う優しさを見せてくれる、京本と北斗から。

 

京本大我の言葉

「卒業したかったけど大切だった」

Jr.最後となる公演のラストに、Jr.時代を振り返って言った言葉です。

・Jr時代最後のコンサートできょもがその言葉を発して、SixTONESたちが駆け抜けてきたこれまでの道のりをひしひしと感じました。過去を大切に抱えながらデビューという大きな区切りを迎えようとする姿勢を見て、SixTONESに出会えてよかったと思いました。

 

・この言葉で、ずっと日の目を見なかった期間はなにも無駄じゃなかったんだと、救われたような気がしました。スト担だけではなく他のJr担の方にも知ってほしい言葉です。 

 

「失敗してもそこから学べるというのは挑戦した人だけの特権」

・一時期、失敗して周りの人へすごく迷惑をかけてしまったことがあって、心が死んでしまったのですが、大我さんのこの言葉を聞いて、失敗したあと、そこで終わりではなく、挑戦した人にしか学べないものがあるんだ、と気づかされました。元気づけられたし、救われました。

 

一人一人が『目を覚ます』ことも大事なのではないかと。精神的にいっぱいいっぱいになりそうな時こそ、気持ちを奮いたたせて、自分自身と戦わなければいけないから

直近のWithにて。

・今までの彼の言葉や姿勢にも幾度となく力を貰ってきましたが、この言葉で改めて「本当に素晴らしい人だ」と感動しました。現在世界中とても大変な状況で、多くの人が「明るく前向きに」というメッセージを発信する中、彼はさらに「目を覚まして自分を奮い立たせよう」と力強く鼓舞する言葉を発していたのです。本当に勇気を貰いました。

 

「余裕のないときこそ誰かに優しさを」

ブログの言葉です。

・自分が辛いときでも、周りの誰かを気遣うことで少し自分の辛さが軽くなるということに気付かされました。この言葉を他の人に投げかけることができる大我くんの器の大きさは計り知れないなと感じました。

また、少し話が逸れてしまうのですが違う回のブログで、他の人の苦痛は頑張っても理解し切ることは出来ない、だから大丈夫だよ。などと無責任に背中を押すことはできない。という旨のことを語っていたとき、大我くんがこれまで経験してきたことの重さを少し知ることができた気がしました。その経験の上で今の大我くんがいるのだろうと思いました。

SixTONESの理想とは少し違った形かもしれませんが、デビューして音楽をより世間に届けることができるようになった今、本当に6人には幸せになって欲しいし、その力添えは出来る限りしたいと思いました。

 

「ストレス解消できたかー!?」

CHANGE THE ERA -201ix- 宮城公演アンコール中の言葉だそうです。

・仕事で体力面、精神面ともにへとへとになっていた時期だったので、シンプルな言葉ですが、きょものファン想いな一面を感じて心に響きました。

会場にいるひとりひとりが、日々の生活でそれぞれ頑張っていることを理解し、その上で一緒に楽しめるライブを作り出してくれたからこそ出る言葉だと思いました。

一見なんてことない言葉のようだけど、いつもブログで「一緒に頑張ろう」と言ってくれる京本大我くんらしい、優しさに溢れる言葉だと思います。

きょも、あの時はありがとう!

 

「ずっと大事にするんで、安心して心を委ねてください」

ananにて。

・人生に悩んで落ち込んで何もかも嫌になった時にこの言葉を思い出して「こんなに大事にしてもらってるのに、ここでへこたれるわけにはいかない!」って自分を奮い立たせました。

 

・色々心が荒むこともあったけど、その言葉で安心してついていきたいと思えました。「心を委ねて」っていう言い方が優しくて大好きです。

 

「明日も一緒に頑張ろうね」

ブログでの言葉。

・ただ『頑張ってね』じゃなくて『一緒に頑張ろうね』だったからわたしには京本くんがついてるから頑張れないわけがない!!!!って気持ちになった

 

SixTONESを好きになってすぐの時にこの言葉に出会いました。その時は自分でもなぜだかは言葉で表せなかったのですが、途端に心が救われました。

今思えば、それまでの人生で「頑張れ」と言ってくれる人は沢山いましたし、「頑張らなくても大丈夫」「頑張り過ぎないで」と言ってくれる人にも時々出会えました。ただ私が、頑張れと言われると勝手に疲れてしまい、頑張らなくてもいいと言われると勝手に申し訳なく思ってしまう、メンタル激弱めんどくさすぎ人間なので…。だからか、私はおそらく「頑張れ」でもなく「頑張らなくてもいい」でもなく、「一緒に頑張ろう」とずっと誰かに言って欲しかったんだ、と最近になって気がつきました。心のどこかで求めていた、共同という意味ではない「共に頑張ってくれる人」が、まさにある意味現れた瞬間で、だからあの時も今もこんなに嬉しくて救われているのだと思います。(なんだか偉そうな感想で大変申し訳ありません京本大我様)ただこんなに語りつつ、私はまだメンタル激弱めんどくさすぎ人間に変わりないので、おこがまし過ぎる話ですが、ちゃんと京本さんと共に頑張れる人間になりたいと思って日々生きております。

 

松村北斗の言葉

 「コンプレックスに悩んでる姿が愛おしい」

恋愛観で人を救う北斗。

・私は自己肯定感が低くコンプレックスがとても多いです。他人のストーリーに載せられることや、他撮りされること、異性と写真撮ることがすごく嫌です。鏡見る度に病んだこともあります。でもそんな時に北斗くんの「コンプレックスに悩む姿が愛おしい」という言葉を聞いた瞬間認めてくれた気がして凄く嬉しくて、少しずつコンプレックスをなくして自分のことを好きになれたらいいなって思えました。

 

・周りと比べてしまう劣等感から、自分を卑下するようになり、何をするにも上手くいかず、毎日が辛かったのですが、北斗くんが恋愛観についての取材でこの言葉を話していて、コンプレックスに対してそれがいいと言える、こんな考え方もあると気付かされ、劣等感でいっぱいだった毎日から抜け出す糸口を見つけられたような気がしました。

 

実りが欲しけりゃ種をまけ」

カレンダーの言葉に救われた方も。

・社会人1年目で仕事を覚えるのに必死な毎日です。自分が出来ないことを悔み、他人を妬むことからは何も生まれない。誰かに褒められる、認めてもらうには様々なことにアンテナを張り、果敢にトライする決断力と行動力が必要だということをこの言葉が教えてくれた気がします。

 

「悲観的な気持ちになったり、他の人とは共有できない不安にかられるときもあると思います。でも、『あなたはすごい人間なんだ』って、僕は言いたい」

Withの言葉。

・初めて雑誌のインタビュー記事を読んで泣いてしまいました。先の見えない状況に不安を感じているのは、発言者である松村さん含め皆一緒だと思うのですが、そんな中でも読者に寄り添った温かいメッセージに励まされました。

 

「みんなは誰かを幸せにしている素晴らしい人だから胸を張っていてください」

北斗學園では、彼の真摯な言葉が綴られます。

・自分自身の存在意義に疑問を抱くことが多く、自分なんていなくてもいいんじゃないかなって思ってしまっていた時に触れた言葉だから印象に残っています。

 

・周りからはあまりそう思われないけど実は割と自己評価も自己肯定感も低めな私ですが、北斗くんのこの言葉に私も何かしらのことで誰かを幸せにできてるのかな、と思うことができて、心が救われた気がして大泣きしてしまいました

 

 

続いて、慎太郎と髙地。あまり言葉で伝えるほうでない二人は数こそ少ないですが、多くのスト担の心に残っている印象的なフレーズが寄せられました。

 

森本慎太郎の言葉

「5人のためなら1人でも闘いますよ」

RIDE ON TIMEでの言葉。コメントはありませんでしたが、複数の回答をいただきました。この言葉に込められた慎太郎のSixTONESへの想いに、胸を打たれたスト担は多いのではないでしょうか。

 

それから、アンケートの締め切り後だったため回答にはありませんが、先日のオールナイトニッポンで慎太郎が23歳の抱負として言った言葉が個人的に印象に残っているので、挙げさせていただきます。

「自分らしく生きる」

樹には「聞かなきゃよかった!」と冗談めかされていましたが(笑)、小さい頃から芸能界に入り、アイドルとしてどう振る舞うべきなのか、自分とは何なのか悩んだ末にこの生き方を選んだという背景を思うと、グッときて大好きなフレーズです。

 

髙地優吾の言葉

「日々笑顔」

髙地といえばこの言葉ですね! このモットーが、たくさんの人を救っています。

・彼のブログの1番最後に書かれている、日々笑顔の文字をみて、鏡の前に行き笑顔を作る。それだけですごく元気になれる。

 

・何気ない言葉で誰でも言えるように見えて、髙地優吾さんが発すると何故か納得できてすっと言葉が心に入っていきます。それは髙地優吾さん自身が本当に笑顔を大切にしてるからだと思っています。

 

・当時、いじめにあっていて不登校となり、精神的なものからくる頭痛が止まらなくなりました。

毎朝布団から起き上がる事が出来ず、授業もテストも受けず成績は最悪。薬の効かない頭痛でよく眠れずイライラしながらご飯を食べるか、寝るか。もちろんドル誌やテレビも見れなくなりました。必要最低限で生きていて何度も命を投げ出すことを考えました。

数ヶ月して私は本当に命を投げ出そうと決め、死に場所となるであろう部屋を片付けることにしました。そこで私は『日々笑顔』とだけ書かれたメモ用紙を発見したのです。自分が何ヶ月も笑っていない事に気付きました。しばらく見ていなかった少クラでは、相変わらずの笑顔で髙地くんが笑っていました。

今でも頭痛は完全には治りませんが学校はなんとか卒業出来たし、普通に友達がいて普通に日常生活が送れています。あの時のメモ用紙との出会いは奇跡的で、あれがなかったら私は生きていないんだと思うと勝手に命の恩人にしたような気もします。朝、顔を洗って鏡の前で笑い『らびゅー』と♡を作るのが私の毎朝の習慣です。

 

「これからもどんどん貪欲に仕事頑張っていくぞ!」

ブログにて、「すごく自分は幸せだと思う。普通に生きてたら経験できないことをさせてもらって、それを待ってくれているファンの方たちがいる。本当に凄いことなんだよね」という内容の後に書かれた言葉です。

・いろんな選択肢の中から「SixTONESに賭ける」という選択肢を選び、周りが就職する中で不安になって、努力したけどなかなか最初はうまくいかず自分が嫌いになった、と書いていた優吾くん。私がただ優吾くんの笑顔から元気をもらっていた裏で大変な思いをたくさんしてきたんだと、より鮮明に意識するきっかけになった回でした。

『今みんなに応援してもらっている現状もすごく幸せだけど、みんなの期待に応えられるように、もっと新しいことたくさんできるように、まだまだ貪欲に上を目指して自分磨きするよ』と言ってくれたことで、私たちまだまだ優吾くんのこと応援できるんだ…と思えて嬉しかったのを覚えています。

マンズ兄さんたちのことも見ていたから不安定な世界の中で明確にSixTONESの先が見えない怖さもあったけれど、この人たちだったら安心して全力で推して大丈夫だと思いました。

 

 

さあ、お待たせしました。SixTONESきっての言葉の魔術師・田中樹、そしてSixTONESの太陽であり大黒柱・ジェシーの名言です。

どのメンバーの担当の方も満遍なくご参加くださいましたが、回答の大部分がこの二人で占められていました。担当問わず、J2はスト担の精神的支柱ですね。

 

田中樹の言葉

「つらいときは俺らを都合よく利用して」

よく言ってくれるフレーズです。アイドルとしての役割を冷静に捉えた優しすぎるこの言葉には、救われると同時に胸が苦しくもなります。

・事故の後遺症で身体が上手く動かせず焦っていた時だったので、樹くんの言葉に泣いた

 

・樹くんのこの言葉はファンに寄り添ってくれると共にSixTONESがあくまで商品であることをまざまざと感じるので、大好きであり大っ嫌いです。

 

「人は言うほど他人に興味ない」

・他人の目が気になった時、この言葉を聞いて気にしなくていいよと言われた気がしたから

 

・今までずっと自分の顔とか体型とか性格とか嫌いで他人からどう見えているかを気にして生きてきたけど、田中樹さんのこの言葉で少しだけ気にしなくてもいいのかな、と思えるようになりました。

 

デビュー直後に出演したラジオ「SHOOL OF LOCK」での名言には、非常にたくさんの声が寄せられました。

「他の人もつらいんだからもっと頑張れって言うけど、他に楽してるやつがいるならもっと楽していいじゃん」

・私は長女で幼い頃から完璧主義で生きてきて、周りの期待に応える為に頑張らないと!と思っていたのですが、樹くんのこの言葉になんだか心がすっと軽くなりました。

樹くんはいつも心が軽くなる言葉をくれるので、本当に凄いと思います。

 

・自分は何もかも抱え込みやすく、素直に人に頼ることができない性格で、特に大学受験を控えたこの時期はすごくメンタルがやられてました。でも樹くんの言葉を聞いてから「確かに世の中には自分よりらくしている人なんていっぱいいるけど、あと少しだけ頑張ってみようかな」と思えるようになりました。おかげでそこからは勉強や受験に対して前向きになり、第1志望の大学に合格することも出来ました!!樹くんの言葉がなかったらおそらく受験生活を最後まで突っ走ることも、大学に合格することも出来ませんでした。本当に樹くんには感謝してます。

 

「越えられないくらいつらい壁なんて神様が与えたもんでもなんでもないんだから逃げていい」

・どうにもいかないことがあって、八方塞がりになってしまって限界を迎えそうだった時、逃げてもいいという言葉をきいてそういう考え方もあるんだと思った。色んな人から真面目すぎると言われていたけど、この言葉をきいて少し楽観的に考えられるようになった。

 

・逃げられない状況ではあるけれど、納得のいっていない状況の中足踏みしていた私に逃げてもいいという考えを与えてくれた。実際に逃げ出すことはできなくてもその言葉に大きく救われて力をもらいました。

 

・辛いことやしんどいことから逃げてもいいんだなって思えて楽になったし、逃げ道ができて頑張れました

 

・大学入試が現実味を帯びてきて、全てにおいて完璧にこなさなければと躍起になったり、理想と自分の力量の差に苦しんでいましたが、樹の言葉で肩の力が抜けて楽になり、心が救われました。

 

・合格率0.2%の会社を第一志望にし、賭けに出た就活。大学受験を失敗しているため、もうあんなに恥ずかしい悲しい思いはしたくないとがむしゃらに頑張っていました。人との繋がりは大切にしてきていても、勉強という部分で人より大きく努力を怠っていた自分を悔やんで落ち込んでいた時にこの言葉を聞きました。受かる自信はないけどまだやれる!ということはこの試練は乗り越えられるものだ!とポジティブに考え直し、無事合格することができました。

 

・2019年の夏頃に突発性難聴になり、その治療の途中で生まれつき低音域が聞こえにくいことが発覚しました。周りに相談しましたが、耳が悪いって言って聞いてないフリをフリするな等中傷を受け、傷つくこともありましたが、樹のこの言葉を聞いて、辛くても、無理に向き合う必要はないのかなって思ったら、少しは楽になった気がします。

 

・10代の学校が嫌いでしかたなかった時期に縋るように聴いていた大好きなラジオで、その時の私と似たような境遇の子に樹がかけたこの言葉が忘れられません。頑張ってね、という応援の意味でよく使われる言葉がいかに危険を孕んだ言葉か、もう頑張って頑張ってこれ以上どう頑張ったら苦しくなくなるのかわからない人にとってとどめの一撃になりえる言葉か、きっと理解していて、逃げて頼ってもいいんだよと言うことで樹は背中を押してくれたんだと思いました。あの頃の私が確実に求めていた言葉だったと思ったし、今現在あの頃の私と同じような子たちが救われる言葉だと思って、いつどういう風に巡り合っていても、私はアイドル以上に人としてSixTONESが大好きになっていただろうなと思わせてくれて、涙が止まりませんでした。大切な場所に何の違和感もなく溶け込んでくれただけでなく、昔の私にまで手を差し伸べてくれたあの日の樹を私は一生忘れないと思います。

 

・私は障害を持っています。年を重ねるにつれ、言葉での攻撃は減ってきましたが、その代わりに冷たい視線を感じるようになりました。今年は就活の年ということもあり例年よりも遥かに人からの視線を感じ心に大きな穴が空いていきました。パフェワで晴人くんも言っていましたがみんな平気なフリをするんです。平気じゃないくせに。寄り添ってるフリをするんです。そんなの無理なのに。私の生涯は生まれつきなので私には今私が感じている世界が全てだし障害がない世界がわからないんです。そんな時面接官に言われました。「どうやって乗り越えるんですか?」と。そんなもんこっちが聞きたい。どうやったら普通になれますか?どうやったら何を対価に払ったら人からの冷たい視線から逃れることが出来ますか?これ以上私は何をすればいいですか?今までは自分の気持ちを騙し、大丈夫これはアイデンティティだと半ば強引にマインドコントロールして生きてきましたがもう限界でした。私が叶えたい夢にわたしが入る枠はないのか。障害者枠としてしか働けないのか。普通に恋愛すらできないのか。どうして友達の目を疑ってしまうんだろうか。初めて死んだ方がマシと思いました。

そんな時樹くんが言いました。「超えられないくらい辛い壁は乗り越えなくていいよ。そんなん神様が与えたものでもなんでもないんだから。」と。びっくりしました。今まで出会ってきた人はみんな「貴方なら大丈夫だから乗り越えようね」「いつか普通になれるよ」って言っていたから。初めて、初めて頑張らなくていい理由をくれました。乗り越えるのではなく障害に深く寄り添うという選択肢を私にくれました。涙が止まらなくて、その日は1日中泣いてました。その日から少しずつですが変われている気がします。生きることが少し楽しくなりました。障害に寄り添えるようになりました。乗り越えるのではなく一緒に前に進むようになりました。「障害を乗り越える」のではなく、「いかにして自分自身をプラスに捉え、どのようにしたら自分のなりたい姿で生きていけるか」を考えるようになりました。樹くん、ありがとう。貴方は魔法使いです。たった一言で、私の人生を180度変えてくれました。優しくも力強い貴方らしい言葉をありがとう。貴方の人生がどうかたくさんの幸せで溢れるように願っています。

 

そして樹は、ブログなどを通して、私たちファンを信頼し寄り添う言葉をくれます。

「みんなが頑張って俺たちのためにしてくれてたことちゃんと全部俺らわかってるし、一つも無駄じゃないから」

・スト担必死すぎっていろんな人に言われながらも、頑張った先になにがあるかも分からない状態でヘッダー獲得のために再生がんばってた。それがアーティストプロモにつながり、その後樹くんがスト担にかけてくれた言葉。全部無駄じゃないって言ってもらえて、大きなお仕事をオファーでいただけて、全部報われた気がしたし、この時期は本当に毎日SixTONESを応援してるのが楽しかった!もちろん今も楽しいけど!

 

・メンバー全員、Jr.時代から知っていたのですが、デビュー後にファンになりました。デビュー前の苦悩も後からながら知りました。(とはいえ、Jr.歴が長いことは知ってました)今更何をしてあげられるんだろう、この人たちもう輝いていて完璧じゃん…と思っていたけど、過去のこの言葉を見て、今からでも何か力になれるんじゃないかと思うことができました。

そして、私たちが頑張ったことを知ってくれて、無駄じゃないと思ってくれて、それを発言してくれるなんてファン冥利に尽きるなと思いました。team SixTONESに入れてもらえて幸せです!

世界進出に向けて、これからも微力ながら支えます。SixTONESは最強だもんね!本当に大好きです。

 

「ファンの皆さんもSixTONESのメンバーなんじゃないかってくらい、俺らと同じ温度感で一緒に戦ってきてくれたことが、すごく嬉しかったです」

・いろいろあって、そのたびにスト担は必死すぎるなどと言われて辛いこともあったけど、でも間違ってなかったな、ちゃんと届いていたんだな、と感じて涙がこぼれました。

わたしは北斗担ですが、じゅりくんの言葉には毎回泣かされてしまいます。

 

「ラフにラブを」

・デビュー後にハマった新規で就活とコロナが被りバイトになかなか入れず収入がゼロです。2ndシングルが決まり、たくさんCDを買ってSixTONESを喜ばせたい気持ちはもちろんあります。しかし金銭的に厳しいので何度ももやもやしていました。その時に「ラフにラブを」を思い出しています。友達にSixTONESを宣伝したりYouTube送りつけたりと彼らの魅力に気付いてもらえるように気軽にできることをしています!

 

・特にデビュー関連で、なぜ?と思う事が散見される・競争が激化していく中でファンとして責任を重く感じて辛くなっていた時にラフにラブを!と合言葉の様にSixTONESが言ってくれる事で何度も心が軽くなりました。

アイドルを応援する事に対する姿勢は周りに流されず、自分で決めて良いし、気持ちが乗る時だけアクションを起こしても良いと思えた事で、長く楽しく応援できるスタンスが自分の中で確立できたと思います。

辛くなって離れるくらいなら休憩しても良いし、熱量は様々で良いと思わせてくれた事があの地獄の様な期間の救いでした。

 

・就職活動、ゼミ、友人関係、SixTONESに対する愛など全部が絡まりすぎて、自分のキャパを超えてしまったことがあります。なにを全力でやっても空回りしてしまい、自分に自信がなくなりました。

その時に、スト担の子が教えてくれた言葉がこの言葉でした。自分の人生だから、自分がやりたいことをした方がいい、SixTONESに対して愛を通じた応援も、自分ができる範囲ですればいいのではないか、とラフにラブを与えようと、決心したことがありました。

 

・10年以上好きでたまらなかった他グループの自担が昨年末に結婚し、受け入れられない心境の中SixTONESに出会い好きになりました。

気持ちが落ちている状況で、以前まで正直掛け持ちなんて…と思っていたのもあり、SixTONESを日に日に好きになっていく自分に少しの戸惑いがありました。

そんな中で出会ったのが樹くんの「ラフにラブを」という言葉でした。

好きなように応援してほしい、だからラフにラブをと言ってくれる樹くんに、どんな形でも好きになっていいんだ。自分は好きという感情を重く考えすぎていると考えいると気付かされ、SixTONESが好きだと素直に思えるようになりました。

それからもっとSixTONESのことが好きになり、毎日がすごく楽しいです。

 

・数字が大事なのもわかるけど、ただSixTONESを好きでいてほしいという気持ちに心を打たれたから。

 

・気にしいであれもこれもやらなきゃと思って疲弊してしまう私なので、この言葉にとても助けられました。もっと楽になって自分を大切にして楽しくアイドルヲタクをしたいと思うことができました。そのおかげで今はSixTONES6人のことをもっと楽しく応援することができています。

 

ジェシーの言葉

「人生まさかの連続」

ジェシーが何度も口にするフレーズです。ジェシーの言葉には、彼の生きてきた実感が伴っています。

・この言葉を聞いてから、自分の人生、何が起こってもおかしくないし、どうなるかも分からないからジェシーのようにポジディブに明るく生きたいと思うようになりました。

 

・学校生活のことで辛いことがあり、学校行くのも辛い時期にその言葉のおかげで胸が軽くなりました。どうしようもないことや予想だにしないことも人生にはあるよね、と心に余裕ができたと思います。

 

・自分が予想していなかった悪いことが起こったときにこの言葉を聞いて、立ち向かう勇気をもらいました。

 

・日々過ごしている中で、嫌なことが起きたり、ちょっとしたハプニングが起きて、気持ち的に落ち込んでるとき、「人生まさかの連続」という言葉のおかげで、「まあ、人生まさかの連続だし、そんなこともあるか!」とマイナスなこともどこかポジティブに捉えることができるようになりました。

そのおかげで、前までメンタルが弱く、ちょっと怒られただけでずっと落ち込んでいたのに、失敗も良い意味で引きずりすぎないようになって、色んなことに積極的にチャレンジしてみようと思えるようになりました。なのでこの言葉には感謝してます!

 

・何がどう良い方向にいくかは分からないから常に目の前の物事に全力で取り組んで、それでもダメならまた次がある、と考えるようになった。現在就活中でジェシーのことばには救われ続けてます。

 

「やりたいなら言わなきゃ。やらなきゃ上手くならないし、言わなきゃやれない」

RIDE ON TIMEで北斗が、お芝居をやりたいけれどなかなか口に出せなかった時ジェシーにこう言われて前に進めたと教えてくれました。

・この言葉は、ジェシーが北斗くんに言った言葉ですが、私の心にも響きました。

私は、北斗くんと同じように、人見知りで自分から積極的に意見を言い出せないタイプなので、この言葉を聞いて頑張って自分から行動に移そうと思いました。

 

・何事も積極的に挑戦できる性格ではあるが、ある時から、「やりたい」と言うことは自分の我儘なのではと口に出すことに抵抗を感じ始めていた。

このジェシーの言葉は今までの自分で良かったのだと肯定してくれた。

 

「何でも経験をしている人は強い」

TVガイドソロ企画。ジェシーのインタビュー記事はいつも刺さるものがあります。

・この言葉は様々な経験をしたジェシーだからこその言葉で、説得力があって心に響きました。この言葉を聞いて、高い壁にぶつかっても「この壁を乗り越えたら私は強くなる」と思えるようになったし、積極的に様々なことにチャレンジしていこうと思いました!

 

「芸能人でも一般の人でも皆やり続ける難しさ、厳しさ、大切さ、諦める勇気、次への道、怒り、など色んな感情が人それぞれあるのは変わりない!みんな同じ!」

不器用ながらも綴られるブログには、まっすぐ光る言葉が。

・私自身、すごく大きな分岐点に立たされていた時期があって、諦めなければいけないけど、それでも悔しさや心残りからその一歩が踏み出せずにいました。でも、ジェシーくんのおかげで今、諦める勇気、その大きな一歩を踏み出すことができました。 

 

「おもしろいよな、人生って」

RIDE ON TIMEの何気ない一言も、ジェシーの人柄や生き方を表します。

・辛い時に、一度きりの人生を楽しむ姿勢のジェシーに救われました。

 

 「元気ですか!!! メシ食べたか!!!!!!」

CHANGE THE ERA -201ix-で発されました。

・ライブのコーレスで「元気ですか!!」と聞く人をゆず(とアントニオ猪木)以外で初めて見ました。人生の大半をゆずっこ(ゆずのファンの名称)として過ごしてきたので、健康観察、純粋にとてもうれしかったです。

また「人生とは、元気に、ご飯をしっかり食べて、よく寝て、やるべきことをちゃんとやる。この反復と継続だ。そして、それを大切にしたいと思う人に感謝と敬意を持って伝えることを、愛というんだ」と自分の女神のような人に教えてもらった経験があります。

そのため「ご飯食べたか!!」と横アリの真ん中でコーレスとしてそのことばを叫ぶジェシーに本当にびっくりしながら「この人は愛を知っている!!」と観賞会中に叫んでしまいました。(当時まだストに沼っていません)

こんなすてきな人がセンターなこいつら、間違いない。ってやつです。

ジェシーは愛を知っています。

 

「人生もう何もいいことがないっていうくらいめちゃくちゃ落ちこんでいた人が、「SixTONESを見て前向きな気持ちになれた」って言ってくれたことがあったんだ。(中略)がんばってきたかいがあったなって、すごくうれしかったよ」

WiNK UPの言葉にはっとした方が。

ジェシーくんに書いたファンレターに、病気のせいで自分が生きているのかどうかわからなかったが、SixTONESを見ているときは生きている実感があると書いた。そのファンレターの返事が来たように感じて嬉しかった。

 

 「音楽は裏切らない」

これも、ジェシーが大事にしていて何度も言うフレーズですね。

・元々生粋の音楽畑出身でジャニに興味がなかった人間です。音楽を愛しているからこそ楽しいことも苦しいことも沢山ありました。アマチュアながら、何度も何度も、もう歌うのやめようかなって思ったこともあります。そんな私がやめたくてもやめやれない理由が正に「音楽は裏切らない」からで。彼のこの言葉を聞いた時に、とてもおこがましいけれど自分と同じなんだとひどく胸を打たれて、この人達の音楽についていくと覚悟を決めました。

 

・数年前、友達に裏切られたことがきっかけで精神的な病気になってしまい、半年ほど引きこもりの様な生活を送っていました。そんな時、大好きなSixTONESジェシーくんのこの言葉に涙が出ました。死にたいと何度も考えていた私が今生きているのは間違いなく音楽のお陰です。SixTONESのお陰なんです。これからもずっと彼らについて行こうと決めた言葉です。

 

「AHAHAHAHA!(笑い声)」

言葉だけでなく、彼の笑い声に救われたという方もいました。

・当時どん底まで落ち込んでいた自分に、娘が「面白い動画があるから見てごらん」と教えてくれたのがJr.チャンネルのSixTONESの回でした。

動画の中でジェシーが底抜けに明るく笑う度、同じ様に声を出して笑っていました。

あの状況は当に「天の岩戸開き」だったと感じます。

勿論自分は天照大神程の存在ではありませんが、暗闇に閉じこもっていた自分を、楽しい方へ明るい方へと導いてくれたのが、ジェシーの笑い声(SixTONESの存在)だったのだと。

そういえば、隠れていた天照大神を外に出す為に、最後岩戸を開いたのは力持ちの天手力男神って聞いた事あるな…まさに彼らに相応しいネーミングだなと感じるのは自分だけでしょうか。

 

「負けるなよ! 笑顔を大切に!」

Johnny's World Happy LIVE with YOUにて、画面の向こうの私たちにかけてくれた言葉です。

・大学に合格したけれど、コロナの影響で学校には行けず入学式はオンライン、授業もなんでもオンラインになり、全部が初めてで右も左も分からなくてとても不安でした。でもこの配信を見て、何とかなる!頑張ろう、絶対大丈夫!とすごくプラスの気持ちになりました。

 

・コロナ騒動で私は、出演予定だった演奏会が中止になり、7月に控える教員採用試験もどうなるわからない不安と虚無感でいっぱいでした。ですが、いつも私たちにスーパーポジティブで太陽のような言葉をくれるジェシーが、真っ直ぐカメラを見つめて放った「負けるなよ!」は、本当に力強くて頼もしかったです。ジェシーがこう言うなら負けないし、負ける気もしない!という気持ちになりました。

 

 

最後は、SixTONESというグループが大事にしている言葉たちです。

 

SixTONESの言葉

「team SixTONES

・ファンによって思いはそれぞれだけどみーんなまとめてteam SixTONESっていうニュアンスのことを言ってくれて、スト担として自信が持てたし自分なりに応援しようって思えた。

 

「6人で団体種目1位より個人種目1位が集まったグループになりたい」「自分の夢を叶える為に6人で旅をしている」

・オタ歴10年、推しは京本込で3人。

過去2人はどちらも個人を高めたいと抜けていった。

アイドルという職業を崇拝しててめちゃくちゃ依存する天性のドルオタタイプなので抜ける度に心配される程落ち込んで体調崩すので、もうドルオタは無理かなと考えていた所にSixTONESに出会い抗えない所まで引きずり込まれました。

そんな私の不安が無くなった言葉です。

大抵のグループは先に仲良く1位というのが先に来ると思います。

全く悪い事では無いですが、最初は良くても芸能界でやっていく中仲良く居続けることが目標になるのは本末転倒、かといって別の目標をとなると個人を高めたいメンバーが出てくる。

そして解散や脱退の影が落ちる。

どれだけソロが増えてもグループにいてくれるだけでいいのに。

メンバーの才能が伸びれば伸びるほどグループに所属するのが足枷になる時が必ず来る。

けど、SixTONESはそれ有りきでグループを組んでる。

才能に溢れた6人が、やりたい事をやる為に6人でいると言ってて、それが本当にカルチャーショックで。

救われたというか人生が楽しく楽になりました(?)

 

「We will turn the world upside down.」

TrackONE -IMPACT-のパンフレットから。

・パンフレットの最後のこの文字を見たときすごく興奮したんです。だって、デビューコンのパンフレットにこんな事をサラッと書いてるんですよ!?俺たちは世界を変える/ひっくり返すって!(あくまで一個人の解釈です)  かっこいい…本当に変えてしまいそうなところが好きです。彼らが世界を変える瞬間の目撃者になるまでは死ねません。

 

SixTONESは最強です」

メンバーもファンも、合言葉のように、何度も口に出すフレーズです。

・デビュー時期にこの言葉に何回も救われました。

 

・グループの先行きが不安で、この先どうなるのか心配になっていた時にこの言葉を思い出してはっとしました。

メンバー達が揃って「最強」と思ってくれているグループを応援出来ている、それだけで誇らしくて、嬉しくて、なんだか根拠は無いけどこの先何があっても大丈夫、そう思えた力強い言葉です。

 

 

 

ファンに寄り添い、励まし、時に人間として大事なことを教えてくれるSixTONESの言葉たち。

あなたの人生のNAVIGATORとなる言葉が見つかれば幸いです。

 

 

 

アンケートでは、人生で救われたSixTONESの歌詞についてもお聞きしましたが、分量がえらいことになるのでまた別の機会にまとめます(笑)

お楽しみに!