髙地優吾論 〜君がいなけりゃ成り立たない〜

 

 

 

記念すべき、デビュー発表から1周年!

今日はSixTONESメンバー論最終回。SixTONESの「要石」とも言われる、髙地優吾について語っていきたいと思います。

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さて髙地さん、実は私にとってはジェシーと並んで「全然わからない人」。おそらく基本スペックも考え方も全く相容れないのだろうなぁと思いながら日々拝見しております。

そんな存在なのであんまり深掘りはできない気はしますが、言うなれば樹論とは正反対に、「髙地ってこういうふうにすごいんよ」という感じで書いていけたらなと思います。

 

 

 

1. 「普通キャラ」ってなんだ?

髙地優吾を紹介する際、「普通」という言葉がしばしば用いられますね。

一種のいじりのパターンでもある、この「普通」キャラ。じゃあその「普通」って、どう普通なのでしょうか。

 

「普通の人」のポジションとして、まず一般的に思い浮かべられるのが、「物語において読者が感情移入する登場人物」。もっとくだけた言い方をすると「巻き込まれ型主人公」です。

私自身文学創作を学ぶ中で、「主人公は平凡で、周囲の重要人物のキャラ立ちを濃くすると物語が面白くなる」というふうに聞きました。実際そういう物語はみなさんもかなり思い浮かべられると思います。映画『少年たち』のジュンとかまさにそうですよね。平凡でちょっと気弱な主人公が、変わり者の仲間を得る話。

 

では、髙地優吾は感情移入される対象なのか。

もちろん人によりますが、おおかたの場合、答えは否でしょう。

まずSixTONESの中で主人公ポジションといったら間違いなくジェシー。または、ほとんどスト担と変わらない目線でSixTONESを捉えている樹や北斗なら、主人公として感情移入ができそうです(平凡かどうかは別として)。

しかし、髙地はどちらかといえば縁の下の力持ち的なポジション。彼の立場に立ってSixTONESを捉えることはあまりないのではないでしょうか。

 

では、髙地優吾はどのような「普通」なのか。

それは、そのものずばり「普通キャラ」というキャラクターです。

 

どこのグループもそうでしょうが、SixTONESメンバーも例に漏れず個性の渋滞祭り。「陽気キャラ」「おぼっちゃまキャラ」「文学青年キャラ」「わんぱくキャラ」「チャラいキャラ」といった、キャラ立ちを極めた面々が並んでいます。

そんなキャラクターに並立して、「普通キャラ」が存在しているのです。

つまり、「普通」がキャラ立ちしているのです。

 

なんだその現象は?

 

先ほどの巻き込まれ型主人公の話を使うと、平凡な主人公の周りの、キャラ立ちの濃い登場人物の中に「普通キャラ」がいるわけです。しかもそれでキャラ立ちしてるわけです。は?

一体、そんなことをして「平凡」との差はつけられるのか?

 

つけられてるんですね、これが。

 

 

北斗論の内容と重複しますが……芸能界において、「普通」あるいは「無個性」はまずあり得ません。とんでもねえ美形とか、めっちゃおもろいとか、基本、何か卓越したものがないと芸能人にはなれません。

ジャニーズももちろん例外ではなく、熾烈な生存競争の只中にいるJr.のみなさんは、なんとかして目立とうと濃ゆ〜いキャラの確立にいそしみます。そんな中で迷走とかもするわけですが……

グループの顔となるセンターは、たいていの場合、「とんでもねえ美形」ですね。性格やらでキャラ付けするまでもない、アイドルとして最も強い個性を持っており、それはもはや一周回って個性ですらありません。

そう、アイドルにおいて、主人公的な「普通」とは、「とんでもねえ美形」のことなのです。

だって、アイドルはカッコよくて当たり前なのですから。

 

「普通=美形」な主人公を取り巻くメンバーたちは、おもろいやつ、可愛いやつ、ワイルドなやつ、頭がいいやつ、おバカなやつ、いろんな個性をバンバン立たせています。物語と同様、そうすれば面白くなりますからね。

ただし、どんな個性を取ってみても、「何か卓越したものがある芸能人」にすぎません。その意味では、個性溢れるアイドルたちは「普通のアイドル」とも言えるのです。なんだかややこしくなってきましたね。アイドルは個性を持っているのが普通なんだ、ということです。

 

さて、ここで髙地優吾です。

勝手に応募されてやる気もないまま受かった番組オーディション、サンチェさんに怒られてるのにハイタッチするとかいう驚異的図太さ。

わかりやすいスキルや個性は何も持っていないけれど、彼の強みはこれでした。

「『何かが卓越した芸能人』にならない」。

ベタな芸能人たちの中に一般人が一人紛れていれば、立派な個性になります。いや、それどころか、ありきたりな個性を持ち寄るよりも断然目を惹くのではないでしょうか。

髙地には、焦って芸能人(のようなもの)になろうとしない、あくまでも一般人としてドンと構える強さがあったのです。

芸能界に身を置いてその姿勢を保っていられるって、凄まじくないですか。

 

「YOUはいるだけでいい」。

ジャニーさんのこの言葉は、髙地にとってある意味呪いのようなものになりますが、ジャニーさんは髙地の「普通キャラ」の強さを見抜いていたのでしょうね。

わかりやすい個性ばかり並べても、ありきたりに見えるだけ。

グループに一人、明らかに「芸能人っぽくない」メンバーがいるだけで、メンバー全員の個性が立体的に立ち上がってくるのです。「芸能人じゃない」人がいるだけで、その他のメンバーが全員「芸能人らしく」「特別に」見える。そして裏を返せば、「芸能人らしい」人たちが並ぶ中の「芸能人じゃない」人は、「特別」なのです。

髙地優吾の「普通」は、グループを輝かせる魔法のスパイス。

イカに塩を振ったら甘く感じる、あれです。

 

 

また、「普通キャラ」以外のキャラクターでも、自覚的にか無自覚か、髙地はスイカの塩の役割を果たしています。

SixTONESのグループイメージといえば、「ワイルド」や「スタイリッシュ」でしょう。このコワモテスイカの中で、塩髙地は「笑顔担当」を担っています。

もうお気づきですね!?

コワい人たちの中に、一人ニコニコしていて親しみやすい人がいれば、より一層周りのシュッと感、ガツンと感が際立ちます。もっと言うと、アイドルの非王道たるSixTONESの中に、一人「笑顔」というアイドルのド王道を貫くメンバーがいれば、SixTONESの異端さがより印象的になるのです。

 

髙地の「普通キャラ」「笑顔キャラ」は、彼自身のキャラクターであるだけでなく、他のメンバーのキャラクターをさらに立体的に見せることに多大な効果を発揮しているのです。

いじりのネタだけじゃないんですよ!!!

 

 

 

2. 実は全て計算され尽くしているのかもしれない

散々「芸能人らしくない」「一般人」と言い散らしましたが、髙地優吾さん、全然一般人じゃないです。バラエティの裏回しとかテロップ技術とかワイプ技術とか、芸能界でも最高峰やんけ。私はバラエティで最強テロップ職人かます髙地さんを拝見するたびに心底敬服しております。さすがはスクール革命に育てられた男。

 

彼の頭の回転の速さ、えげつないですよね? 視聴者にわかりやすい的確なコメントを、適切なタイミングで出す瞬発力。引くところは引く、車内ゲームが始まればしっかりノって盛り上げる、いじられキャラの矜持をもって適切にツッコみ「いじり」を成立させる。

いじりって一歩間違えたらいじめに映りますからね……北斗の不憫芸も同じですが、ゆごほくは強くツッコめるからああいうノリが成立してるんですよ……じゅったんもANNでかなりいじりに慣れたみたいですが、じゅったんの「ねーえー!!」はむちゃ可愛いんだよな、猫パンチなんだよな。すいません脱線しました。

 

トークの場での立ち回りだけでなく、前半で述べたようなキャラクター自体もそう。コワモテ集団の中で笑顔・あざとい・親しみやすいキャラを買って出、口が止まんねえメンバーたちを後ろから見守り、時に助け舟を出す余裕と視野の広さ。

さらには癒し系のパブリックイメージからハマのリアコを垣間見せる、戦略的なギャップ。「一般人っぽいゆるさ」の向こうに隠されている、「本当の一般人は等身大の男性、つまりリアコ」……いやこれは真理……。

 

一般人っぽい、親しみやすい、のに、髙地優吾という男性について、私たちは意外と何も知りません。バイクとレザーが好きで、妄想族(?)で、リトルトゥース。でもオードリーさんとはスクール革命レギュラーの仲だし、そこの公私の区別はけっこう曖昧。毎日起床時間を当てようとしたりトイレットペーパーでリフティングしたりしてるけど、どっちもファンを楽しませるためのアイドル活動。うわぁこの人、日常のルーティンでアイドルしてる。大事MANブラザーズの〈それが大事〉が大好きらしいけど、普段はヒップホップを聴いてる、のかな? アンパンマンガチ勢で定期的にアンパンマンミュージアムへと足を運んでるそうだけど、20代男性、マジなの?

 

どこかの誰かさんみたいに、白湯を飲んだり薬のアラームをかけたりTEAM NACSのガチヲタだったり、壁一面コナンで染めたりミスチルを信奉していたり午前3時に一夫多妻制の導入を検討したり、剃刀で毛玉取ったりみちょぱをフルネームで呼んだりペンギン飼ってたり(飼ってねえ!)、髙地はなんかそういう、人間くさい人物像がいまいち見えてきません。

日々笑顔! おっちょこーち! 蓋を開ければ、ハマの番長。徹底的に、「キャラクター設定」に近い、どこか平坦にも捉えられる髙地優吾像が作り上げられています。ギャップでさえ、ある意味定石。ハマが素だとされているけれど、その見せ方といい、一体どこまでが演出なのでしょうか?

 

この文章を書くに当たって、髙地のことをいろいろ考えているうちに、私はこーんな疑念に囚われていったのです……

 

髙地優吾、まるごと全部セルフプロデュースしてんじゃね。

 

 

髙地の尊先としてよく知られているのは、まず嵐の相葉くん。それからアンパンマン先輩ですね。アンパンマン先輩。

髙地は常々「相葉くんみたいな存在になりたい」と言っています。そこで一旦相葉くんのキャラクターについて考えてみましょう。

相葉くんといえば、ちょっとおバカで天然でいつでも元気、心優しくて涙もろくて動物大好き、説明がほぼ擬音語、力加減バカ男で破壊神、又の名をミラクルボーイ(情報が古いか?)。嵐の中では癒し系で親しみやすくマスコット的な存在。メンバーに愛され見守られお世話され、天真爛漫な笑顔と言動でみんなを明るくするムードメーカーです。

いかんせん嵐をちゃんと追ってたのが5年以上前なので、今でもこの感じで合ってるのか心配……(笑)

さあ、この相葉くんのパブリックイメージを見て何か思いませんか? 何かって広すぎるか。髙地と見比べて、何か。

相葉くんのキャラクターの中で、少なくとも髙地が取り入れている部分は、「心優しい」「親しみやすい」「マスコット」「笑顔」くらいなものです。髙地はまずおバカじゃないし、最年長だからむしろお世話する側だし、いつでも元気な破壊神ムードメーカーってむしろ慎太郎ですよね。おバカミラクルボーイはジェシーかな。

そう、髙地は相葉くんをそのままコピーするのではなく、自分がもともと持っている特性を活かす形で、そして他のメンバーとキャラが被らないように、戦略的に取り入れているのです。

ただ「あの先輩みたいになりたい!」だけではない。きちんと自分自身とグループを客観視し、誰のどういう面を目指してセルフプロデュースすればよいか考えた上での尊先なのです。髙地優吾、やはり恐ろしく視野が広くて頭がよくないですか。

 

あとアンパンマン先輩ですよね。アンパンマン先輩。

髙地がアンパンマンに憧れていて、ああなりたいと思っているのならば、髙地はアンパンマンを、「『それいけ! アンパンマン』の主人公」ではなく、「社会の中のアンパンマンという存在」として捉えているように思います。

理由は簡単。「『それいけ! アンパンマン』の主人公」なら、SixTONESにおけるそれはジェシーだからです。

髙地は作品中のヒーローであるアンパンマンではなく、もっとメタに、子供たちに笑顔と勇気を与えるアンパンマン、そして日本中誰しもがその顔を見れば安心するアンパンマンというアイコンを尊先として掲げているのです。

話が前後しますが相葉くんに関しても同じことが言えます。髙地の尊先は、グループの中のおバカで元気いっぱいで大型犬みたいな相葉くんではありません。志村どうぶつ園や、数々の家庭的なCMで国民に親しまれる、好感度抜群の相葉くんなのです。つまり髙地の尊先は、社会的相葉くんなのです。

 

相葉くんをそんなふうに捉えられる人がどれだけいるのでしょうか。髙地の視野はグループ内の関係性なんか余裕で把握し尽くして、自分やグループが今いる環境、つまりは番組のスタジオ全体、あるいはコンサート会場全体、そしてもちろん自分たちが影響を及ぼす社会全体を、しっかりと見据えています。

髙地優吾に死角なし。そりゃメンバーからも頼られるわけですわ。

 

 

そんな視野広アイドル髙地優吾の成り立ちに、どうやらかなり似ている人物が一人います。

それは、アイドルサイボーグ・ジェシーちゃん。

 

私、個人的にジェシーをアイドルサイボーグと呼ばせていただいておりましてね……あとはとあるジェシー担さんのTwitterのbio欄だったか、「アイドルのイデアジェシーのかたちをしている」(うろ覚え)的な文章がめちゃくちゃ好きで……いやそれはいいんだ……

ジェシーこそ、アイドルとしてのセルフプロデュースをプライベートにまで持ち込んで、人生全てをアイドルのジェシーにしてしまったアイドルサイボーグではないですか。あんなに面白くて親しみやすいのに、私たちはジェシーのことを何にも知りません。メンバーは「ジェシーは普段からあんな感じ」と言いますが、その「普段」が「素」である確証はどこにありますか? いや、素という言い方は適切ではないかもしれません。その素がすでにアイドルそのものなのですから。

「音楽は裏切らない」「人生まさかの連続」という、思慮深い言葉を生み出すジェシーこそ、パブリックとプライベート両方のアイドルジェシーを掘った先の奥の奥にある、ジェシーの核なのではないでしょうか。そしてその核がどんなものかは、滅多なことでは、見せてくれません。

 

二人はギャップの様相もよく似ています。他のメンバーが基本「カッコよく見えて意外と可愛い」ギャップなのに対し、髙地とジェシーは「親しみやすく見えて底知れない」という、オタクとしてはたいへん心臓に悪いギャップをお持ちです。ジェシーはおモチです……モチモチ……

それから二人は成長過程も似ています。10代の頃、髙地はアイドルとしては何もできずやる気もなくて、ジェシーは引っ込み思案で口下手でした。そしてそれぞれ、「このままではいけない」と自分を変える努力を始め、大人になる頃には、髙地は立ち回りの巧さを、ジェシーは社交性を手に入れます。ゆごじぇは、自分の意思で自分自身を大きく変えた二人なのです。

この二人の成長譚、マジで道徳とかの教科書に載っていい。

 

二人が違うのは、グループ内での役割が示すように、セルフプロデュースされたキャラクターが相対的か絶対的か、です。相葉くんのくだりでお話ししたように、髙地はグループの中の自分、社会の中の自分をとても広い視野で相対的に考えています。一方ジェシーは、「ジェシー」の在り方を絶対的に定めて突き進んでいます。

あるいはこうも言えるでしょう。髙地は凡人を装う。ジェシーは超人を装う。

他の4人とは違い、悩みや惑いを一切見せない、鉄壁のセルフプロデュース力を持つ二人。本当はどんな人間で、何を考えているのかわからないという恐ろしさを孕む一方で、とんでもないキャパシティが、いくら頼っても当面は大丈夫そうなキャパシティがそこにあるのは明らかです。

そんな巨大キャパシティを抱えて、ジェシーはグループの一番先頭で、髙地は一番後ろで、ドンと力強く構えているのです。この二人が前と後ろを張っている限り、SixTONESはてこでも動きません。全幅の信頼!

 

まあ私から見て全然わかんねーこの二人! というだけで、ゆごじぇの考えてることが手に取るようにわかる方というのもこの世のどこかにはいらっしゃるのでしょうね……純粋に尊敬しちゃうな。

 

 

もう一つ、髙地とジェシーの共通点が。

最近のジェシー、めっちゃ笑顔と水分補給を勧めてきますよね(笑)水は飲むとして、去るJohnnys World Happy LIVE with Youのステージにて、ジェシーが「負けるなよ! 笑顔を大切に!」というメッセージをくれたことも記憶に新しいかと思います。ていうかそもそもジェシー自体が笑いの権化みたいなものですよね。ジェシーの笑いは世界を救う。

 

ね? 似てるでしょ?

そうです。「日々笑顔」。

 

笑顔でいること。笑うこと。これも、大事なSixTONESの精神論(by 田中樹)の一つなのかもしれません。みなさんいっぱい笑いましょーね^ ^

 

 

 

 

 

 

はい、ということでSixTONESメンバー論全6回完結です! 私、オツカレ!

読んでくださったみなさん、本当にありがとうございます! アクセス数が増えるだけでも励みになります!!!

 

一応全員分書きはしましたが、もちろんメンバーそれぞれについてまだまだ書くネタはたくさんあるので、そのうちまた似たようなことを書き出すと思います(笑)その時はぜひまたよろしくお願いします。

 

 

ではでは!

日々笑顔😊