田中樹論(私情)〜いちばん強くて弱い人〜

 

 

田中樹くん、25歳の誕生日おめでとうございます!!!

 

25歳……25歳か……なんか全然想像つかないな……

だんだんSixTONESも大人なグループになっていきますねえ。と言っても私はほんの1年半前に出会ったばかりですが(笑)

 

 

と、いうわけで樹の分を更新していきたいと思うのですけれども。

 

先に謝っておきます。

客観的に論じるためのネタが思いつきませんでした。

というか直前に降りてきたジェシー論のほうが奇跡でした。

 

ですので今回は「田中樹に対する個人的な思い入れ」を好き勝手に書こうと思います!(笑)

いやー、一回書いてみたかったんだよなーただのオタクブログ。どうも普段の大学やバイトなんかの習慣で、参考文献を明記して客観的に述べなければいけないみたいな固定観念があって。根拠のない言説は責められてしかるべき、みたいな。でも正直それだけじゃ面白くないですよね(笑)

とはいえ、現実に生きている一人の人間を、会ったことも喋ったこともないいち私が主観的に好き勝手言うのってやっぱり普通に冒瀆だと思うので、ここから下の文章は全部くだらない妄想だと思ってください!

 

 

 

 

 

1. 私は田中樹に依存していた

 

私は松村担ですが、私の中の「SixTONES」の概念は田中樹です。

 

私以外にも多いんじゃないでしょうか。

2019年春〜夏頃から2020年の頭にかけて、田中樹の存在に救われてきたスト担は。

たった6週間に一度の「じゅりぶろ」の更新を頼りに命を繋いだスト担は。

 

私がwebのスクショを撮るタイプのオタクではないのと、ここに断片だけ切り抜いても当時の状況を踏まえなければ真意が伝わらないのと、シンプルに有料コンテンツなので抜き書きはやめますが、とにかくとにかく、私たちはじゅりぶろに救われていました。数枚しかスクショがないので具体的な例を辿ることも私はできないんですが。

2019年5月1日に期待をしすぎてしまったこと、SixTONESの夏の現場が一つもなかったこと、合同デビュー発表、「#スト担余裕なさすぎ」をはじめとする逆風で、私たちの心がすり減ったり苛立ったりしてしまった時、樹はいつも私たちを宥め、時には叱り、そしていつも味方でいてくれました。いやぁ、長い1年だった。私は2019年の1月22日にスト担になったばかりですが、それから2020年の1月22日まで、もう、途方もないくらいに長かった。

 

デビュー週、CDショップを回りながら、樹のことばかり考えていたのを覚えています。

「team SixTONESのため」ではもう気持ちがもたなかった。「ここで頑張れば樹が喜んでくれる」、押しつけがましくてもそうやって自分を鼓舞しないと倒れそうでした。

もう二度とあんなことを繰り返してはいけない。でもあの1週間は、善悪を別にして、「人生で忘れがたい経験」の一つになりました。擬似的な「戦争」の当事者になったのですから。争いは人間の永遠のテーマですから、それを考える上で、あの経験は、ただ歴史を学ぶだけではわからない人間同士の争いというものを肌で感じさせてくれたのではないかなと思います。

 

 

樹にすがる自分を、宗教的だなぁと感じることが多々ありました。

 

私の「宗教」の始まりは、2019年5月2日。CHANGE THE ERA-201ix-大阪城ホールの昼公演、スタトロでメンバーが回ってきた時でした。

ロッコは3:3で分かれており、先に回ってきた自担の北斗は、背中を向けて何事もなく通り過ぎました。私も私でメンバーが近くに来ると冷静になってしまうタイプなので、どうでもいいかぁと思いつつ、規定外うちわを振り回す周りのみなさんを横目に、白いペンライトを適当に振っていました。

その後、樹のトロッコが反対側から近づいてきました。ちょうど曲の変わり目で、樹は「音楽にノッて!」みたいなことをマイクを通して言っていました。私は「みんなファンサに夢中で聞いてないなー」と思いながら、もともとの癖でリズムに合わせてペンライトを大きく振りました。地がeighterなので音に反応しがちなんです。

と、そこへやってきた樹が、私の視界を遮る規定外うちわの群れをかいくぐって、ばっちり私を指差して「そうそう」と言うように頷いたのです。ペンライトは白のままでした。一瞬なんだかよくわからなかった。アホ面下げていたと思います。でもあれは私だったと思わせてください。目の前のうちわですぐに樹は見えなくなりました。正面を通り過ぎて、もう一度うちわの途切れ目から目が合い、また樹は頷きました。

時間にすれば合わせて0.5秒くらいだったと思います。本当に私だったのかどうかもわかりません。でもその0.5秒で、私は確実に救われました。みんなみたいにファンサに必死じゃなくてもいいんだ。音楽を楽しんでいていいんだ。樹が、怪訝な目で見られがちだった北斗のファッションを「北斗の個性じゃん」と肯定したというエピソードを思い出しました。私のペンライトは白でした。

 

正直SixTONESを好きになってからその日まで、メンバーの中で樹に一番興味がなかったと言っても過言ではなく、横浜アリーナ公演にもお邪魔しましたが樹の記憶は「生で見たら一番イケメンだった」くらいしかありませんでした。どんな人なのかもまだよく知らなかったので、その日の出来事は青天の霹靂といった様でした。

以来、約1年弱に渡って、田中樹は私の中で「教祖」の位置を占めることになります。

 

 

その間のことは、読んでくださっているみなさんのうち多くの方と共有できる記憶だと思います。樹はいつも私たちが苦しい時、不安な時、私たちの一番欲しい言葉をくれました。私たちの心を読んでいるのかというくらいに。まあ私たちのツイートは読み漁っているのでしょうけど。

そんな樹とスト担を、外野から「洗脳」と呼ぶ声もありました。否めないと思います。実際私もちょっと怖いなーと思っていました。でも、洗脳されて何が悪いのでしょう。人間が救いにすがるのは当たり前ではありませんか。しかも反社会組織とかでもない、ただの健康的なアイドルなのだから。私は半ば自覚的に、SixTONES右翼に傾いていきました。

 

 

冒頭でも述べた通り、私は普段できるだけ客観的に物事を捉えようとしています。これは良いこれは悪いと決めつけるのではなく、どんなものにも良い面と悪い面があり、もっと言うと善悪の価値判断を抜きにして、それ自体の性質をフラットに見つめる。そういう目で世の中を見るよう努力しています。

しかし一方で、大きな感情の動きに、無条件に身を委ねたいという気持ちもあるのです。全てを冷めた目で見て、全てを言葉で説明する。感動を信じない。そんな無味乾燥の人間にはなりたくはありません。

 

私は初めてSixTONESのライブを目の当たりにした時、直感的に、「一生この人たちについていく」と感じました。理性的にそう考えたのではなく、一切の文脈が断たれて、「一生この人たちについていく」という文章だけが頭に浮かんだのです。

当時はまだJr.がマイブームかなというくらいで、追いかけ続ける気もなく、SixTONESとトラジャどっちにしようかな〜というくらいだったので、もう、全くの想定外でした。そして、つまりある意味とても無責任な誓いでした。

論理をすっ飛ばしたその衝撃を、私は信じたいのです。

 

私はSixTONESを信じるし、SixTONESを信じている6人を信じる。

 

脱線しますが、「SixTONES」って、決定的に「6人」でありながら、6人が制御できない6人の外側にある概念のような気もしませんか? 「team SixTONES」という「場」の名前がそれを表しているのかもしれませんが、例えば、内臓・筋肉・骨といった部位だけでは「私」にはなりませんが(脳に関しては諸説ありますが)、それらで構成されている肉体には、「私」という目に見えない意識、あるいは精神、もっと言うと魂が宿っています。それはどこから来たのか。この意識・精神・魂に近いものが、6人の頭上にある「SixTONES」というものなのではないかと考えるのです。

だから私は、「SixTONESを信じる=メンバーを信じる」ではなく、

「〈メンバーが「SixTONES」を信じている〉ということを信じる=メンバーを信じる」

あるいは「メンバーとファンで一緒に「SixTONES」を信じる=メンバーを信じる」

と考えるほうがしっくりきます。すみません、話がややこしくなりました。

 

 

話を樹に戻します。どこに戻ればいいんだろう。

私が思うに、樹はその「SixTONES」という精神のようなものを、一番言語化してきたのではないかと思います。もちろん「俺たちを信じて」とファンに伝えることによって。「team SixTONES」という樹の名付けも、その証左かもしれません。だから私はいつの間にか、田中樹≒「SixTONES」だと思うようになっていきました。まるで「〈私〉の意識とは脳のことである」とでも言うように、具体的な形を持たない「SixTONES」を、「田中樹」という一人の人間に見ようとしたのです。

樹が脳なら、さしずめ心臓はジェシーでしょうか。

 

ではどうして、樹は「SixTONES」を言語化していたのか。

これは完全に憶測の域を出ませんが、「私たちの一番欲しい言葉」を一番欲しがっていたのは、樹本人だったのではないかと思うのです。

 

同じように思っている方は少なくないのではないでしょうか。

今2019年を振り返ってみて、こんなに脆い樹がよく1年間あんなに強くいられたなと驚いています。追加公演決定という嬉しい知らせを受けて、不安げな顔をする樹が。髙地相手だといたずらっ子の子犬みたいになる樹が。「見栄っ張りビビリ」を自称する樹が。誰かの1番になりたい樹が。

 

心に響く言葉というのは、書き手が本心でそう思っていないとなかなか書けないものです。上っ面ではごまかせません。スト担が欲しがっている言葉をいつも的確にくれた樹は、スト担と同じ苦しみや不安を抱いていたからこそ、その時に何を言ってほしいのかがわかったのではないでしょうか。「傷ついた人だけが他人に優しくできる」の言葉通り。ファンに向けると同時に、自分自身に言い聞かせるように。

誰よりも「6」にこだわり、本当はボケたがりなのにグループのためにMCスキルを身につけ、ANNのWe are SixTONES!!のコーナーでは嬉々として「SixTONESってこうだよな」と話す樹。私たちが樹の言葉で救われてきたように、 樹は「SixTONES」を信じることで自分自身を救ってきたのではないでしょうか。

 

 

じゃあ私が依存してきたものって一体何なのか。

それは、樹がSixTONESに向ける感情そのものだった、と言えるのかもしれません。

「ここでは自由に音楽を楽しんでいいんだよ」

樹が私にそう教えてくれたのは、そこが、「SixTONESのライブだから」こそだったのかもしれないのです。

 

 

 

 

2. 不器用でどうしようもなくて可愛い人

 

樹と慎太郎について、似てるなぁと思う側面と、正反対だなぁと思う側面があります。

気遣い上手でありながら芯があり、諦めるということと主張するということ、両方をわきまえている二人。私は彼らを見ていてこう感じるのです。

慎太郎はもともと「諦める」ことが刷り込まれていて、SixTONESのメンバーやジャスティンとの出会いで「主張」してもいいのだと気づき、生き方が変わった。樹は本当は感情的なほうで「主張」せずにはいられないけれど、成長する上で「諦め」なければいけないことを学んだのだ、と。

 

慎太郎は本題ではないのでみなさんの解釈に委ねるとして、樹について、私が最近一番そう思ったのは某ラップアンチ煽りブログです。まあそれでなくとも、ラップ自体でかなり煽りますし、鬱憤は溜まって……ますよね(笑)

言わなくてもいいことをわざわざ言ってしまう。過去のじゅりぶろも含めて「もうエゴサせんでいいよ……」となるまでオタクの治安に干渉する。頭で書いているように見えて気持ちで書いている。なんかもう近頃は「この子はなんでこんなに不器用なんだ!!守らせてくれ!!!」といった気持ちになります。

 

 

樹の不器用だな〜と思うところを書き連ねますが、悪気はありません。不快に思う方はペンギンのところまでスッと飛ばしてください。

 

まずアドリブが苦手。バラエティで振られた時の対応が不安です。よくそれでメンバーにパッとツッコめるなぁ、即興ラップとかできるなぁと思うんですが、メンバーのことはよく知っているしラップも地道に勉強してますもんね。勉強してよくわかっていること(爆モテも然り)(察しろ)は上手いけど、慣れないことは苦手。公式がないと生きていけないタイプなんでしょう。可愛いけどハラハラするのでバラエティのアドリブにも慣れてください。

正直ANNも最初のほうはハラハラしながら聞いてましたが、最近は板についてきた感じですね。ハガキ職人のノリも掴んでいじられっぱなしじゃなくなったのでよかったです。ANNは相当樹の力になるんじゃないかな。

あとは、髙地いじり(笑)本人がいるところでは髙地がうまく受け止めて(?)くれるからいいけど、本人がいないところでは落ち着いてください(笑)誰も処理できんから……

それからなんだろうな、樹はちょっと優しすぎる。そんなにべったりファンを気遣いまくらなくても大丈夫。ファンはちゃんとついて行きます。って言ってもエゴサするんだろうな(笑)俺リリでは樹の書きたいことを書いてくれてるし、最近は嬉々としてボケまくるシーンもよく目にするので安心してます。

 

🐧<ペンギン!

 

再放送で初めて野ブタを見てるんですけど、樹って桐谷修二みたいだなぁと思うんです。表向き器用で何でもそつなくこなす人気者、そして内心世の中を冷めた目で見ているけれど、本当は情に弱くて他人思い、想定外の事態にとことん不器用。SixTONES野ブタパワーなのか……?(?)

 

それからもう一人似てるなぁと思う人が、他Gに詳しくない方には申し訳ないのですが、Travis Japan 川島如恵留。行き場のない母性をメンバーにぶつける日々を送る、インテリオタクさんです。いや如恵留さんはマジで樹よりもっと自己主張が制御できてない(オイ)んですけど、なんというか彼は天才なので……(?)いやそんなことはどうでもよくて。

樹と如恵留って、自分の役割を得ることで居場所を作るタイプなんじゃないかと思うんです。如恵留さんは「ママ」を自称しすぎ。いや確かに頭がよくて機転が利いてしっかりしてるけど、なんかもうそれを相殺するレベルでしつこい(いい意味)(?)。彼がどんな人か知らない方は、ジャニーズweb内のトラジャの連載「とらまる」の川島如恵留ページ、通称のえまるを見てきてください。読まなくていいです、見てください。

川島さんの第一印象がえらいことになるな。ごめんな如恵留。

如恵留さんを見てると、「メンバーをお世話する役割」を主張することで、自分の存在意義を見出しているように感じるんです。トラジャに詳しい方にはわかっていただけるかなー。

それは樹にも通じるものがあって。可愛い子(例・K本さん)をデロデロに甘やかしてお世話するのはもちろん、MCやラップについても同じことが言えるんじゃないかと思うのです。

 

先述した通り、樹のMCスキルはグループのために後から身につけたものです。ラップは多くのJr.の中から頭角を現すための武器でしたが、もともとはお兄さんがやっているから割り当てられただけで、本人は嫌いだったと言っています。でも、学んでいくうちに夢中になったと。

じゃあ、MCもラップも持たない樹は一体どんな子供だったのか。

私は新規も新規ですから、うまく想像ができません。ただ普通の男の子のように、ボケたがりふざけたがりのいたずらっ子だったんだろうな、と。私が樹のことを掴めるようで掴めないのは、こういった理由もあるのかもしれません。

 

何も持っていないから努力する。誰もやれないから引き受ける。みんなが自己主張してくれるからバランスをとって自分は妥協する。でも譲れないものは譲れない。SixTONESが好きで、SixTONESを信じていて、SixTONESは6人で、そこに自分もいたい。そして、そのSixTONESに関わる人たちは誰一人として、無下にできない。みんなSixTONESを信じているから。みんな自分と同じだから。

 

切ないくらい不器用で、器用だということそのものが不器用で、優しすぎて自己犠牲が癖になっていて、でも感情は殺せなくて、いつも何かにしがみついていて、だけど本当は自信がなくて……なんだろうなぁ、この可愛い人は。

私が心底憧れて、崇拝すらして、心の支えにしていた神様は、デビュー期間が明けて魔法が解けたら、じたばたもがいて生きてるか弱く可愛い一人の人間だったんですね。

 

 

これだけ好き勝手書いておいてなんですが、それで私が言えることはなんにもありません。ただ、これから世界を目指すSixTONES、そのMC担当、今日で25歳、これからもっともっと努力することが増えるんだろうな……と思って、ちょっとばかり胸が痛むだけです。

 

本当に何が書きたいのかわからなくなってしまいました。普段樹についてぐるぐる考えていることをまとまりもなく文章にしてみた感じです。

樹、大丈夫、樹はうちらの1番だからね。え? お前らどうせジェシーが1番なんだろ? そりゃ、あの……6人全員同率1位ですよ……ごめんって、樹担さんに1番もらっておいで。

 

なんで誕生日にこんなしんみりした話してるんでしょうかね!

じゅったんいつもありがとう。頼ってばかりでごめんなさい。でも、あなたのおかげで救われたことが山ほどあるんです。樹は私に必要だし、他でもない樹だから応援しようと思えるんです。松村担が何言ってんだってね! でも本当です。樹は私にとってかけがえのないアイドルです。

 

めちゃくちゃ人間くさい神様、いや神様みたいな人間、ううん、田中樹という一人の人間に、私はどこまでもついて行く所存です。そして地の涯まで味方します。

 

樹、25歳の誕生日おめでとう。