沼底を撫ぜる(小説)

   沼底を撫ぜる(小説)

 

 

 冬馬が勧めてくれた映画の中に、身寄りのない老人の家に上がり込んで世話をして生活する家のない女の人がいて、私にああいう図々しさとコミュニケーション能力があればと思う。家もお金もなくした時、私は何だってするだろうか。自分にはできないと接客業も塾講師も遠ざけた私が。最近、風俗業の女の人たちについて時々調べている。私は今年の三月に、偶然、そういう職業の女の人と会って話をした。彼女は男を相手に仕事をしていたけれど、レズビアンだった。私は彼女に連れられて生まれて初めてラブホテルに入った。彼女に求められるがままにキスをしてやり、しかし体を預けることはどうしてもできなかった。したくもなかった。ベッドの上の私の肉体はただのゴム塊で、触れるものすべてが不快な音と臭いを立てた。彼女は体しか欲しがらなかった。私は彼女の話が聞きたかった。聞けば、私は彼女が持っていないものをすべて持っているらしかった。彼女は私を羨んだ。彼女は小さい頃成績優秀だったが、ある時不登校になり、それから何もかもが絶たれたそうだった。申し訳ないが、詳しいことはよく覚えていない。私は彼女の敏感な部分を執拗に追及し続け、とうとう彼女を泣かせた。隣に寝転んでいた彼女が静かに泣き出した瞬間、私は彼女を初めて愛おしいと感じた。そうして彼女を後ろから抱きしめた。彼女は嫌がった。その晩、私は夜明けが近くなるまで眠ることができず、彼女の無遠慮ないびきを聞きながら、自分自身の愛について考えを巡らせていた。

 私を好きだと言ってくれる人がいた。その人は私よりも年下で、私が彼のことを熱心に聞いてくれるから甘えているだけなのだと私にはよくわかっていた。彼は自分のことを話したがらなかった。けれど、それは諦めているだけだった。話しても無駄だし誰も自分のことになど興味がないと思っているだけで、本当は聞いてほしい、構ってほしいのだと私には感じられた。それというのも、彼は十代の頃の私によく似ていたからだ。彼は私以外の人の前で、自分を偽っているらしかった。人気者を演じていたが、彼が自分で「友達」と呼べる相手はほんの少ししかいなかった。私からすれば、彼は「友達」の基準が高すぎた。その「友達」以外の知り合いのことを、彼は私との会話の中で散々にこき下ろした。私は笑った。彼自身の話をするよりも、彼の周囲の人物の話を聞くほうが、普段は気が楽だった。

 彼は自分のことを話したがらなかった。だから私は苦戦したし、彼には私の面影があって、簡単に諦めてしまうわけにはいかない気はしていたが、それでも私は彼のことを愛せなかった。私はただ、「会話で相手を喜ばせるにはとにかく質問をする」を実践しただけだった。彼もそのことはよくわかっていた。だからこそ、彼は私を愛しながら、諦めていた。私は何もかもを諦めてきた彼にまた失望させてしまうことを申し訳なく思った。しかしその申し訳なさ、自分の意思を押し殺してでも他人の期待に沿わなければ申し訳ないようなその感じ方というのは、あってはならないものだった。その申し訳なさを帯びてしまったからこそ、私は風俗嬢に連れられるがままにラブホテルへと入り、相手と自分自身を交互に傷つけてしまったのだ。

 私は彼に思わせぶりな態度をとりながら、かつて愛していた人に連絡をし、そのことをあとで彼に伝えた。当然、彼は激昂した。私を最低だと罵り、私を彼のところへきつく縛りつけておきたい意を露わにした。私はその時、ずたずたに傷つけられながら、初めて彼を愛おしいと感じたのだ。一人の人間の核心に触れる最も効率的な方法は、その人を傷つけることだった。彼とはその後、また以前のように彼自身や彼の周囲について話しながら数ヶ月間を過ごしたけれど、結局何ともならなかった。私が彼を愛したのは、彼が私を憎んだあの一瞬だけだった。

 決壊した感情を浴びる。目の前のその人の刃がたった一人の私だけに向かっている。それは私にとって、愛の代替物だった。私はできるだけ多くの、そして深く個人的な言葉を人から聞き出し、その人の中へ、奥へと潜り、その人をまともな社会的人間にさせているところの内なる弁を、激情が、私のために溢れ出た激情がたちまち押し流していくのを、見、体いっぱいに浴び、感じた。それで私は満たされるのだった。私は私の体の中で、今にも決壊せんばかりに渦巻く感情の濁流を愛していた。悲しみは甘美だ。孤独は私を特別な存在に感じさせる。人間は誰しも、その核心の部分に獣を飼っているはずだった。私以外の人間は、その獣に首輪をつけて飼い馴らすか、殴って目を潰し、脚を折って、使い物にならなくしている者ばかりだった。私は月が昇ると、誰かの獣小屋の中へそっと入って行き、その美しい毛並みを撫でる。獣は緑色の双眼を爛々と光らせ、私の姿をじっと見る。月が私の裸体を照らしている。私は私自身、この人間のままで獣であった。

 私の知る人の中で唯一、冬馬は、私と同じように人の心の柔らかい部分に触ろうとする人間だった。冬馬の指は一般的な男性よりもずっと細長く繊細で、人をそっと撫でるのに適していた。冬馬は私のように人を傷つけて無理矢理こじ開けたりはせずに、その艶のある声色、深く潤んだ黒い瞳、舞うような身のこなしで、人の心を溶かして暴くことができた。冬馬にはその才能があったのだ。私は冬馬が羨ましかった。冬馬はいつも愛されたがっていた。彼は愛を知らなかったのだ。冬馬は数え切れない人々を惹きつけ、そしてこれ以上ないくらいに愛されていたけれど、それを認めようとしなかった。彼はただ「好きだ」「愛している」とだけ言われる愛を信用できなかった。だから、人の核心に踏み入ろうとするのだ。

 彼はまた、彼自身を暴いて見せようともした。たいていは要領を得ず、誰にも伝わらない言葉で、うんと遠回しに、彼曰く「ヘドの出る文章」で表現された。彼はほとんどの領域において私を遥かに凌駕していたけれど、彼の書くものだけは、私には微笑ましかった。彼の言葉は核心の周りをぐるぐると回り、見せたいけれどまだ恥ずかしい、恥ずかしいからそれらしく装飾し、そういう部分があるのだと仄めかすだけに留めて、その先へ入る道は用意されていなかった。おそらく彼自身もそこへ辿り着けたことはないのだろう。ぐるぐるぐるぐる、ただ周りを歩いて、微かに漂うメランコリックな香りに肺を浸し、静かに酔い痴れている。人間が自身の核心に至り、そしてまたそれを正確に伝えるには、形のない道具と、それを得るための途方もない努力を必要とする。私の道具も誰かから見れば陳腐で、稚拙で、ほんの微笑ましいものなのだろう。私は私の努力を、まだ、書いてきた文字数だとか、得てきた評価や肩書きでしか測ることができない。私がこれまでのまだ何ものにもなっていない成果に甘えて油断している間に、冬馬があの真っ当な努力で颯爽と抜き去っていくことだって、十分にあり得るだろう。冬馬には私と違って、全くの悲劇的な感情なしに、真っ当に前へ前へと努力する才能があるのだ。私は彼を羨んでいる。羨んで、そうして何もしないでいる。羨みとは、妬み、僻みであり、冬馬をあそこから引きずり下ろそうとする憎しみなのだ。十分に愛され、人格にも恵まれ、彼は一体これ以上何を望むのか。彼が彼自身を嘆く理由は、今の私には何一つ見つからない。

 はじめ、私は彼の主観的な語りばかりを聞いていた。彼を取り巻く環境を一切知らずに彼を見たのだから当然だ。彼はこう言った。自分は万人には好かれない。「友達」がいない。面倒臭い性格をしている。

 彼はまたこうも言った。自分と似ている人が好きだ。普段感情を表に出さない人が、僕と喋っている時だけ笑うというのが理想だ。私は普段楽しそうに笑っている人を、私のせいで傷つけて泣かせたかった。それはまた、私が傷つけられたいという欲望の裏返しだった。

 彼は「友達」がいなくて、人見知りで、生きづらい女の子に感情移入をしていた。彼はとても生きづらそうに見えた。常に愛に飢えているように見えた。それは、「見えた」だけかもしれなかった。それでも、冬馬の「生きづらそう」なさまは、私の拠り所になるには十分だった。

 私は小さい頃から、「友達」がいなかった。気の強い幼馴染とは、いつの間にか上下関係ができていた。私は同じ年の女の子たちよりうんととろくて、一人娘で何も知らないままに育って、嫌だと思うことが少なかった。かくれんぼで毎日鬼にされて公園の真ん中に取り残されても、下校中に傘を壊されても、私の部屋で遊んでいて三人にのしかかられ下敷きになっても、私は何とも思わなかった。今思い返してみて、それらを何とも思わなかったことそれ自体がかわいそうだと思う。休み時間に好きで描いていた漫画は、クラスメイトに貸して読ませているうちに、クラスメイトを登場させて喜ばせるためのものに変わっていった。それは中学まで続いた。体育祭のチアガールをやるのが嫌で一人の女の子が泣いて、この場を終わらせなければとかわりに立候補した。私は体を動かすのが下手くそだった。私はチアガールの一番下で、醜態を晒した。

 それよりも、英単語を覚えられないことのほうがずっと恥ずかしかった。毎週の小テストまでに範囲の半分も覚えられなくて、いつしか堂々とカンニングをするようになった。クラスの誰かがそれを見て先生に報告し、呼び出され、うまくはぐらかせてお咎めなしとなった時、うまくやりさえすれば世の中は全く怖くないのだと、生まれて初めての明確な悪意が芽生えた。

 小学校に入ってから高校を卒業するまで、私は一貫して「しっかり者の××さん」だった。そういうふうに見せかけなければ居場所はなくなるものと思っていた。私は「物分かりのいい子だ」と教師に信頼され、当時は得意だった絵を行事のしおりに使ってもらって賞賛され、そのうち勉強も人に頼られるくらいになった。友達はいなかった。私は他人から友達だと思ってもらえるような人間ではないと思っていた。私はどこまでも都合のいい××さんであって、人から望まれるままに働く機械であった。私は恵まれていた。私がどんなに風変わりで、流行に疎くて、とろくて、獣じみた外見をしていても、学校には毎日私の席があり、私に話しかける人はいなかったけれど、私に直接危害を与える人も一人もいなかった。あるいは、私はむしろ普通の子のようになれないことを哀れまれていたのかもしれない。

 当時のクラスメイトとは、今は誰一人連絡を取っていない。友達ではなかったのだから当然だ。私は記憶の中の、クラスにいたちょっと変なあの人で、クラスの人数を埋め合わせるためだけの装置で、クラスが終わればぼんやりと霞み、忘れ去ってしまうべき誰かさんだった。そうであることを望んだ。当時の私の姿はあまりにも醜かったので、華やかな青春時代を過ごした美しいクラスメイトたちからは、すぐに忘れられたかった。

 私は中学の卒業アルバムのグループ写真に、あとから合成された。どこのグループにも、友達ではない私が入ることで迷惑がかかるだろうと思って、どこにも入れなかった。入りたくもなかったのだ。私は思い出の中になど残らず、すぐに忘れられたかった。

 私はここから逃げたかった。一人だけ、絶対的な味方を作って、この世から駆け落ちをしたかった。逃げる先などない。世界はどこまで行っても世界で、容赦なく私たちを追いかけてくる。頑丈な壁で囲って、たった二人で立て籠もって、ゆっくりと愛し合いながら静かに死を待つだけ、それだけがしたかった。そのためには、私と同じ願望を持つもう一人が必要だった。

 社会にそんな愚かな願望を露わにすることは、許されていない。私たちは芸術の中だけでそうすることが許される。私は青春時代に、そうやって個人的な吐露を繰り返して私の胸をずたずたに突き刺す小説をいくつも読んだ。芸術表現の中でのみ、個人的な孤独や悲劇を嘆いても誰からも責められず、むしろ共感する受け取り手までが現れる。彼は私が書き綴った個人的な痛み苦しみを、自分も受けたと言うのだ。彼は彼自身の核心を開いて見せる。私のそれとそっくり同じものが入っている。彼の外見は私と似ても似つかない。長く逞しい腕、広い肩、控えめで涼しげな両の目、そして何より、創造主がこれ以上ないほど丁寧に、細長い指先でそっと優しく摘んで創ったような、革命のようにまっすぐ尖った鼻。世にも美しい姿をして、その中に痛みも寂しさも渇望をも隠し持っている彼は、私と同じく一人の人間なのだと、私はにわかに理解した。彼が私を生まれて初めて許すように、私も彼を許したいと思った。私は許されたかったのだ。踵を浮かせて手に入れた功績を褒め称えられるのではなく、この私が生まれ持った醜さを、汚さを、愚かさを、それを自覚していながらそれでも誰かに愛されたいと願ってしまうこのどうしようもなさを、ここに確かにあるものだと認められたかったのだ。

 彼の悲しみは、彼が悲しむというだけで美しく見えた。私の惨めな悲しみこそが本当の悲しみではないかと思った。美しいものは、美しいというだけで愛され、恵まれる。本当に一人ぽっちになれるのは、醜いものでしかあり得なかった。それでも私には彼が必要だった。彼の美しさと無関係に、彼の中身だけが必要だった。醜い私と、美しい彼の、両方の中身だけを取り出して、対等な魂だけで存在したかった。そのためには、彼の美しさを賞賛する世の中のすべてが邪魔だった。彼がすべての人から憎まれればいいと思った。彼が本当に一人ぽっちになって、私と同じになって、外見の美醜など何も関係がなくなった時、その時初めて彼の悲しみは切実なものとなり、絶対的な私の味方になるだろうと思った。私たちはそうして絶対的な悲しみを互いに慰め合って、たった二人で死んでゆけるのだ。私たちは互いの中身を見せ合うために、言葉を必要とした。言葉は匙の形をしていて、互いの魂を少しずつ削り取り、私たちはそれを美味しく食べ合う。二人ともがたっぷりと満たされた時、もうどちらにも命は残っていないだろう。それが私たちの幸いなのだ。

 私は彼に私の言葉を読ませたかった。私の小説を形にするしかなかった。彼の勧めた映画を山ほど観た。そこには私や彼と同じ寂しさを抱いている登場人物たちがいた。彼らはそれを愛と呼んだ。彼らはその愛によってハッピーエンドを作り、私はまたも許された心地がして何度も泣いた。私たちはハッピーエンドを望んだ。非現実的だとわかっていながら、それを思い描き、形にしようとする作り手が、私たちの他にも何人もいて、彼らの作品が認められる限り私たちの愚かな願望もまた認められるのだ。私は彼のために、愛の物語を書きたかった。私は社会的な私の裏で、ひっそりと、たった一人で、この願望を正確に写し取った小説を書き上げようと苦心した。それは当然、簡単に成就されるものではなかった。

 その時に書いたものの一欠片を、ここに抜き書きしておきたいと思う。

(眠れない夜があったんでしょう。鏡に映る、自分の顔の輪郭が奇妙な形に見えて、頰の余白が果てしなく思えて、奥二重の両目が瞼に埋もれて消えていってしまうように感じて、あなたは毎晩眠れなかった。可愛いよ、あなたは)

 

 私は、一人の男の人を好きになった。私はその人に、冬馬に対するそれとは全く違う感情を抱いた。私はその男の人を尊敬し、その人に幸せになってほしいと思った。これが愛なのだと気づいた。じゃあ、私が今まで愛だと思っていたものは、何?

 冬馬は私の知らない間に、どんどん真っ当な人になっていった。彼は際限なく美しくなった。彼が自分の中身を切り開いて見せることはなくなり、私もまた彼のそれに興味を示さなくなり、私には冬馬の肉体しか見えなくなった。肉体はゴム塊だ。創造主によって、自由に、不平等に造形され、明確な美醜の基準が人間の手でそこかしこに定義されているけれど、私はただの物質の何が美しくて何が醜いのかわからない。その物質が唇の両端をぐわりと持ち上げて笑う時、あるいは憎しみに眉を歪めて怒鳴り声を上げる時、そして子供のように大声を上げて泣き喚く時、それこそが、真に美しい人間の姿ではないだろうか。私は、私の言葉で人を喜ばせ、怒らせ、泣かせることもできると知った。彼らが望むことを書くだけならいくらでもできる。単純に喜ばせ、笑わせるだけならば造作ないことだ。しかし、そこにどれだけの深度があると言うのだろうか。私が私自身の中身を切り開いて見せることのないまま、ただ表面的な技巧だけで飾り立てた文章に、何の価値があると言うのか。私は商業作家になりたいわけでは全くない。この世のどこかに確かにいる、私と同じ痛みを抱えた誰かに、ここに味方がいるよと知らせたいだけなのだ。そして、私自身の味方が欲しいだけなのだ。私たちのことがわからない幸せな人々には、全く関係のないことだ。

 冬馬よりずっと醜く、切実な悲しみを抱えた誰かがいればと思う。見渡す限り、誰もが美しく幸せそうに見えて、私はめまいがする。冬馬のかわりが見つかっていない今、冬馬を手放せば、私は本当に一人になってしまう。冬馬が現れなければ、誰かとわかり合えるかもしれないなどという浅はかな希望を持つことはなかった。たった一人で絶望のうちに死ぬことだってできた。けれど、私は生きていて、冬馬を知って、冬馬の好きな作品を知って、この世のどこかに、私のことをわかって、いや、わからなくとも認めて許してくれる人がいるのかもしれないと願ってしまった。私はその人を見つけるまで、書くことも、生きることもやめられなくなってしまった。

 その人を見つけるまで、私は死ねない。私が死ぬ理由は、その人だけなのだ。果てしなく甘美な激情に飲まれて、二人でこの世から駆け落ちする。……理想はイメージを生じない限り、求められることも悩ませることもない。理想は思い描けてしまった瞬間、人生すべてを支配する。理想は頭で思い描けても、現実には叶わない。私は果てしない渇望の海を、足のつかないまま泳ぎ続けるしかなくなった。

 私はその咎で冬馬を責めたい。私が身勝手に期待した罰だろうが、思わせぶりに振る舞ったのは冬馬のほうではないか。冬馬のかわりに私の理想を叶え、人生を救ってくれる人が現れなければ、彼はどう責任を取ってくれるのだろうか。どれだけ責めても、冬馬は私のことをこれっぽっちも知らない。冬馬は私と関係なく、勝手に幸せになる。言葉を食べ合って愛し合う甘美さを、彼はもう忘れてしまったのだろうか。私だって幸せになれないとは限らない。でも、どれだけ幸せになっても、不幸せの只中でたった二人の幸せを成し遂げる幸せは、この世では手に入らない。だから私はまだ幸せになるわけにはいかない。書き続けたいのだ。冬馬がいなくなっても、私は本当に私と同じ悲しみを持ってきてくれる誰かのために、そしてそれを望む自分自身のために、やはり書き続けて生きたいのだ。途方もない道程になると思う。運次第だとも言える。それでも私にはこれしかない。私が私の味方でいなくて、どうすると言うのだ。

 

 

ジャン・ジュネ(1968)『泥棒日記朝吹三吉訳、新潮社 を読んで

2020年8月20日