京本大我論 〜12月3日によせて〜

 

 

京本大我さん、25歳の誕生日おめでとうございます。

私の自担は北斗くんですが、京本さんは世界線が違えば自担だったろうなぁ(でも絶対自担にはならない)という存在で、好き・嫌い以前に、彼についていろいろ考えてしまいます。

ということで、今日という日によせて、大きく分けて2つのテーマで京本さんを論じてみたいと思います。

京ジェ論ときょもほく論です。論じると言っても致命的に参考文献の引けないオタクなので(笑)大半は勝手な憶測だと思って受け流してください……

 

 

1.  なぜSixTONESのセンターは京ジェであるべきなのか

ジェシー、そして京本大我。メンバー全員が認める、SixTONESの絶対的センターですね。

一般的に京ジェは、「歌で繋がった同志」のように形容されます。

全体的に歌の上手いSixTONESの中でも2人がずば抜けた歌唱力を持っていて、音楽面でグループを引っ張っています。

 

では、京ジェがセンターである理由は、歌唱力だけなのでしょうか?

バカレアでは、主役格が慎太郎、2番手が北斗でした。

それが、なぜSixTONESでは京ジェセンターになったのでしょう?

 

ユリイカ」11月号で日本の男性アイドルが特集されており、矢野利裕氏の加藤シゲアキ論でこのように論じられていました。

 日本において芸能を担ってきたのは、「河原乞食」として社会の周縁に位置した人たちである。いや、日本に限らない。世界的に、歴史的に、芸能を担ってきたのは、社会の周縁にいるマイノリティである。(中略)

 芸能-人というのは、そのような社会の内側/外側の境界にいる存在である。ありえないくらいに美しい人。ありえないくらいに滑稽な人。衆目を集めるのは、良くも悪くも周囲とは異なる性質をもつ人である。(中略)その意味で、芸能には本質的に差別の構造がはらまれている。

矢野氏の論はここから、加藤シゲアキの小説は芸能におけるマイノリティと差別を的確に捉えている、と進みます。興味のある方はユリイカを手にとってみてください。

 

さて、

「芸能人はマイノリティであり、被差別者である」

これを踏まえて京ジェを見てみましょう。

 

京本大我はみなさんよくご存じの通り、俳優・京本政樹の一人息子です。

有名人の息子である。そのことがジャニーズとしての大我さんに大いなる葛藤を与えたことは、何度も語られています。大我さんは「特別」であることを克服し、純粋に実力を評価されたいと切望してきました。

今では10代の頃ほど気にならなくなったと彼自身は言いますが、それでも事実として、初めて出る番組では名前の次に(事によると名前より先に)「京本政樹さんの息子さんです」がついて回ります。京本政樹の息子、と言えば、人々は好奇の目で振り返るのです。

 

ジェシーはどうでしょう。

手元にお買い上げしておらず申し訳ないのですが……今年の春頃の雑誌で、SixTONESのメンバーそれぞれが子供時代を振り返るテキストがありました。(すみません立ち読みしました)

その中でジェシーは、小学生の頃は自分だけハーフだから云々……といったような話をしていました。詳細は覚えていないのですが、「子供の頃からハーフであることに自覚的だった」事実が重要なのでこのまま進めます。もし誌面をお持ちの方がいたらご一報ください。

国籍による差別はもちろんダメですが、今は倫理的問題は置いておきます。

今のところ、ハーフはマイノリティです。

ハーフいじめの事例ももちろん多くありますが、例えば「ハーフって美人だよね/かっこいいよね」というのも差別の一つです。先ほどの引用をお読みいただければ理解できると思います。

ジェシーが小学生だったのは今から10年以上前。まだまだハーフ=もの珍しいという意識は強かったろうと思われます。

 

「有名人の息子」の京本大我と、「ハーフ」のジェシーは、それぞれ生まれながらにして「マイノリティへの好奇の目」を全身に受けてきました。

他の4人のメンバーは、例えば慎太郎が小さい頃からJr.のセンターだったとか、樹のお兄さんがKAT-TUNだとか、マイノリティの要素のある人もいますが、しかし元はみんな一般人です。京本さんとジェシーほど先天的かつ根深いものではないでしょう。

 

ユリイカ」の複数の文章中で、芸能人=「まなざされる」存在だという表現が何度も出てきました。マイノリティは多くの人から好奇の目で「まなざされ」ます。もの珍しい存在として社会からジロジロ見られて育った京本さんとジェシーは、今ステージの上で、我々ファンの「まなざし」を受けています。

京本さんとジェシーは、生まれながらにして最も「芸能的」なのです。

 

京ジェは圧倒的な歌唱力を持っていますが、彼らから歌を奪っても、2人はSixTONESのセンターであり続けることでしょう。彼らがステージで放つオーラには凄まじいものがあります。常にまなざされてきた彼らには、「まなざされ方」が刷り込まれているのです。

 

 

蛇足ですが、京ジェの歌についての考察も少ししておこうと思います。

京本さん作詞の『癒えない』は、暗闇の中で葛藤し光を切望する姿が悲劇的に描かれ、曲の最後に「救いの歌よ」というフレーズがあります。

ジェシー作詞の『My Song』は最終的には「夢・希望」に辿り着くバラードですが、始まりは「不安で孤独な日々」、Bメロで「Song for youじゃなくてmeだよ」というように、やはり自己のネガティヴな面を歌で救うという流れです。

2人とも共通して「歌=救い」という認識をしています。京ジェはただ単に歌が上手い同士というだけではなく、歌というものの捉え方が同じだからこそ、魂で繋がったハーモニーを奏でられるのでしょう。

京本さん、ジェシーSixTONESのセンターとして、いつまでもその素晴らしい歌声を響かせ続けてください。

 

 

2. きょもほくはただの同族嫌悪ではない

おそらく独立した記事にするべきなのでしょうが……(笑)

SixTONESの一大命題「きょもほく」に挑んでみます。解釈違いはご容赦ください。

 

きょもほくは、彼ら自身が互いを「鏡だ」と形容するように、似た者同士→同族嫌悪→不仲という図式が一般的になっていると、私は認識しています。

しかし私は問いたい。きょもほくは本当に、ただの同族嫌悪なのでしょうか?

 

この疑問には根拠があります。一つは、北斗は樹に対して、他人との距離の取り方など自分と似た部分があって居心地がいいと言っていること。もう一つはダイレクトに、北斗の好きなタイプが「自分と似ている人」だということです。

「本当はきょものことが好きだから気まずくなっちゃうんでしょ!?」なんて言う人もいますが……(苦笑)

 

当方ド新規につきラブラブ期とガチ不仲期のリアルタイムな知識は皆無なので、全然違うじゃん! という意見ももちろん覚悟しておりますが、今の私から見るきょもほくを、少し解剖していきたいと思います。

 

スト担の共通認識として、きょもほくの似ている点は主に性格だろうと思います。

甘やかされて育った一人っ子の京本さんと末っ子の北斗、2人ともちょっぴり(?)わがままで甘えたがり。でも強がりでコミュニケーションが得意なほうではありません。らじらーでお互い好き勝手に弾丸トークしてたのめちゃめちゃおもろかったです。

また、ソロの演出が被りそうだと本人たちが言うように、感性も似たものがあります。

 

二本立てなので結論を急ぎます。

性格や感性が似ているのに対して、2人の相違点はズバリ、価値観です。

 

京本さんはストイックでかなり極端なところがありますね。負けず嫌いで、自分の弱点を克服しようとする姿勢がよく見受けられます。

仕事面だけでなく、「早いうちに結婚したい」「『超』という口癖を直さなくてはいけない」など、「こうあるべき」という社会的規範に従うような言葉が多く聞かれます(実際に実現するかは置いといて……)。内向的だったりだらけがちだったりする自分を否定的に捉え、直そうと努力しています。そして、ミスチルの桜井さんやA.B.C-Zの戸塚くんなど尊敬する対象がおり、その人たちを目標にして、自分を修正する生き方をしています。

 

対して北斗は、個性の表現を恐れません。「最初は山Pになろうとしてたけど、自分には無理だと気づいた」「僕はイケメン亜種」と、グループ内トップの人気を誇ってもなお、個性派を自称しています。ファッションも独特ですし、トゲのある発言で賛否両論を呼ぶことも少なくありません。

生粋の山P担でもある彼ですが、多くのスト担が手にしたであろう「BOURGEOIS」5thにおいて山下くんは、「自分のやりたいことをやっている」という主旨の話をしていました。北斗も、山下くんの見た目をそのままなぞるのではなく、「ありのままの自分でいる」という価値観に影響されているのではないでしょうか。

短所を直さなければいけないものとする京本さんと対照的に、北斗は自身のめんどくささを茶化して「僕の話は長編サスペンスなので、我慢して最後まで聞いてください!(笑)」なんて言っちゃいます。

 

自分の外にある「正しさ」を信じ、それに合わせて自分を修正する京本さん。

自分の内なる感性を認め、ありのままで生きようとする北斗。

個人的に、京本さんは「一神教的」、北斗は「多神教的」なんていうふうに形容しています。京本さんから西洋風の気品を、北斗から日本的な風情を感じるのもここに由来しているのかもしれません。

どっちが良い悪いというわけではありませんが、2人の間には大きな価値観の違いがあるということをご理解いただけたでしょうか。

性格が似ているのに価値観が違う。性格が全く正反対なら考え方が違うのもわかるけれど、自分と似た人が、お前の生き方は間違いだとでも言わんばかりに全然違う考え方をしているのです。受け入れがたいですよね。宗教戦争です(苦笑)

最初は仲がよくてだんだん険悪になったのは、思春期の成長過程で、特に北斗の価値観が変わっていったからだと思います。

 

私の分析するきょもほくは以上の通りです。

樹は、性格で似た部分がある上に、北斗の価値観を受け入れてくれているのだと思います。北斗のファッションを樹が「北斗の個性じゃん!」と肯定してくれたという記事を読んだことがあります。

 

京本さんと北斗、どっちが間違いというわけでもないので、どちらかが価値観を変える必要はもちろんありません。2人とももう大人なので、受け入れがたかった価値観も、賛同はできなくとも、理解はできると思います。って、めちゃくちゃ上から目線ですみません……(笑)

個人的には、楽曲の共作が実現すれば、それを通じてわかり合えるんじゃないかなーと思っています。作詞作曲だけでなく、もちろん演出も。今もよく互いの感性を褒め合ってますよね。そういうとこ好きです。2人の表現が大好きなので、ぜひきょもほくユニットを! 期待しています!

 

 

 

京本大我論豪華二本立て、読んでくださってありがとうございました!!! 

いちオタクの、それも他担の戯れ言ですが(笑)こんな考え方もあるのかーと思っていただければ幸いです。

SixTONESのセンターとして、一人の歌い手として、京本大我さんのますますのご活躍を期待しています!!

京本さん、誕生日おめでとう!!!