TrackONE -IMPACT-とImitation RainにみるSixTONESのアイドル性

 

 

TrackONE -IMPACT-のパンフレットを読み、そしてImitation Rain初動ミリオン運動を受けて、書かざるを得なくなったので書きました。

SixTONES自体の方向性、そして、SixTONESとファンとの関係性。この2つの観点から、「SixTONESのアイドル性とは何か」を論じていきます。

 

※以下、1.において、TrackONE -IMPACT-のパンフレット内容(一部引用)とステージ演出、CHANGE THE ERA -201ix-のステージ演出のネタバレがあります。

 

1. SixTONESの“アーティスト”と“アイドル”

「アイドルというより、もはやアーティスト」

SixTONESが外部媒体で語られる際、しばしばこんな枕詞が用いられます。ビジュアルが「ジャニーズらしくない」うえ、他のグループより音楽へのこだわりが強く「ジャニーズらしくない」音楽性の高さを見せつけてきたので、そのように語られることは至極当然でしょう。

しかし私はずっと気になっていました。SixTONESはアーティストなのか、アイドルなのか。

正直私自身はどちらでもいいと思っていました。アーティストならアーティストとして応援するし、アイドルならアイドルとして応援します。でも、どちらのスタンスで彼らを応援し、評価するか、決めかねていたのです。

 

そんな中、TrackONE -IMPACT-パンフレットの個人ページで田中樹はこう宣言しました。

俺らは「ジャニーズらしくない」なんて言われるけど、ジャニーズのアイドルだってことを忘れたことはないし、むしろすごく大事にしてる。生意気なことを言うと、ジャニーズの伝統を世界に持っていきたいんですよね。そのためには、音楽に真っ向から向き合わないといけない。世界はうわべだけじゃ通用しないので、付け焼き刃じゃないものを身に付けていきたいです。

「腑に落ちた」と言う他ありませんでした。SixTONESはアーティストもアイドルも捨てずにやっていく。どちらかを選ぶのではなく、どちらもやるのだと。

 

では、なぜ私がここまでアーティストかアイドルかを重要視するのか、詳しくお話ししましょう。

これからSixTONESが海外へ進出するうえで、私は、彼らが何を評価されたいのかを明確にしておく必要があると思っています。

聞きかじった程度の情報ですが、今世界を席巻している韓国のアイドルグループ・BTS(防彈少年團)は楽曲制作にメンバー自ら関わることが多く、ヒップホップグループの色合いが濃いそうです。ジェシーや樹が自分たちで曲を作りたいとは言っていますが、もともと作り手志望だった人もいるBTSと違い、SixTONESは自作曲で世界に出られるレベルではないでしょう。それどころか、現時点の楽曲も「ジャニーズにしては珍しい」程度で、世界の音楽シーンと比較するのはちょっとまだ怖さがあります。

SixTONESの音楽自体を世界のトップレベルへ持っていくには、ジャニーズ事務所の体質的にも、日本の音楽市場の体質的にも限界があります。純粋にアーティストとして売っていくなら、BTSが先に出てしまっている以上二番煎じとも捉えられかねないし、爆発的に売れることは難しいと思います。

 

しかし、SixTONESはあくまでも「ジャニーズらしさ」にこだわっています。

あれだけ「ジャニーズらしくない」「アイドルらしくない」と言われているSixTONESのどこに、ジャニーズらしさ、あるいはアイドルらしさがあるのか。

TrackONE -IMPACT-の演出にその答えがありました。

カニックな世界観に作り込まれたセット。ギラギラの新衣装。Rollin'の、サーカスのような大回転。Sun Burns Downのマスクを使ったパフォーマンス。KEEP GOINGでレーザーを鏡で反射させる演出。この星のHIKARIで一旦消したペンライトを徐々に点けさせる演出。PARTY'S ONで上半身を逆さに垂れ下がらせる、無理な体勢。Imitation Rainの過剰なまでの炎。

音楽的レベルは高くても、やっていることはやはりド派手でトンチキ。ジャニーさんのトンチキとはまた質が違うかもしれませんが、「見ている人のド肝を抜く!」という思いがビシバシ感じられるパフォーマンスは、予想外のことをやって驚かせることが好きなジャニーさんと通じるように思います。実際、Rollin'で回り出した時は私もリアルに「えええ〜〜〜!?」と叫んでしばらく何をやってるのか理解できませんでした。会場もどよめいていました(笑)

 

また、思い返すと、2019年3〜5月のCHANGE THE ERA -201ix-でも似た要素がありました。T∀BOO〜Body Talk〜LOVEJUICEのいわゆるエロコーナーです。初め、マンション型のセットの各階に横たわって無理のある体勢でパフォーマンスし、その後セットの布を取り外して体に巻きつけ、ベッドで色気たっぷりに歌唱。その後最低限の照明の中で過激なダンスをし、ジェシーが全員のネクタイを咥えて束縛されているように見せるという、ファン大好物のパフォーマンスでした。

当時のレポはほとんど、Body Talkで誰がどう腰を振っていた、LOVEJUICEのジェシーはこんな仕草をした、というようなものばかりでした。私もまんまと彼らの動作ばかりを目で追っていました。しかし、横浜アリーナ公演が終わった後、CDを手に入れて聴いた赤西仁くんのBody Talkを聴いて、私は愕然としました。こんなに美しい音だったなんて。自分はライブで一体何を聴いていたのだろう……。

その後悔から、大阪城ホール公演では音楽に集中しようとしました。でもやっぱり、ベッドの上のSixTONESを見てしまうのです。

 

良い音楽を使っているのに、それに集中できないほどのド派手な演出、パフォーマンス。そして6人の存在感。観客たちは視覚情報にすっかり圧倒され、集中できない聴覚にもこだわり抜かれた音響が爆音で注ぎ込まれ、たちまちトランス状態に陥ります。さらには、多くの観客がSixTONESの「物語」を共有しているため、歌詞が彼らにリンクしたり、歌声に感情が表れたり、煽りや挨拶などからメッセージを受け取ったりすると、並々ならぬ思いが込み上げます。感覚と感情を容赦なく揺さぶられ、会場はヒートアップするのです。

つまり、SixTONESの音楽は、最高のライブを作り上げるための一つのピースに過ぎません。過ぎないと言うと語弊がありますが、音楽へのこだわりと同じくらい、演出にも、パフォーマンスにも、衣装にもこだわっている。音楽を聴いてくれればそれでいい、というわけではないのです。

ですからSixTONESは、広義のアーティストには当てはまりますが、ミュージシャンという言葉には当てはまらないでしょう。彼らは音楽のみならず、総合的なエンターテインメントを提供するエンターテイナーなのです。

SixTONESの目的は、音楽を極めるというより、「常に新しいことをする」というところにあるように思います。それも、ただ奇を衒うのではなく、見る人・聴く人に驚き楽しんでもらえるような、まさにジャニーズエンターテインメントです。

 

そしてSixTONESは、ド派手でトンチキなパフォーマンスを自分たちで考えてやってのけます。ジャニーズのトンチキ舞台はほとんどがジャニーさんの作・演出によるものでしたが、SixTONESは自分たちのトンチキを自分たちで作ります。

アーティストの中でも、ミュージシャンは音楽を作るし、画家は絵を描きます。それと同じように、SixTONESは「ジャニーズ」そして「アイドル」を作っているのです。

SixTONESは、「ジャニーズアーティスト」なのです。

もちろん、これまでもジャニーズグループの多くはジャニーさんの手を離れ、自分たちでライブ演出をしてきましたが、Jr.のうちからここまで積極的に演出に関わり、攻撃的ですらあるパフォーマンスで賛否両論を巻き起こしてきたグループは、他にないのではないでしょうか。

 

またレベルの高い音楽は、ジャニーズに馴染みのない層にとって聴きやすく、入口的な役割も果たしているでしょう。パフォーマンスを見てもらうためにまず音楽で魅了するというのは有効な手段ですし、パフォーマンスはいつでもどこでも見られるわけではないので、より拡散されやすく手元に残りやすい音楽にこだわるのは戦略的です。

これからSixTONESがどのような方向性の音楽を生み出していくか見ものですが、パフォーマンス・演出についてはこの一点に尽きると思います。

「常に新しいことをやって、見る人を驚かせる」

ジャニーズはそもそも、他人と違うことをやらないと生き残れません。ジャニーズでは非王道こそ王道なのです。このパラドクスを100%体現し、「ジャニーズ」「アイドル」そのものを表現し発信するアーティスト。それがSixTONESなのです。

 

ファン以外には受け入れられ難い面のある「ジャニーズ」ですが、海外の音楽に触れたSixTONESの手によって世界に受け入れられやすく翻訳されることで、世界中の人に知ってもらえるよう願ってやみません。

 

 

 

2. SixTONESがファンに見せる“夢”

「#SixTONESミリオン目指すってよ」というハッシュタグによる、Imitation Rain購買運動が行われています。複数枚買う余裕のない方は周りに布教したり、MV再生に専念したり……スト担全体が、それぞれ何かしらの方法でSixTONESに貢献しようとする動きを見せています。

もちろんこれまでも「SixTONESのために」という動きは様々にありました。Jr.チャンネルでの再生回数なり、グッズや雑誌の売上なり。今回は、先にハイタッチイベントが発表され、そこで一旦買い控えが起こった後だったので、スト担の傾向がより顕著に表れましたね。

本人たちに負担がかかり、ファンにとって楽しいだけのハイタッチ会よりも、断然、本人たちの「初動ミリオン」という目標達成に協力したい。このファン心理から伺えるのは、SixTONESはもはや、ファンの欲求を満たすためだけのお人形的なアイドルではないということです。

 

では、SixTONESはファンにとってどのような「アイドル」なのか。そこに踏み込む前に、比較のため、少しだけ他のグループに触れておきたいと思います。

私がなんとなく性質を把握しているファンダムは、かつてどっぷり浸かっていた関ジャニ∞のeighter、そして当事者の友人から話を聞いたことのある嵐のアラシックくらいです。この2グループは2010年代のジャニーズを代表する存在でもありますから、例として、私なりの解釈を述べさせていただきます。

嵐と関ジャニ∞、この2グループは似ているようで、ファンとの関係性が全く違うように思います。まず、嵐は5×20で櫻井くんが何度も言ったように、「5人」が絶対的。1人でも欠けたら、あるいは加わったら、それはもう嵐ではなく、「5人」の聖域にファンが入っていくことは許されていません。そこには、メンバーとファンとの明確な上下関係があり、ファンはメンバーを崇拝してひたすらついていきます。嵐のライブはペンライトが制御されることで有名ですが、ライブ参加の受動性が要求され、ファンも演出の一部になるという構図にも厳格な上下関係が見て取れます。

反対に、関ジャニ∞は流動的です。8人でも、7人でも、6人でも、5人でも関ジャニ∞です。次に誰かが脱退したら解散とは言っていますが、気持ちの上で、1人でも関ジャニ∞なのではないかなと私は思っています。これは私の感覚でしかありませんが、関ジャニ∞は「場」だと思います。そこへ入れば誰もが関ジャニ∞なのです。eighter同士の絆には、地元愛に似たものがあります。(ファンにそのような関係性がみられるグループが、「関西」という地元をコンセプトとしているのは興味深いですね。)関ジャニ∞のライブは最後の挨拶で会場全員(メンバー、ファン、そしてスタッフも)が手を繋ぎます。それを他のグループのファンに言うと大半の場合怪訝な顔をされますが、eighterにとっては家族で手を繋ぐようなもので、至極自然なことなのです。

「アラシック」「eighter」という呼称一つ取っても、違いが表れているように思います。eighterの「er」は人を表す接尾語です。一方アラシックは、由来は諸説あるようですが、嵐+「sick」=嵐病、あるいは嵐+形容詞化する接尾語「ic」=ARASHIC(「嵐的」の意)などが考えられ、どちらにしても人ではなく状態を表します。eighterが独立した肩書であるのに対して、アラシックは嵐ありきの従属的存在なのです。

どうしてもアラシックがネガティヴに聞こえるかもしれませんが、メンバーとファンとの上下関係は重要です。メンバーがファンより上に立たなければ、そのグループは雲の上のスターにはなれません。実際、関ジャニ∞とファンとの心理的距離が近すぎるために、深刻なストーカー被害も出ています。どちらが良いというわけではないのです。

 

このような考え方を踏まえて、SixTONESを見てみましょう。

まず、SixTONESは「6人」が絶対です。1人欠けても、あるいは1人加わっても、それはSixTONESではありません。しかし、ファンがそこに踏み込めないということはないように感じます。

SixTONESにはファンネームがなく、便宜上「スト担」と呼ばれていますが、ファンダムを指す言葉として樹の「team SixTONES」があります。また、「ファンもSixTONESのメンバー」という主旨の発言もよく耳にします。

これらから考えると、このような構図が成り立つのではないでしょうか。SixTONESには絶対的で特別な「6人」の関係性がある。ファンはその特別な関係性の中に組み入れられている。SixTONESは「6人」の物語であり、同時にファンも含めた巨大なチームの物語である。これまた非常に逆説的ですが……。

 

そもそも、アイドルビジネスにおいて重要な要素の一つに「物語」があります。そのグループに固有の歴史や関係性が、ファンの消費対象の一つだということは、みなさんお分かりかと思います。

一般的に、青春時代から特定のメンバーでともに活動し、大人になっても変わらず一緒にいるなどという人生は特異です。メンバーがいるという状況がまず珍しいでしょう。見目麗しい少年たちが強固なコミュニティを築き、他にはない特別な関係性を育てるという物語が、メンバーを持たない消費者たちの憧れの的となります。

漫画やアニメの物語には、我々は入っていくことができません。嵐はこれに似ているように思います。「5人」は「5人」であって、ファンが介入する余地はありません。メンバーのいわゆる「わちゃわちゃ」を楽しむ消費スタイルが日常系アニメと類似しているのでは? とも考えましたが、二次元に疎いので間違っていたらすみません……。

しかしSixTONESは、「6人」の物語にファンを招き入れようとしてくれます。よくSixTONESは少年漫画だと言われますが、ファンはもはや読者ではなく、彼らの軍勢に加わる「モブ」の一人です。スト担はみな、SixTONESの物語の登場人物なのです。

これまで一方的に消費されるのが当たり前だった「物語」あるいは「絶対的・特別な関係性」が、SixTONESではファン自ら体験し得るものとなったのです。これほどまでにファンに対して物語を開いても「6人」の絶対性が薄まらないのは、それほどメンバー自身が「6人」をしっかりと大事にしている証拠でしょう。

 

「アイドルは夢を与える職業である」とは人口に膾炙した定型文ですが、もともとのアイドルは、スクリーンの中で現実離れした夢のようなスペクタクルを見せる存在でした。しかしSixTONESに限って、「夢」は、見るものではなく叶えるものに読み換える必要があるでしょう。

では、SixTONESは現実的でアイドルらしくないのでしょうか? いいえ、違います。何度も言っているように、SixTONESは現実に下りてきたのではなく、私たちを物語の中へ引き上げてくれているのです。熱狂的なライブは、一方的に見せられるものではなく一緒に盛り上げて作るものなのだと。初動ミリオンという夢のような記録は、ファンが力を合わせて叶えるものなのだと。SixTONESはそう教えてくれます。私たちはSixTONESの「夢」の真っ只中にいます。これまでスクリーン越しにただ見ていた「夢」は、スクリーンの中へ入った途端、登場人物全員で作り上げるものへと変わったのです。

 

何もしないで見ているほうが気楽でしょう。しかし私たちはSixTONESに魅せられ、画面の向こう側へ飛び込みました。6人は私たちモブのヒーローです。彼らに信頼され、感謝されるのが嬉しくて、私たちは彼らのために戦います。team SixTONES大きな物語……次の展開は私たち次第です。