『映画 少年たち』考察・永遠の少年
公開から一週間が経ってようやく、
『映画 少年たち』を観てきました。
観ている最中はウワーとりあえず全てのトンチキを受け入れて生きようこれがジャニヲタの宿命…とばかり考えておりましたが、
本編最後のポエムで世界が変わった。
「えっ……そういうこと?」
本当にそういうことかはわかりませんが(いかんせん深読みのしすぎ)、
いろいろ、本当にいろいろ考えて
どうにもこれは手元に置いておくには大きすぎる、きちんとまとめて誰かに伝えねばならん、となり。
初の\はてなブログ〜!/
(いつもウェブから拝見してます!ステマ記事お世話になってます!)
を執筆することにいたした次第でございます。
不慣れによる乱筆、
そして極度の担タレ(某村北斗のweb参照)による圧倒的文章の面倒くささ、
読みづらい点多々ありまくると思いますが。
お優しいヲタクの皆様、どうか温かい目で読んでやってください…。
それからもう一つ、
私はドが10個つくレベルのド新規です。
松村担を名乗り始め、現時点で2ヶ月ちょっと。
少年たちの舞台はおろか、
いわゆるジャニーズのミュージカルは一切観たことがございません。
ですので「舞台の文脈を汲めばここの解釈は絶対違う!」なんてこともあるでしょうから、
その際はどうか優し〜く教えていただければと存じます…。
そろそろ本題に入ります。
ネタバレしかしません。
私を驚愕させた、ジャニー喜多川氏のポエム。
それがこちら。
『子供は大人になれるけれど、
大人は決して子供には戻れない。
だからこの想いを、時計を止めて…』
(一度で覚えきれなかったので、Twitterの情報を元に書いてます。間違ってたらすみません…)
話に聞く限り、Jr.の舞台で頻出の構文なんですかね?
『〜戻れない』までだいたい毎回一緒で、
その先のバリエーションがあるみたいです。
全種比較とか今できない。
今重視したいのはココです。
『時計を止めて』
…ここからじゃんじゃん深読みしていきます。
読んでとは言いましたが
「ヤベえわコイツ」と思った時点でUターンしてください。
そもそもおかしいとは思ってたんです。
映画になる前から。
『少年たち』の存在を知ってはいたので。
「アイドル=囚人?マジで言ってる?」
いやまあ私に刺さる設定ではあるんですけどそれは個人の問題で、
ジャニーさんアイドルを囚人に重ねてるの?
公式でそれはヤバじゃね?
と。
納得がいったのは、Sexy Zone 佐藤勝利くんのお父様が亡くなった時。
舞台期間中で、ジャニーさんが直々に急遽セリフを追加して、
父親が亡くなったことを勝利くんに言わせたんですってね。
お詳しい皆さんが言っているのを聞きました。
「ジャニーさんらしい」
「だってジャニーさん、悲劇が好きだから」
なるほどな…と。
アイドルの悲劇は私も好きよ…。
ていうか実はみんな好きじゃない…?
過去を抱えた自担ら、しんどいっしょ…?
これがジャニーズエンターテインメントなんですよね。
囚人たちは自らの罪を抱えている。
「人は誰でも傷を抱えている」的なニュアンスのメッセージは『映画 少年たち』でもそこらじゅうに転がってます。
じゃあその傷って何なのか。
傷は、人を過去に縛り付けます。
過去、つまり少年時代。
傷こそ、少年(=子供)の時計を止める張本人なのです。
ジャニーさんが男色家であり、特に可愛い男の子に目がないことは、
たいていのジャニヲタにとって暗黙の了解だと思います。
ジャニーさんは少年が大好き。
少年がきらびやかな舞台で歌い踊っている、
そのエンターテインメントショーこそ
ジャニーズにおける美。
しかし少年は大人になります。
若さの美は永遠ではない。
でもジャニーさんは、
永遠にしようと思った。
時計を止めようと思った…
秋元康は傷を故意につくりだします。(大偏見)
だけどジャニーさんはそうはしなかった。
傷は誰にでもあるものだから。
と、私は思っています。
ジャニーズのタレントを見ていると、
まあ誰も彼もどっか歪だったり極端だったり欠けてたり…
完全な人間とかいません。
(特に自担の松村某斗など他メン担からもメンヘラ扱い、その通りですありがとうございます)
で、その不完全さをメンバー同士で認め合い、補い合いながら、
グループ活動をしていきます。何年間も。
バックボーンの異なる少年たちが、
バッと集められてグループになり、
場合によっては何年も、何十年も同じメンバーで夢を追い続ける。
そんな状況、ジャニーズ以外ではまずあり得ません。
ハッキリ言って異常です。
でもその中で育まれる関係性が、
我々がこぞって消費する魅力あるエンタメとなり、また本人たちの人生となります。
(あるジャニヲタさんが「今のアイドルは夢を売る商売ではなく、人生を売る商売だ」と。まったくその通りだと思います)
一定の関係性に依存する、
それは成長を止めることと同義です。
人間は、成長過程で独り立ちします。
一人で生きていけるようになる、
それが「大人になる」ということの一つの意味でもあります。
大人になる人もいるのです。
かつてのジャニーズは他のアイドルと同じように、20代前半でグループを解散し、それぞれの人生を歩んできました。
今でも、一定の関係性に依存しないタレントはいます。
赤西くんとか。山下くんとか。
すばるくんも、人ではなく音楽に頼って生きる強さを手に入れたのだと思います。(地がeighterなのでかつてのすばるくんがどれだけメンバーに依存して生きていたかはよくわかります…)
でもそういう人は、
大人になった少年は、
グループを離れ、さらには事務所を離れることもあるのです。
逆に言えば、
メンバーとの関係に依存する人は、
永遠に大人にはならず、
ずっとジャニーさんのもとにいる。
永遠の少年性。
私たちは、いったい何歳に向かって
「かわいい!」
と歓声を上げているのでしょうか?
それも男性に。
少年刑務所の囚人たちは、
仲間を得て幸せそうでした。
少年の時計を止めるもの、それは、
「傷」、そしてもう一つ、
「絆」です。
声に出すと似てますね。偶然でしょうか。
少年時代のままの絆が、
10年経っても、20年経っても変わらない。
だからメンバーといると無邪気な子供のような表情をする。
通じ合ってるのはビジネス上じゃない、
精神的な「傷」まで分かり合ってるから、
依存して離れられない。
(だから嵐は「5人」を宝箱で冷凍保存することを選んだ。一番理想的で、ある意味残酷な「少年たち」の姿だと思います。)
何人かのタレントからよく聞きます。
「アイドルじゃない自分を想像できない」
怖いことですね。
さてもう一つ、ここまで考えた私が引っかかったこと。
それは、
新入りの死。
死というのはやはり大きなテーマです。
ではなぜ死を描いたか?
死=退所に置き換えても、絆のために退所する人なんかいないわけですから意味が通りません。
ここで出てくるのがやはりあのポエム。
『時計を止めて』
若いまま時間を止める。
一番手っ取り早い手段はそう、
若くして死ぬことです。
もちろん現実のアイドルを死なせるわけにはいかない。
ていうか死なない。
けど。
映画の中ならフィクションですから。
理想を叶えることは余裕です。
新入りの役名は「ジュン」。
殉職のジュン、殉教のジュン…
これは完全に飛躍ですが、思わず連想してしまいました。
傷を抱えて、絆のために死ぬ美少年。
若く美しいまま、永遠に時間は進まない。
これがジャニーさんの理想なのでは…?
なんていう恐ろしいことを考えて、
「私たちは一体何を消費しているんだ…?」
と口許を覆いました。
ただ単純に「時間は戻せないから今の輝きを大事にしようぜ!」的な解釈ができたらなんてハッピーデーだったことでしょう…
『時計を止めて』の解釈が変な方向に行ったばっかりに、『映画 少年たち』は、私の中でとんだ鬱映画になってしまいました。
死といえばもう一つ、横山裕処遇部長(でしたっけ、役職)の死ですが。
まあ何とも不可解な。
ジャニーさんのメタファー(隠喩)としては横山看守と伊武雅刀さん演じる年配の看守、2通りの説があると思います。
ジャニーさんは冷酷じゃないし伊武さんのほうが近いかな…とは思うんですが、
創作だし、べつにメタファーがそのまま現実に対応しなくても問題はない。
おそらくラストの横山看守の死は、そのままジャニーさんに訪れるであろう死と捉えてよかろうと思います。
横山看守もまた過去の傷に囚われています。
まあ人間誰しも、って感じですよね。
だから横山看守もある意味では少年なわけです。
ジャニーさんもそうなのかな。
そんなジャニーさんが、刑務所=Jr.の全盛を見届け、かつての囚人の絆を確かめたのち、息を引き取ります。
まあ一番安心して死ねるよね…
ジャニーさんが安心して旅立てるように頑張ろうね自担たち…(気が早い)
横山看守=ジャニーさんに対して息子がタッキーだという説もありました。
きれいにまとまる話ではあるけど、タッキーについてはもう少し語りたい。
引退直前の金スマで、タッキーの告白を聞きました。
少年時代の貧困。
救ってくれた父親のような存在、ジャニーさん。ジャニーズJr.という居場所。
理想的な、「傷」と「絆」をもった美少年ですね。
これでカリスマ性とプロデュース能力があるときたら、そりゃジャニーさんも重宝するはずだ。
ジャニーズ・アイランド社の社長になったタッキーは、Jr.黄金期を再び創り上げようと躍起になっています。
私には、「Jr.」という過去に囚われているように見えてならない。
数々のグループのアイドルが「グループの絆」のもと少年であり続けるように、
滝沢秀明は、「Jr.の絆」「事務所の絆」「ジャニーさんとの絆」に囚われた、永遠の少年ではなかろうか。
そんなふうに思います。
きっとタッキーは、ジャニーズ事務所のために、誰よりも人生を懸けるでしょう。
生涯現役。
見方を変えれば、殉職。
美しいお話です。
でも、恐ろしいお話です。
自担の傷は人間らしくて美しいし。
自担がメンバーと絆を育んでいるのは嬉しいし。
だけど、自担もジャニーズと心中するの…?
今季のドラマの役作りのために、
23年間染めたことのなかった髪を、
初めて染めました。
自担はこう言います。
「染めるなら役のためがいいと思った」
そして、
「数ある仕事の中で、俳優を一番大事にしたい。俳優をやり続けたい」
一方で、『映画 少年たち』の撮影に際し、メンバーからこんな話がありました。
「囚人役だから全員黒染め短髪にしたんだけど、北斗だけなかなか髪を切らなかった」
外部のドラマのためには一度も染めたことのない髪を染めるのに、
事務所の映画のためとなると、髪を切ることさえなかなか踏み切らない。
ああ、北斗は、生涯アイドルでいる気はないんだ。
この人は殉職しないんだ。
一抹の寂しさとともに、とても安心しました。
松村北斗は正直私よりジャニヲタだし、
最近メンバー大好きを丸出しにしているし、
もうすぐ24歳になる大男なのに超かわいい。
けど、大人になる気はあるんだな、と。
まあ山Pに憧れるだけあるわ。
私山Pのこと全然知らんけど。
あなたの自担はどうでしょうか。
傷は。
絆は。
死は。
あなたの自担を、少年のままで止めていますか?
めっちゃしんどい。
けどそれが尊い。
美しい。
我々は完全にジャニーさんの掌中なんでしょうねえ。
まあ、そんな「永遠の少年たち」が数多くの人の心を捉えるのは事実で。
極上のエンターテインメントであるのも事実で。
我々ジャニヲタはまた今日も、
ジャニーズ帝国にお金を落とすのです。
ジャニーズ帝国。
まるでピーター・パンに登場する、ネバーランドのような国。
舞台版とストーリーが違うらしいので、
『映画 少年たち』はもしかしたら、
舞台を映像で残したものではなく、
ジャニーさんの理想そのものを形にしたもの、
なのかもしれません。