『別の人の彼女になったよ』はただのラブソングではない。

 

 

考えたことをどうしてもまとめたくなったので、SixTONESと全然関係ないことを書きます。

 

昨年からずっと巷で人気のラブソング、

wacciの『別の人の彼女になったよ』。

 

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歌詞はこちら↓

https://www.uta-net.com/song/254047/

 

 

私は流行に対して天邪鬼なタイプなので、全然聴いてませんでした。いや、一応一回聴いてはいて、「ほう、面白い発想だ」なんて思ってはいたけれど、いかんせん恋愛というものに疎いので聴き込むなんてことはしなかったんです。

それがなぜ、こんな記事を書いているのか。

 

この曲を聴き込むようになるまでの顚末をざっくり説明すると、

①自粛期間にYouTubeで公開されたBuono!の解散ライブを初めて見て号泣

Buono!の元メンバー、鈴木愛理さんが『別の人の彼女になったよ』をカバーしていることを知る

③それを聴いて号泣

④先日(2020年6月22日)放送のTBS『CDTVライブ!ライブ!』にてwacci歌唱の『別の人の彼女になったよ』を聴く

⑤急に自担と重なってしんどくなる

⑥オリジナルバージョンと鈴木愛理バージョンを一晩中聴きまくる

⑦翌日、悟りを開く

 

とまあこんなわけで、ただ今悟りの境地にいるわけです。

何を悟ったかというと、

「この曲が広く共感されるのは、実は恋愛だけにとどまらない、もっと普遍的なことを歌っているからではないか」

こういうことに気づいたんです。

 

先程の顚末の③、⑤、⑦を軸に、私が何を考えたか紐解いていきます。

 

 

 

 

1. 鈴木愛理バージョンを聴いて号泣した話

 

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Buono!および鈴木愛理さんについては「歌がバカ上手え」ということしか存じ上げないのですが、部外者ながらいちアイドル(ジャニーズ)オタクゆえ、解散ライブでまんまと大号泣しました。目覚まし時計、永遠に鳴らなきゃよかったのにな……(また泣いてる)

 

また愛理さんはBuono!だけでなく°C-uteというグループのメンバーでもあって、そちらも今は解散して、今はソロの歌手・モデルとして活動されていますね。

 

そんな愛理さんが歌う『別の人の彼女になったよ』。

私は、そういった愛理さんの経歴と重ねて聴かざるを得ませんでした。

 

 

歌詞を辿りながら、こんなイメージが次々と浮かんできました。

アイドルとして、メンバーと一緒にライブで大はしゃぎする愛理ちゃん。

ボロボロ泣いている愛理ちゃんと涙ぐむ雅ちゃん、最後までプロを貫いて毅然としているももち。

素の笑顔でメンバーと笑い合う愛理ちゃん。

時にはメンバーとぶつかり合う愛理ちゃん。

夢や希望を歌うアイドル。

だけど、そんなアイドルを卒業した愛理ちゃん。

 

 

天真爛漫で、愛されるために生まれてきた天使みたいな愛理ちゃんのこと、やっぱり愛理ちゃんと呼ばせてください……愛理ちゃん……

 

無邪気でいられたアイドルを卒業して、今はどんなふうに活動しているのかきちんと見られてはいませんが、ソロのシンガーとして、大人になってるんじゃないかな。そんな、きっと「一生懸命お洒落して なるべくちゃんと」する大人になった愛理ちゃんが、もう戻れないアイドル時代に後ろ髪を引かれながらも前へ進む歌、そんなふうに聞こえたんです。

 

きっと愛理ちゃんはたくさんのファンに愛されて一生無邪気な愛理ちゃんなんでしょうけど、それでも、アイドルの「少年/少女性」はやっぱり特別なもの。

ジャニーズを去る元アイドルたちを見送っていると、より痛感します。

アイドルは一つの青春。

この歌は、そんなアイドルの「卒業“済”ソング」としても聴けるのではないか。

そんなふうに思って、私は真夜中に号泣していたわけです。

 

 

2. 初めて感情移入ができて動揺した話

 

さて、時は過ぎて約半月後、CDTVでwacciの本人歌唱バージョンを聴くことになります。

 

かねてから「ジャニーズの誰それと重ねてしんどくなる歌」(SixTONESで言えば元彼=森本慎太郎、今彼=ジェシーで聴いている人を見かけました)としてジャニヲタの間でも人気なこの歌。

私は自分の解釈で当てはまる人が見つからず、いまいち感情移入できずにいました。

 

 

ところがどっこい、CDTVを見ていたら天啓のように降りてきたのです。

元彼=松村北斗 

(SixTONES。2019年1月からの自担)

今彼=横原悠毅

(ジャニーズJr.。2020年3月からの自担)

という解釈が。

 

非ジャニヲタの読者さんに説明すると、自担とは女性アイドルでいう推し、もっと言うと神推し(で合ってるのかな?)みたいなことです。

 

自担が2人もいるなんて気が多いやつだな〜と思われたことでしょう。素直にすみません。腹を括って掛け持ちオタクをしております。

 

 

この2人に対する私の解釈と感情を一から説明するとそれだけでブログが10本くらい書き上がってしまうので、ざっくりとだけ。

北斗くんに対してはどこか同族嫌悪にも似た執着心を抱き、

横原くんに対しては純粋に尊敬して応援しています。

 

べつに横原くんだってフェスで大はしゃぎはするだろうし愚痴を言っても怒らないだろうし夢や希望もガンガン語る男ですが、余裕があって大人で尊敬できて不満が一つもないのは本当に歌の通り。私の理想の男性です。

一方北斗くんは正直気に入らないところだらけで(しかも私と似てるところは同族嫌悪でムカつくし、私と違うところも裏切られたみたいでムカつくといったわがままっぷり)、もう好きなんだか嫌いなんだかわからなくなってるけど離れられない。そんなめんどくさい存在です。

 

北斗くんとも横原くんとも付き合えるわけがねえことは重々承知で言いますが、もし横原くんと付き合えたら、そりゃあもう万々歳、人生薔薇色だと思います。

でも、横原くんと付き合ったら、まず私の好きな映画や演劇は一緒に観に行けないだろうな。仮に私一人で観に行って、帰って感想を話しても、あんまりわかってくれないだろうな。好きな服や音楽も全然違うだろうな。私の弱いところやどうしようもないところを打ち明けても、頭では理解してくれるだろうけど、胸を痛めるほどの共感はしてくれないだろうな……

そんなふうに思うんです。

まあ、映画や音楽の話ができなくたって彼が大好きだから全然いいんですけど。私は横原くんの話をいっぱい聞きたいし。

 

でも、北斗なら好きな映画や音楽の話をたくさんできる。きっと感心も共感もしてくれる。ちょっと他人には話しづらいことも、北斗になら打ち明けられる。

でもいざ北斗と付き合ったら、喧嘩ばかりになるんだろうな。

 

 

そんな妄想が一瞬のうちに頭をよぎって、食べていたご飯を吹き出しそうになりました。

 

 

3. 悟りを開いた話

 

そんな22日の夜、私は延々と『別の人の彼女になったよ』2パターンを聴きまくり、翌日、ついに悟りを開きました。

 

この歌詞は、恋愛よりももっと普遍的な意味を孕んでいるのではないのか。

 

 

そもそも、子供っぽくて一緒にはしゃげるけど喧嘩もよくしていた元彼と別れ、ちょっと窮屈だけど大人で尊敬できる今彼と付き合う、なんて、とても限定されたストーリーです。

確かに設定が細かい分リアルさは増すけれど、一見共感は得づらいように思えます。

 

それが一体なぜ、こんなにも多くの共感を呼んでいるのか。

 

 

それは、このストーリーの背後に

「子供から大人へと成長し、戻れない・戻ってはいけない子供時代の自由さを恋しく思ってしまう」

という普遍的なテーマが隠されているからではないでしょうか。

 

 

愛理ちゃんの「アイドルから大人へ」というストーリーも、もちろんこのテーマが土台にあります。

私にとっての北斗くんと横原くんも、「本来の自分自身が引き出される相手」と「大人の女性として愛する男性」という対比を孕んでいます。

 

 

この歌の元彼は、

・フェスで大はしゃぎする

・映画を観て号泣する

・言葉ではなく態度でわからせようとする

・よく喧嘩する(怒鳴り合いもする)

・おそらく夢や希望も語る

という、感情的で無邪気で、「子供」っぽい人物です。

その元彼の前での〈私〉も、

・すっぴんで笑っている

・大きな声で愚痴を言う

・自分をさらけ出す

というように、「子供」っぽく、公には「控えるべき」とされることを平気でしていました。

 

一方今彼は、

・余裕があって大人で優しい

・博識

・言葉で表現する

・愚痴を嫌う

・現実主義者

という、社会的に「正しい」あるいは「大人」な人物です。

今の〈私〉も、

・お洒落して「ちゃんと」している

・愚痴を言わない

・「大人」しくしている

というように、社会的に「こうすべき」という振る舞いをしています。

 

べつに恋愛に限ったことではなく、家で許されていた態度を学校でやると怒られる、あるいは10代のうちは平気だったことが社会に出るとマナー違反になるというように、「こうすべき」を守ることが、「大人」になることとされています。

 

だけど、「大人」のルールは窮屈です。時には子供のように振る舞いたい。すっぴんでゲラゲラ笑いたいし、愚痴も言いたいし、自分をさらけ出したい。そんな気持ちをどうにか押し殺して、大人は「大人」のルールで生きていきます。

 

そんな、誰にでもある「子供」と「大人」の間の揺れ動きを、この歌ではラブストーリーに落とし込んで歌われているのではないでしょうか。

だからこそ、〈私〉と同じような恋愛をしていなくても、このストーリーは多くの人に共感されるのではないでしょうか。

 

 

もっと攻めてみると、この歌は「子供が実家を出て働き始めたけれど、社会人としての振る舞いに少し疲れて、親に電話をしたくなる話」とも読み替えられるかもしれません。

実家は大抵いつでも電話できる存在でよかったです。

 

 

 

さて、この歌の〈私〉の少女時代、つまり元彼と過ごした時間は、〈私〉だけではなく元彼自身も「子供」でした。

〈私〉は元彼にこう言います。

あなたも早くなってね 別の人の彼氏に

つまり、〈私〉は

「私が子供時代を忘れてきちんと大人になれるように、私が子供に戻れる場所を早くなくしておいてね」

と言っているのです。

 

けれど、最後の歌詞はこう。

私が電話をしちゃう前に

つまり、

「本当は子供に戻りたい」

という思いをほのめかして終わるのです。

 

 

この後、〈私〉は元彼への思いを断ち切れたんでしょうか。

元彼も〈私〉のように別の人の彼氏になって、大人になれたんでしょうか。

 

wacciのみぞ知る、ですね。

 

 

ちなみにwacciさんの他の楽曲はまだ一切聴いていません。すみません。これから聴きます。

 

 

 

突然の『別の人の彼女になったよ』語り、最後まで読んでくださってありがとうございました。