ジャニヲタが外野から日プを眺めて

 

 

PRODUCE 101 JAPANが私の周りでも盛り上がっていたので、あまり個人個人に深入りはせずに、外野から眺めて考えたことをつらつらと。

 

近年K-POPアイドルが台頭し、特にBTSは世界を席巻しています。ジャニーさん逝去と嵐の活動休止発表も重なり、ジャニーズの力が弱まり、K-POPが日本のアイドルシーンを掻っ攫っていくんじゃなかろうかという予測も多々あり。私もなんとなく、日本らしい「ファンと一緒に育つ」みたいなアイドルはブームが去り、だんだん実力主義になっていくのかなーと思っていました。SixTONESなんかまさにその対策とも言えますしね。

 

そこで、いざ日プ。日本人が韓国人みたいになるのかなーと思っていましたが、結論から言いますと、言うほどそんなことはありませんでした。

ほんとに外野からボーゼンと眺めていただけなので、間違ってること多々あると思います、ご容赦ください(笑)

番組が始まった頃にざーっと上位の顔ぶれを見ている感じでは、やっぱりK-POPはジャニーズと顔面の基準が違うな……という印象でした。川尻蓮くんなんてまずジャニーズにいないじゃないですか。いやほら、岩本照くんは珍しいだけ。やっぱりジャニーズ顔っていうと山田涼介くんとか佐藤勝利くんとか。

まあ途中までは韓国勢の方々がいらっしゃったので異国情緒は致し方ない部分がありますが……

いざデビュー組が決定すると、なんかこう……甘めあっさりのきれいどころが揃ったなと。ジャニーズ系っていうより、今までの上位常連以外はみんな読モっぽくない?(読モをよく知らんが)といった感想でした。(ジャニーズ以外の)日本のアイドルらしい仕上がりというか。シュッとしてるというか。佐藤景瑚くんとか流行りのインスタグラマーっぽい。

これは勝手な憶測ですが、最初は今までのプデュシリーズや他のK-POPのファンだけが投票していたけれど、だんだん終盤に向けて盛り上がるにつれて、ジャニーズやスタダのファン、あるいは特定のアイドルのファンではない層も投票に参加するようになった結果ではないかなと。良し悪しの判断基準が、K-POPファンのものから日本のアイドルオタクのものへ変わったんじゃなかろうかと思うのです。

 

あまり触れないほうがいい話をすると……(笑)

上記の点で「るきやす」と「ともしょう」は考察に値するんじゃないかなと思います。私はライトに白岩瑠姫くん1pickるきやす推しで、FFさんに與那城奨くん1pickでともしょう推しの方がいたということもありますが。

まず、るきやす。K-POPらしい雰囲気の練習生たちの中で、瑠姫くんは元ジャニーズJr.ということもあり、わかりやすくジャニーズ系の華やかさがありました。そりゃあオタクに見つかればすぐ食いつかれるだろうなと。

瑠姫くんはどこにいてもかっこいいし可愛いしきれいだし大好きだけど(過保護)、私は個人的に、本田康祐くんの隣にいると瑠姫くんの魅力がより輝くと思っていました。それは本田くん側からしても同様。本田くんの隣にいると瑠姫くんの中性的なルックスが引き立つし、瑠姫くんの隣にいると本田くんの男らしさが際立つ。同じ世界観にいながら正反対、二人でいる時に一番お互いの良さが輝く。シンメってそういうものだと思うんです。

でも同時に、一般的なアイドルファンは瑠姫くんだけを見るだろうなということもわかっていました。わかりやすく美形で華があって、見慣れた「ジャニーズ」だから。本田くんはLDH系かなと思うのですが、日プに興味を示すのはLDHファンより圧倒的にジャニヲタのほうでしょう。

瑠姫くんに関しては、〈Why〉を披露したメンバー、そこに本田くんはいませんが、いわゆるWhy組についても同じことが言えます。ともしょうを筆頭とする男らしさ全開のいかついメンツの中で、センターの瑠姫くんは女性的な優雅さ・儚さ・華やかさをもち、まるでドラキュラ城の中庭に咲く一輪の薔薇のようでした(瑠姫くん最高botですみません)。

デビュー組に入った瑠姫くんを見て……もちろん瑠姫くんが一番かっこいいし可愛いしきれいだし大好きなんですが!(すみません)るきやすでいた時やWhy組でいた時と比べると、「あれっ、弱い」と思ってしまいました。

私はK-POPらしいメンツでデビューすると想定していたので、そこにジャニーズ系のスパイスが加われば、日プならではのオリジナリティが出て魅力的になる。だからデビュー組には瑠姫くんが必要。そう思っていたのです。でも蓋を開けると、瑠姫くんと同系統のきれいどころが揃ってしまった。

いや、悪いとは言いません。これからなんとでもなります……きっと。

 

それから、ともしょう。パッと見て目を惹くのは安藤誠明くんのほうでしょう。おそらくは全世代の100人中100人に「かっこいい」と言われるであろう、ストレートに男前なルックス。でもデビュー組に入ったのは、與那城くんと、もう一人のシックスパックスである河野純喜くんでした。

今さら後出しジャンケンでしかありませんが、安藤くんは正直、アイドルっぽくないなとは思っていました。もしデビューしたら、今までアイドルに興味がなかった俳優ファン層が取り込まれるだろうなと考えていたのです。だからこそジャニヲタ的には一番の脅威でもありました。

しかし、アイドルに興味のない人は日プの投票などしません。結局選ぶのは元からのアイドルオタクなのです。オタクに刺さるのは、ともしょうなら與那城くんだろうというのは容易に想像がつきます。顔だけ見れば、與那城くんは案外ジャニーズにいてもおかしくない。しかも、「二番手」「エロい」はオタクにとっては重要なアイドルのステータスです。(我が自担・松村北斗の顔が浮かびます)

安藤くんは誰もが簡単に「みんな好きだろうね」と言える、言わば陽のイケメン。一方與那城くんは、どこか憂いがあり、直球でイケメン!とはなりませんがじわじわとオタク心を掴む、言わば陰のイケメン。オタクのみなさんならわかるでしょう、1pickとして固執してしまうのは後者です。

特に1pick投票では、「安藤くんは人気だからみんなが投票するだろうな」と思ってしまうんですよね。

結果、與那城くんだけがデビュー組に入りました。

陽・陰で形容した通り、ともしょうも二人並んでこそ最も際立つシンメだと思います。陽は陰があってこそ輝くし、陰は陽があってこそ深みを増すのです。

 

結果は変えられないし、これからの活動や自己演出次第で、グループ自体はどうにでもなれます。しかしシンメの観点から見れば、プデュの選考方法は好ましくないと言えるでしょう。

二人並んでこそ引き立つそれぞれの魅力の、よりオタク好みなほうだけが切り取られ引き抜かれる。もちろん最後は1人1票の人気投票になるからです。でもそうやってシンメが崩されて、引き抜かれたほうの魅力は保たれるのでしょうか? 人の見え方というものは相対的です。1人だけを見れば絶世の美男子でも、似たような美男子ばかり集めて並べれば、たちまち個人は埋もれて全員地味になってしまうのです。

おそらくプデュらしい、K-POPらしい練習生というのは、川尻蓮くんや川西拓実くんのような人物なのだと思います。彼らは個人として完璧で、一人で投げ出されても魅力を失わない。シンメで輝くのが相対的な魅力ならば、川川の魅力は絶対的です。川川のようなカリスマ性とは少し違いますが、上位常連だった豆原一成くんや鶴房汐恩くんも同じカテゴリーと言えるでしょう。

しかしそんな彼らでも、仮に切っても切れないシンメと出会っていたら、また違っていたかもしれません。

 

「安藤くんと與那城くんが両方脱落して、二人でユニットを組んで他でデビューしたほうがよかった」。そんな言葉を何度も目にしました。

プデュでは、デビューという絶対的なゴールが、一様に目指すものとして全ての練習生と国プに提示されます。しかし、ともしょう推しのみなさんの中には、デビューよりもともしょうの関係性=相対的なものに重きを置く人がたくさんいます。他のコンビ(「ケミ」というのでしょうか?)についても同様です。「絶対」という価値基準をもつプデュの場で、否応なく「相対」の魅力が生じ、しかも「相対」への需要は間違いなく大きいわけですから、このようなジレンマが生まれるのです。

国プが完全に実力主義であれば、一人で輝いている順に上から選んでいけばいいのです。しかし大人数でのオーディションの場合、練習生同士の相対的な関係性が否応なく生まれます。評価は個人戦でありながら、団体でオーディションをするということ。さらに言えば、グループのメンバーを個人の順位で選ぶこと。この構造自体に、プデュのジレンマの根源があります。

 

ジャニヲタから勝手なことを言わせてもらえば、ジャニーさんのプロデュースは圧倒的に「相対」に重きを置いていました。グループ内のメンバーのバランス、関係性を第一に考えた結果、最初は地味だったメンバーがグループの要になったり(嵐の大野くんはまさにそうです)、逆にどんなにスター性があってもグループに適さないならば入れられなかったりしました(こちらも、嵐にタッキーを入れなかったことが最も大きな例でしょう)。

人間的なバランスを重視するジャニーさんのやり方は、しかし、ジャニーさん一人の感覚に委ねられていました。明確な選考基準がないために、理不尽な独裁という形に見られても仕方ありませんでした。ジャニーさん亡きこれから、ジュリー藤島社長と滝沢秀明副社長がどのような基準でJr.を入れ、グループを作りデビューさせるか気になるところではありますが……この記事の趣旨からは外れるので、とりあえず見守りますとだけ。

 

そのような、不透明な独裁選考へのカウンターとしての、明確な数値によるオーディション。しかも責任が無数に分散される“国民”投票なのだと思います。票数操作などの諸問題はありますがそれは一旦置いておくとして……

ここで、完全にパフォーマーオーディションとして、全ての国プが実力だけで練習生を評価してくれたら、どんなに話が簡単だったでしょう。しかし、プデュはあくまでも「アイドル」のオーディションなのです。かっこいい。可愛い。努力してる。人柄がすてき。運命を感じたから応援する。なぜかわからないけど好き。そんな、数値化できない抽象的な魅力を、便宜的に「票」という数値に置き換えようとしているだけなのです。

ここでも、人の魅力という「相対」的なものを、票数という「絶対」へ置き換えようとするジレンマが生じます。ハッキリ言います。全ての練習生と国プがプデュの「絶対」に屈しない限り、全員が納得する投票結果は実現しません。プデュにおいてシンメは諦めろ、と、そう言いたいのです。ただし客観的な立場から見れば、ですが。

他のプデュシリーズがどのようなものだったか私は知りませんが、アイドルファンの需要の中には当然、「相対」に関するものが多く含まれます。つまり、プデュが「絶対」を掲げる限り、デビューの段階でファンの全ての需要を満たすグループは作られません。「相対」の評価ほど難しいものはありません。我々は一旦、「絶対」の制度に納得しなければならないのです。「相対」を改めて築き直すのは、デビューしてからです。「相対」の魅力の行方は、選ばれたメンバーのこれからに託されています。

 

(※日プに関して「そういう運命だった」なんていう言葉もちらほら目にしますが、私から見れば、プデュに運命なんてありません。ジャニー喜多川の一存であるジャニーズの選考と違い、プデュは圧倒的大人数の投票によるものです。詳しく調べる気はさすがにありませんが、大がかりな統計をとれば、票の傾向はある程度掴むことができるでしょう。運営側に操作されている? それこそ大人のビジネス的な打算による必然です。プデュに運命も偶然もありません。ただ、大規模すぎて統計をとるのが困難なため、正攻法をまだ誰も明文化できていないだけです。)

 

ざっくり言ってしまえば、ジャニーズグループがメンバーのバランスを万全にしてから実力をつけるというセオリーならば、プデュはまるっきり逆。実力のあるメンバーを揃えてからバランスをとるというセオリーなのでしょう。どちらかが正しいということではなく、双方が同程度にチャレンジングだと思います。

つまり、プデュとジャニーズはどちらかが優れているというわけでもなく、どちらかがよりオタクに刺さるということもなく、互角に戦えるのです。そう私は結論づけたいと思います。2020年、ジャニーズからSixTONESSnow Manが、プデュからJO1がデビューします。火を見るよりも明らかな男性アイドル戦国時代。面白いことになるな〜と思いつつ、私はSixTONES軍なので容赦なくみなさんと戦わせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

ただ、本当の敵は世界だったりします。K-POPが席巻するアイドルシーンを、日本のアイドルが覆すのか。はたまた、ますますK-POP一強となるのか。非常に見ものです。

外野からなんやかやと失礼しましたが、JO1の11人のみなさん、そして今回は脱落してしまった、未来あるみなさん。さらには、全てのアイドルの卵のみなさん。アイドル界を覆す健闘を、お祈りしております。